第10話 次に見せる剣
最後の稽古の日、レオンは宿屋の裏庭へ少し早く着いた。
ロルフは荷物をまとめていた。畳んだ衣服を袋へ押し込み、口を紐で縛っている。
井戸のそばには、昨日使った棒が置かれていた。
「仕事は終わったのか」
「はい。ガルドさんに、行ってこいって」
「じゃあ、始めるか」
ロルフは袋を脇へよけ、棒を手に取った。
レオンも木剣を構える。
昨日、袖へ触れたときの動きを思い出した。あのときと同じように下がり、相手の棒が通り過ぎたところで近づけばいい。
ロルフが前へ出た。
一歩下がる。
棒が動いた。
レオンは前へ足を運んだ。
胸に、棒の先が触れた。
「昨日と、同じになると思ったか」
ロルフが棒を引く。
レオンは木剣を下ろした。
「……はい」
「今のは、まだ通り過ぎてなかったぞ」
昨日の動きを、うまくできるようになりたかった。そればかり考え、目の前の棒を見ていなかった。
レオンは息を吸い、構え直した。
*
次も、その次も、木剣は届かなかった。
袖を狙って近づくと、棒に止められる。棒を気にして下がり続けると、何もできないまま裏庭の端へ寄ってしまった。
レオンは足を止めた。
「止めます」
ロルフが棒を下ろす。
「どうした」
「後ろに、薪があります」
踵のすぐ先に、積まれた薪があった。昨日の雨でぬかるんでいた場所を避けるうち、そちらへ寄ってしまったのだ。
ロルフは薪を見てから、うなずいた。
「気づいたならいい。真ん中へ戻ろう」
レオンは裏庭の中央へ歩いた。
戻りながら、井戸と、薪と、建物の壁の場所を確かめる。広いと思っていた庭にも、下がれないところがいくつもあった。
今度は、最初に周りを見てから構えた。
ロルフが近づく。
一歩下がる。棒が伸びたので、木剣を合わせた。木と木が触れ、指に軽い振動が伝わる。
すぐには振り返さなかった。
棒は、まだ目の前にある。
ロルフが手首を返した。木剣が横へ押される。そのまま肩を触られた。
「終わりだ」
レオンは息を吐いた。
結局、一度も触れられなかった。
*
「昨日より、下手になりましたか」
井戸のそばで水を飲んでから、レオンは尋ねた。
ロルフは濡れた手を布で拭いた。
「昨日は、俺が話しかけたときに来たろう。今日は、それを待ってた」
「じゃあ、あれは……」
「ちゃんと触れた。だが、一度できたことが、次もできるとは限らん」
レオンは木剣を膝へ載せた。
「今日は、一度も」
「ああ。でも、薪にぶつかる前に止めた。最後は、棒が残ってるのを見て、無理に振らなかったな」
ロルフは裏庭を見渡した。
「俺はそれを、昨日より悪くなったとは思わんよ」
レオンも、さっき立っていた場所へ目を向けた。
犬のときは、背中が荷車に触れるまで気づかなかった。今日は、ぶつかる前に止まれた。
剣が届かなかったことばかり考えて、それを忘れていた。
「ひとりになったら、何を練習すればいいですか」
聞きたかったことを、ようやく口にした。
ロルフはレオンの木剣を指した。
「振り方と足の運びは、今までどおりでいい。ときどき止めて、最初と同じようにできてるか確かめろ」
「はい」
「距離を見る練習も続けろ。だが、木の枝に当たったからって、動く相手にも当たると思うなよ」
レオンはうなずいた。
その違いなら、今日も何度も教わった。
「また、見てもらえますか」
ロルフが顔を向けた。
「次にこの道を通ったらな。いつになるかは、荷主次第だが」
「待ってます」
「俺が来るまで、怪我をせずに働いてろ」
大きな手が、レオンの肩を軽くたたいた。
*
翌朝、馬車が宿屋の前へ並んだ。
レオンはガルドと一緒に、ロルフを見送りに来ていた。袋にくくりつけた木剣は、初めて会った日と同じものだ。
ロルフは馬の鞍を確かめ、こちらへ歩いてきた。
「教わったこと、覚えてるか」
「足元ばかり見ないこと。相手が動く前に、勝手に決めないこと。それから……」
いくつも言おうとして、言葉が詰まった。
ロルフが笑った。
「一度に全部やろうとせんでいい」
「でも、忘れたら」
「練習して、できなかったところを思い出せ。俺に言われたときより、よく覚える」
馬車の方から声がかかった。
ロルフは片手を上げ、馬へ向かった。
「ありがとうございました!」
レオンが頭を下げると、馬に乗ったロルフが振り返った。
「またな、レオン」
車輪が回り始めた。
馬車のあとを、ロルフの馬がゆっくり進んでいく。レオンは姿が見えなくなるまで、その場に立っていた。
*
家へ戻ると、ガルドが薪の束を指した。
「さて。こっちは、いつもの仕事だ」
「はい」
レオンは袋を下ろした。
薪を運び、斧を拭く。昼食のあとには、庭の端を片づけた。
ガルドには、そこで剣の稽古をしていいと言ってもらった。人の通り道から外れ、積んだ薪にも届かない場所だった。
木剣を握り、ゆっくりと振る。
何度か繰り返してから、止まった。
肩に力が入っている。もう一度構え、息を吐いて振り下ろす。
今度は、いつものところを剣先が通った。
次は足だ。
一歩下がり、元へ戻る。目を伏せずに動き、靴底が引っかからないことを確かめた。
ロルフはいない。直してくれる声も聞こえない。
それでも、確かめるところは覚えていた。
「そろそろ、飯にするぞ」
ガルドの声に、レオンは木剣を下ろした。
夕食を終えてから、もう一度、庭へ出る。
少しの間、素振りを繰り返し、足元と腕の動きを確かめた。その夜は、ガルドが見ている前で、眠っても剣を振り続けられることを話した。
信じてもらうまでには、何度か動かして見せなければならなかった。
「便利なもんだが……庭で寝るのは、冷えるぞ」
心配されたのは、そこだった。
レオンはうなずいた。
夜の稽古をどこでするか。それも、これから考えなければならない。
その晩は、物置の毛布へ戻った。
壁に立てかけた木剣を見る。
次にロルフが来たとき、また構えてみろと言ってもらいたい。そのときは、今日よりうまく動きたい。
レオンは明日練習することを一つだけ決めてから、目を閉じた。




