第31話 二つの動きの分かれ道
新しい木剣の腹に、小さなへこみがついた。
買ってから、ひと月ほどが過ぎていた。傷を指で確かめたレオンは、割れていないことを見てから、トーマへ向き直った。
「続けられる?」
「うん。お願いします」
木剣を合わせる。
トーマが横へ動くと、レオンも小さく足を運んだ。追いすぎない。正面を向き直ったところで剣が来る。
受けて、戻す。
二度目は低かった。レオンは木剣を下げたが、相手は途中で引き、もう一歩踏み込んできた。
肩に触れられ、息を吐く。
「今の、下まで振ってくると思った」
「そう思ってもらいたかったんだよ」
トーマは笑って、木剣を下ろした。
*
以前より、最初の一振りは受けられるようになった。
それでも、受けるつもりで動きだすと、途中で変えるのが難しい。低い剣へ合わせようとしている間に、高いところを空けてしまう。
相手の剣が必ず来るわけではないと、知っているはずなのに。
「俺も、この前お前に引っかかっただろ」
トーマが言った。
レオンはうなずいた。踏み込んだだけで相手が下がり、剣先が届かなくなったことがあった。その後を追うと、袖に触れられた。
うまくできたのは、毎回ではない。
こちらの踏み込みが浅すぎて、トーマが動かなかったこともある。追いかけている途中で打たれたこともあった。
「下がったら追う。下がらなかったら、別のことをする。言うだけなら簡単なのに」
「俺が何をするかも、分かんないしな」
二人は水を飲んでから、もう一度向き合った。
今度はトーマに先を譲らず、レオンから踏み出す。
剣を合わせられた。そこで、次を考える間に押し返された。
*
その日の昼寝には、踏み込んだ後に下がる動きと、向きを変えて構え直す動きを並べた。
光の板の上では、順番はいつも決まっている。
どちらを練習するかは、レオンが文字を置くときに選べる。だが、始めてしまえば、身体は両方を順に繰り返す。
目を閉じる前に、手首と足元を確かめる。
木剣を持ち替えてから、毎日続けてきたことだった。
眠りから覚めるころ、入り口の影は少し伸びていた。
レオンはフルオートを止め、木剣を拭いた。腕は疲れていなかったが、腹が鳴った。
宿屋の主人にもらったパンをかじり、午後の仕事へ戻る。
薪を納め、空の籠を重ねる。夕方にはガルドの家へ帰り、翌日の分を束ねた。
寝る場所と、働く場所と、稽古をする場所。
どれも分からなかった日のことが、今では少し遠く感じられた。
*
それから数日後の朝だった。
レオンは庭で光の板を開き、いつもの線を見失った。
文字が消えたわけではない。下へ続く空白が、ずっと増えていた。
目を向けると、次の線が現れる。さらにその下にも、まだある。
「また、増えた……?」
レオンは木剣を下ろした。
前に増えたときは、説明を読めるようになった。今回も、板の端の光へ意識を向ける。
『フルオート レベル4』
レオンは、その文字をしばらく見つめた。
剣術を得たと知らせる声は、聞こえていない。変わったのは、十歳の誕生日に授かった、自分のスキルだった。
扱える線も、二百五十六本へ増えていた。レオンは途中まで目を通して、最初へ戻った。空白を埋めるだけでは、よい稽古にならないことは知っている。
今まで残していた動きは、そのまま読めた。新しいものを試してうまくいかなくても、前の稽古へ戻ることはできそうだった。
説明の先に、新しい項目がある。
『条件分岐』
知らない言葉だった。
レオンが意識を向けると、条件に合う場合と、合わない場合で、進む先を分けられると分かった。
説明には、見慣れない短い文字があった。『if』の後に条件を書き、末尾に『:』を置く。その下へ、一段下げて、条件に合うときの動作を書くらしい。
合わないときの動作は、『else:』の下へ。別の条件も確かめたいときには、『elif』を間に挟めるという。レオンは、まず二つに分ける書き方だけを見直した。
ただ違う動作を順に並べるのではない。
どちらかを、選べる。
*
最初に思い浮かんだのは、今朝の水汲みだった。
桶に水が入っていれば運び、空なら汲む方へ回る。あるいは、枝が引っかかっていれば外し、引っかかっていなければそのまま置く。
レオンは途中で考えるのをやめ、説明へ戻った。
運ぶことも、枝を外すこともできる。けれど、どう分けるかを曖昧にしたまま、斧まで持たせるのは早い。
まず、どちらへ進んだかが分かるものが欲しかった。
納戸から布切れを一枚持ってくる。
庭の端の台へ広げてから、光の板へ文字を置いた。
『if 台に布が見える:』
『 右手を上げる』
『else:』
『 左手を上げる』
『両手を下ろす』
動作を書く位置を、一段下げる。それも書き方の決まりだった。最後の行は下げずに置き、どちらの手を上げた後も、両手を下ろすようにした。
説明と見比べて、条件と動作の位置を確かめる。最後まで進めば、また先頭の条件へ戻る。
木剣は壁際に置いてある。
レオンは台の前で、フルオートを動かした。
右手が上がった。
下りて、また右手が上がる。
自分の意思で止めてから、布を取り除いた。
もう一度、動かす。
今度は、左手が上がった。
レオンは思わず声を上げ、それから手を下ろす身体を見た。
並んでいた二つの動きのうち、片方だけが選ばれていた。
「何してるんだ」
戸口で、ガルドが空の桶を持っていた。
レオンは止め、台と自分の手を交互に見た。
「布があるかどうかで、動きが変わったんです」
言ってから、もう一度、説明の文字へ目を向けた。
これがどこまで使えるのかは、まだ分からなかった。




