第32話 見たときにはあった布
右手が上がり始めたところで、ガルドが布を取った。
レオンの手は、そのまま頭の横まで上がった。
台の上は、もう空だった。
「今、なくなったんですけど」
自分の手を見ながら言う。
「上げる途中だったからな」
ガルドの声に続いて、右手が下りた。
次には、左手が上がった。
レオンはフルオートを止め、光の板へ目を向けた。
*
『if』の行まで来ると、条件に合うかを確かめ、進む先が分かれる。
説明を読み直し、レオンは実際の手の動きを思い出した。
右手を上げる方へ進んだ後で布がなくなっても、左手へ切り替わるわけではない。手を下ろし、最初へ戻ったときに、また台を見る。
「ずっと見て、変えてくれるんじゃないんだ」
小さく言ってから、ガルドへ布を渡した。
「もう一度、お願いしてもいいですか」
今度は布のないところから始める。
左手が動きだした後で、ガルドが布を置いた。
やはり左手は上がりきり、下りた。次は右手だった。
レオンはうなずき、止めた。
相手が動いたら、途中でも何でも合わせ直せるようになったわけではない。
分かれ道へ来たときに、どちらへ行くかが決まるのだ。
*
午前の薪を届けた後、レオンはトーマを庭へ呼んだ。
布を置いた台と、手を上げるところを見せる。
「順番が変わったのか?」
「布があるときは右だけ。ないときは左だけなんだ」
トーマは台を見た。レオンに言われた通り、布を置いたり、取り除いたりする。
両手が違う順番で上がるのを見ると、少し口を開けた。
「それ、俺の剣にも合わせられるんじゃないか」
レオンも、そのことは考えていた。
高い剣なら高く受け、低い剣なら低く受ける。
だが、ガルドが布を取ったときには、動きは途中で変わらなかった。
「たぶん、途中で剣の向きが変わったら、そのまま動いちゃう」
話すと、トーマは自分の木剣へ手を置いた。
「じゃあ、最初は打たずにやるか」
*
いきなり木剣を合わせるのはやめた。
トーマが身体の前で布を持ち上げる。レオンは、朝の記述を書き換えた。
『if トーマの持つ布が見える:』
『 右手を上げて下ろす』
『else:』
『 一歩下がる』
『 元の位置へ戻る』
『else:』の下には、二つの動作を同じだけ下げて並べた。布が見えないときは、下がってから戻るところまで進む。
最後まで進めば、先頭へ戻る。布の見えない間は、下がって戻る動きが続いた。
見慣れた足運びだったが、自分で次を選んでいる感触はない。
トーマが布を上げる。
戻る途中だったレオンは、そのまま元の場所へ戻った。それから、手を上げた。
「今なら、踏み込めたな」
トーマが言う。
「うん。戻るところには、確かめる場所を置いてないから」
レオンは動きを止めた。
確かめるところを増やせば、変化には気づきやすくなるかもしれない。ただ、どの姿勢からでも同じように下がれるわけではない。
戻る途中で急に別の足を動かせば、足同士を近づけすぎることもある。
枝を切ったときには、全部を任せようとして、一本ずつ形が違うことに気づいた。今度は、動きの途中にいる自分の姿勢も違っている。
レオンは文字を直す前に、実際に半歩戻ったところで立ってみた。
そこから下がると、後ろ足へ体重が残った。
「同じ『下がる』でも、ここからじゃ違う……」
トーマは布を下ろして待っていた。
「俺も、戻る途中を狙われると弱いな」
そう言って、トーマも同じ姿勢を取った。二人でゆっくり歩き直す。光の板を見るだけでなく、足元を見る時間も必要だった。
*
昼には、分ける動きを変えた。
足は動かさず、次のように書いた。
『if トーマの持つ布が見える:』
『 両手を構えの位置へ上げる』
『else:』
『 両手を下ろす』
どちらも終えたところから、もう一度布を確かめる。
まずはこれで、分かれるところと戻るところを覚えたかった。
試していると、トーマが布を背中へ隠した。
レオンの手は下りた。
「なくなってはいないぞ」
「でも、僕からは見えない」
条件に置いたのは、布が見えているかどうかだった。トーマの後ろを見通して、持っているか調べるものではない。
レオンは説明を確かめ、光の板の文字を指でなぞろうとして、いつものようにすり抜けた。
何を確かめるのか。
見えたら、どこへ進むのか。
動いた後、どこへ戻るのか。
書いたつもりになっているところほど、試すと違いが出た。
*
「今日、眠らないのか」
裏口から宿屋の主人が声をかけた。
レオンは顔を上げた。トーマも、食堂の方へ目を向ける。
昼の片づけまで、ずいぶん時間を使ってしまっていた。
「今日は、前の足の稽古にします」
レオンはフルオートを止めた。
新しく分けた動きは、まだ布を持ってもらわないとうまく試せない。眠る間には、場所を変えずに繰り返せる、確かめ済みの動きを使うことにした。
トーマへ布を返してから、木剣を取る。
「午後、普通に合わせような」
「うん。新しい方も、少しずつ試したいけど」
「俺が布を持ってるだけじゃ、剣の練習にならないしな」
トーマは笑って、裏口へ戻っていった。
レオンは荷車置き場に立ち、いつもの動きを並べ直した。
分かれ道ができたからといって、トーマの次の剣が分かるわけではない。
けれど、朝には試せなかったことを、今日は二人で試せた。
木剣を構え、足の位置を確かめる。
昼寝から覚めたら、もう一度、相手の肩を見ながら剣を合わせるつもりだった。




