プロローグ:僕は英雄の引き立て役になりたい
「ごめん。僕はここまでみたいだ」
魔王城の長い回廊で、僕は壁に背中を預けた。
左腕から血が流れている。さっきの戦闘で負った傷だ。正確には、自分でつけた傷である。歩けないほどではないけれど、無理をすれば足手まといになる。少なくとも、そう見える程度には負傷した。
「レイス! しっかりしろ!」
未来の勇者、ニカンドロ・ゼーファが駆け寄ってくる。
「大丈夫。ちょっと休めば動けるようになるよ」
「そんな傷で何を言っているんだ。肩を貸すから一緒に行こう」
「いや、僕がいたら君たちの足を引っ張る。先に行っていてくれないかな」
「置いていけるわけがないだろ!」
困ったな。ここで全員に残られてしまうと、計画が台無しになってしまう。
僕は傷口を押さえながら、できるだけ穏やかに笑った。
「心配しないで。魔王を倒したら、すぐに迎えに来てよ」
「だったら、なおさら一緒に行くべきだ!」
「ニカンドロ。未来の勇者である君にしかできないことだ」
「それはお前だって同じだ!」
まったく、困った人だ。僕のことなんて気にしなくていいのに。
「レイスさん……」
ヒーラーのリズ・アイリスが僕の前に膝をついた。傷口を見つめる彼女の表情は、ひどく険しい。
残念ながら、君じゃ僕の傷は癒せない。というのも、この傷は聖なる光を拒絶するように細工してある。治療魔法をかけても効果がない。もちろん、僕がそうなるように調整した。我ながら、芸が細かい。
「本当に、その怪我だけなんですか?」
「うん。大したことないんだけど、みんなの足は引っ張りたくないからね」
「嘘です」
即答だった。
「あなた、私たちに何か隠していますよね?」
「そんなことないよ」
「だったら、どうしてそんなに笑っていられるんですか?」
……どうしてだろう。別に笑っているつもりはないんだけど。もしかして顔がにやけているのだろうか。それはまずい。僕は辛そうな顔を作り直した。
「レイス」
今度は魔法使いのネッサ・ヴァレリアが僕の顔を覗き込んできた。
「あなた、自分だけが犠牲になろうとしているでしょう」
「どういう意味だい? むしろ、ここに残った方が生き残る可能性は高いでしょ」
「……」
ネッサは何も言わず、僕を見つめていた。
まずい。この2人、何かに気づき始めている。僕はただ、原作どおりに進めたいだけなのに。
前世で読んでいたWeb小説『勇者パーティに「無能」と追放された雑用係、たまたま抜いた呪いの剣が伝説の聖剣だった件〜ただ静かに暮らしたいだけなのに、魔王軍を壊滅させたら国を挙げて大英雄と崇め奉られてしまいました〜』では、この先でニカンドロたちが魔王のもとへ向かう。その途中、この場所に残ったレイスと魔王が対峙し、僕は命を落とすことになる。
原作の僕はここで死ぬ。それは避けられない展開だ。いや、避けるつもりなんて毛頭ない。むしろ、僕はこの展開を心待ちにしていた。
何を隠そう、僕は原作の大ファンなのだ。ファンというより、もはやガチ勢である。レイスがここで命を落とすからこそ、後に続く感動的な展開が生まれる。あの場面を読んだとき、僕がどれほど泣いたことか。
だからこそ、絶対にここで死ぬ。ここは譲れない。ただし、1つだけ問題がある。
転生してきたこの世界のニカンドロが、マジで弱いのだ。
いや、弱すぎる。
原作の彼はもっと強かったはずなのに、どうしてこうなったのかは分からない。代わりに脇役である僕は異常に強い。強すぎるくらいに強い。魔王とかワンパンで殺せると思う。いやマジで。おかしいだろ。
ニカンドロは、主人公らしい熱さだって原作通り十分に持っている。なのに、実力がまるで追いついていない。このままでは魔王に勝てない。というか、普通に殺される。でもそれでは困る。僕がここで死ぬ意味がなくなってしまうからだ。
だから、魔王を倒せる寸前まで追い詰めておく必要がある。あとはニカンドロが最後の一撃を決めればいい。
彼は世界を救った英雄になり、原作は感動の結末を迎える。
完璧だ。
僕はそのために、ここまで準備してきた。あとは魔王が現れるのを待つだけ。長かった。本当に、長かった。
「レイスさん。お願いです。私たちと一緒に来てください」
リズが僕の手を握った。
……あれ?
そういえば、原作ではこのあたりのシーンは描かれていなかった。ニカンドロたちは負傷した僕を残し、魔王のもとへ向かう。それだけだったはずだ。
早く行ってくれないと、もうすぐ魔王が来ちゃうよ?
「分かった。君たちだけで先に行って。僕は少し休んでから追いかけるから」
「駄目です」
「リズ……?」
「あなたは、私たちがいなくなったあと、1人で何かをするつもりなんでしょう?」
心臓が跳ねた。
いや、落ち着け。こいつらには何も知られていないはずだ。
「考えすぎだよ」
「だったら、私たちの目を見て言ってください」
リズの声は震えていた。ネッサも僕の腕を離そうとしない。
「あなたはいつもそう。自分のことになると、何も話してくれない」
「……」
「自分だけが傷つけばいいなんて、思っているんじゃないでしょうね?」
参ったな。どうして、そんなことを言うんだろう。僕は別に自分だけが傷つけばいいなんて思っていない。ただ、ここで僕が死ぬことが物語にとって必要なだけだ。
「俺はお前を置いていかない」
ニカンドロが僕の前に立った。
「お前が動けないなら、俺たちもここに残る」
「それじゃあ、魔王を倒せないよ」
「それでも構わない!」
駄目だ。それでは困る。君は英雄とあがめられ、勇者の称号を得なければいけないんだ。僕がここまでやってきたことを、無駄にしないためにも。
……おかしい。
僕の打った布石は完璧だったはずなのに。
ニカンドロを勇者にするための準備も、リズとネッサを彼の仲間にするための根回しも、ここで僕が退場するための仕込みも、全部うまくいっていたはずだ。
なのに、どうして誰も先へ進んでくれないんだ?
そのとき、回廊の奥から重苦しい魔力が流れ込んできた。
来た。魔王来ちゃったよおォオオオオオオオ、オイ!
いや、待って。まだ3人がここにいるんだけど。
どうしよう。原作と違う。どこで間違えたんだろう。こんな状況だというのに、僕はそんなことばかりを考えていた。
……思い返してみよう。
僕が異世界転生した、あの日から。




