第9話 袖に触れた剣先
雨が上がった朝、レオンは毛布の中で目を覚ました。
身体は、昨夜横になったままだった。
起き上がって両腕を伸ばす。しっかり眠ったせいか、頭がすっきりしていた。木剣を手に取ったが、物置の中では構えず、そのまま外へ出た。
軒下の乾いたところで、一度だけ振る。
剣先は、思ったところを通った。
足を引いても、踵はぶつからない。
「……なくなってない」
ロルフの言ったとおりだった。
レオンは木剣を下ろし、朝食の支度を手伝うために家へ戻った。
*
宿屋へ届ける薪は、いつもの倍近くあった。
ガルドが荷車を引き、レオンが後ろから押す。ぬかるんだ道で車輪が沈み、何度か止まってしまった。
「いっぺんに押すぞ。せーの」
声に合わせ、両足で地面を踏む。
車輪が泥から抜けた。
勢いよく前へ動いた荷台へ顔をぶつけないよう、レオンは手を離して足を止めた。
「よし。助かった」
ガルドが振り返った。
レオンは泥のついた靴を見た。少し疲れたが、重い荷車が動いたことがうれしかった。
宿屋に着くと、ロルフが薪を下ろすのを手伝ってくれた。
「今日は、俺も早く終わらせたいからな」
「何かあるんですか」
「お前と、少し打ち合う」
薪を抱えたまま、レオンは顔を上げた。
*
裏庭の一角は、日が当たって乾いていた。
ロルフは自分の剣を鞘ごと外し、井戸のそばへ置いた。手には、先の尖っていない棒を持っている。
「頭と指は狙うな。強く当てる必要もない」
「はい」
「途中で止めと言ったら止まれ。危ないと思ったら、お前も言え」
レオンはうなずき、木剣を構えた。
以前、肩へ向けて振ったときは、一度も届かなかった。今日も、簡単には触れられないだろう。
それでも、昨日までに教わったことを試したかった。
「始めるぞ」
ロルフが棒を上げた。
近づいてくる。
レオンは一歩下がった。相手の胸から目を離さず、棒の動きも視界に入れておく。
棒が肩の方へ動いた。
木剣で受けようとしたが、持ち上げたときには、もう胸を軽く突かれていた。
「まず一本」
レオンは唇を結んだ。
肩へ来ると思った。けれど棒は途中で向きを変えた。
「今の、分かりませんでした」
「全部分かったら、教えることがない。次だ」
*
二度目は、下がるのが遅れた。
三度目は、木剣を払われた。
四度目は、後ろの水たまりを気にして横を見てしまい、その間に腕へ棒が触れた。
ロルフはそのたび、何が起きたかを短く教えてくれた。
レオンは構え直した。
光の板を使えば、もっと速く振れるかもしれない。
だが、一度振り始めたあと、ロルフが横へ動いたら追えない。犬のときと同じになる。
今は、腕を任せてはいけない。
木剣の柄を握り、相手を見る。
ロルフの右足が前へ出た。
レオンは下がった。棒は追ってこない。そこで止まる。
次の一歩が来たので、もう一度下がった。
棒の先が、上着の前を通った。
届かなかった。
「よし、今のは――」
ロルフが言いかけたとき、レオンは前へ足を運んだ。
棒が引き戻される。その手を追うのではなく、さっきまで近くにあった袖へ、木剣を下ろす。
剣先が、布をかすめた。
「止め」
レオンは腕を止めた。
ロルフの棒は、胸のすぐ前にあった。
もう少し動いていたら、また突かれていただろう。
「……当たりましたか」
ロルフは自分の袖を見た。
「触れたな」
レオンは木剣の先を見つめた。
ほんの少し、布に触れただけだ。相手はゆっくり動いてくれていたし、話しかけてもいた。
それでも、初めてだった。
*
井戸のそばで休みながら、レオンは何度もさっきの動きを思い返した。
下がったあと、ロルフの袖が遠ざかる前に近づいた。考えてから動いたというより、剣先が届きそうだと分かったから、足が出た。
「あそこで行けると思ったのか」
ロルフに尋ねられ、うなずいた。
「枝に触るときと、同じくらいの遠さでした」
「そうか。距離の練習をした甲斐があったな」
「でも、もう少しで胸に当たってました」
「ああ。俺の棒はまだ動いてた。触ったあとも、相手を見てないといかん」
レオンは自分の胸を見た。
届けば終わりだと思い、剣先だけを見てしまった。
「じゃあ、触ったら下がればいいんですか」
「下がれるならな。壁があったら、どうする?」
犬を前にして、荷車まで追い詰められたことを思い出す。
「……周りも、見ます」
「そうだ」
ロルフは器の水を飲み干した。
「今日はここまで。明日で俺の滞在は最後だからな」
レオンは顔を上げた。
「もう、出発するんですか」
「明後日の朝だ。商人の護衛だから、いつまでもここにはいられん」
裏庭が、急に静かになった気がした。
聞きたいことは、まだたくさんある。
今日も、たった一度触れただけだ。そのあとどう動けばいいのかも、まだ分からない。
レオンは膝の上で両手を握った。
「明日も、来ます」
「ああ。今日のを、忘れないうちにもう一度やろう」
ロルフが立ち上がった。
レオンも木剣を手に取る。
袖に触れたかすかな手応えを、忘れないように握り直した。




