第6話 剣先までの距離
廃屋へ戻ると、レオンは木剣を持ったまま立ち止まった。
昨日までと同じように振ろうとして、ロルフの差し出した枝を思い出した。届かなかった一振り。近づきすぎて、胸を触られた一歩。
ただ振っているだけでは、あの距離は覚えられない。
レオンは床に落ちていた細い木片を拾った。壁の板の隙間に差し込んでみたが、少し触れるだけで抜け落ちてしまう。何度か場所を変え、ようやく胸の高さで留まるところを見つけた。
木片の先へ、ゆっくりと木剣を下ろす。
届かない。
半歩寄ると、今度は木剣の先よりも内側が当たった。
「少しだけ、近づけばいいんだ」
足元を見ながら位置を直す。三度目で、先端同士が軽く触れた。
レオンはその場所の埃を靴で払い、小さな印を作った。
そこから振れば、届く。
けれど、印を見て立ったのでは、相手との距離を覚えたことにはならない。
いったん離れ、今度は木片だけを見て近づいた。ここだと思ったところで足を止める。
木剣を下ろすと、また届かなかった。
「……難しいな」
それでも、どう失敗したかは分かる。レオンは足元の印を見て、思っていたより手前で止まっていたことを確かめた。
*
次の日、薪運びを終えたレオンは、ガルドと宿屋へ向かった。
ガルドは荷車を返す用事があるという。宿屋の裏庭では、ロルフが革の手袋の縫い目を確かめていた。
「来たか。昨日の続きをやるか」
「はい!」
ロルフは枝を拾い、片手で横に持った。
「まずは、ここへ届くところに立て」
レオンは近づき、足を止めた。腕を伸ばしたらどこまで剣先が行くか、昨夜の木片を思い浮かべる。
振り下ろすと、かすかな音が鳴った。
木剣の先が、枝に触れていた。
「よし。じゃあ、もう一度」
ロルフが枝を持つ腕を引いた。
レオンは一歩寄った。今度も、剣先が触れた。
うれしくなって顔を上げると、ロルフはもう枝を動かしていた。さっきより少しだけ遠い。
レオンは同じ幅で近づいた。
木剣の先が、枝の下を通った。
「今のは、足を動かしすぎだ」
ロルフは枝を下ろした。
「毎回、同じ一歩で届くわけじゃない。遠さが違うからな」
「はい……」
「見た分だけ動くんだ。大きな一歩が要るときも、靴一足ぶんで足りるときもある」
レオンはうなずき、元の場所へ戻った。
今度はすぐに動かず、枝の先を見た。木剣の長さと比べる。足を少し寄せてから、ゆっくり振り下ろす。
こつ、と小さな音がした。
*
何度か続けるうちに、レオンの息が弾み始めた。
腕だけなら、それほど疲れない。だが、離れた場所から近づいて止まり、振ってからまた戻ると、脚が重くなってくる。
ロルフが井戸を指した。
「一度、水を飲め」
「まだ、できます」
「さっきから後ろの足を引きずってる。今それを覚えると、明日も引きずるぞ」
レオンは自分の足を見た。
確かに、最後の数回は、前の足だけで近づいていた。剣先を枝へ当てることばかり考えて、足元に気を配れなくなっていた。
井戸の水を飲み、縁に腰を下ろす。
「お前、言われたことをずっと繰り返すのは得意なんだな」
ロルフが隣に立った。
レオンは器を両手で持ち直した。
「同じことなら、たくさんできます」
「そいつはいい。けど、うまくいかないまま続けるなよ」
ロルフは枝で地面に線を引いた。
「この線が曲がってるのに、上から何度なぞっても、まっすぐにはならんだろ」
曲がった線の上を、枝の先がもう一度通る。
レオンはその跡を見つめた。
昨夜、木片に届かない振り方を、そのまま眠るまで続けていたら。朝には、届かない動きがもっと得意になっていたのだろうか。
「……先に、直さないといけないんですね」
「そういうことだ」
*
廃屋へ帰ったレオンは、壁から木片を抜いた。
昨日の印も、靴で消す。
同じ場所に立って同じところを狙うだけでは、宿屋の庭で教わったことを確かめられない。木片を別の隙間に差し、何歩か離れた。
近づく。足を止める。ゆっくり振る。
剣先が触れたら、また場所を変えた。
高いところ、低いところ。遠くから近づいたときと、すぐそばから少し離れたとき。
失敗したら、どこが遠かったのか、足を動かしすぎたのかを確かめる。
陽が落ちるころ、レオンは木剣を下ろした。
昨夜より、素振りの数はずっと少ない。それでも、木剣がどこまで届くか、少し分かるようになっていた。
夕食のパンを食べながら、光の板を呼び出す。
眠っている間にもできることはある。だが、今やっていたように、失敗するたび直す稽古は、自分で起きてやらなければならない。
「昼に覚えて、夜に繰り返す……」
レオンは小さくつぶやいた。
食事を終えると、床を片づけた。足を動かしても何も踏まないことを確かめ、木剣を構える。
一歩下がり、元へ戻る。
膝を伸ばしきらず、後ろの足も引きずらない。ロルフに直してもらった動きができたところで、光の板へ意識を向けた。
『一歩下がって元の位置に戻る』
身体が動き始める。
しばらくは眠らず、足の運びを確かめた。教わったとおりの動きが続いている。
レオンは、ようやく目を閉じた。
明日、ロルフにもう一度見てもらおう。
今夜の稽古が終わったあと、自分では気づけなかったところを、教えてもらうために。




