第17話 剣を持たない四日間
翌朝、レオンは着替えの袋を持ち上げかけ、指を緩めた。
手のひらが、まだ少し痛い。
木剣を握ったらどうなるか、試したくなった。けれど、壁へ伸ばしかけた手を下ろし、先に朝食の席へ向かった。
ガルドは、その手を見た。
「今日は、薪を持つのもやめとけ」
「歩くのは、できます」
「なら、宿屋へ伝言だ。薪は午後に持っていくと言ってきてくれ」
レオンはうなずいた。
働けないから寝ていろと言われなかったことに、少しほっとした。
*
宿屋の裏では、菜園の男が柵を直していた。
新しい木を立て、縄で古い柵へ結びつけている。角兎が通った穴は、もう塞がれていた。
レオンが主人へ伝言を終えると、トーマが顔を出した。
「手、どうだ」
「まだ、握ると痛い」
「俺はもう平気だけど、叔父さんに今日はやめとけって言われた」
トーマの手にも、赤い跡が少し残っていた。
二人とも木剣は持っていない。
いつもなら構えを確かめている時間に、庭の端へ並んで立った。
「何も持ってないと、変だな」
トーマが指を開いたり閉じたりした。
レオンは庭の真ん中を見た。
「足だけ、動かしてみない?」
「打ち合いは、しないぞ」
「うん。僕も、できない」
レオンは両手を身体の脇へ下ろしたまま、片足を引いた。
前の足を寄せ、そこから元へ戻る。
木剣を持たなくても、足は同じように動いた。
*
昼前に、町から衛兵が一人来た。
宿屋の主人が、角兎のことを知らせていたらしい。衛兵は柵と地面を見てから、菜園の男の話を聞いた。
レオンたちは、庭の隅で待っていた。
「お前たちも、ここにいたのか」
呼ばれ、二人でうなずく。
「どっちから来て、どっちへ逃げた?」
トーマが畑を指した。
レオンは、角兎が最初に飛び出したところへ目を向けた。
「来たのは、あっちの低い柵です。そのあと籠にぶつかって、裏口の方へ行きました。逃げたのは、今、直しているところからです」
衛兵は足元の土を見た。
「同じ穴を出入りしたわけじゃないんだな」
「はい」
短い棒で地面に印をつけ、もう一度、畑の方を見ている。
「最近、ほかにも作物を食われた家があるそうだ。周りを見ておく。見つけても、お前たちで追いかけるなよ」
トーマが口を開いた。
「また、来るんですか」
「分からん。だから調べる」
衛兵は、レオンたちの手元へ目を落とした。
「木剣で角を受けたと聞いた。よく指を離さずに済んだな」
レオンは、赤い手のひらを隠しかけた。
衛兵は叱るような声ではなかったが、ほめてもいなかった。
「次は、まず呼べ。人を中へ入れたら、扉を閉めるんだ」
「はい」
二人で返事をした。
衛兵は菜園の男を連れ、畑の向こうへ歩いていった。
レオンはその背中を見送った。
追い払ったら、それで終わりではなかった。どこから来たかを調べ、また入らないように柵を直す人がいる。
自分が木剣を置いている間にも、動いている人がいた。
帰る前、母親と通りかかったミナが、小さく手を振った。レオンも、痛くない方の手を上げる。今日は扉の陰に隠れていない。その顔を見てから、ガルドへの帰りの伝言を受け取った。
*
その日の午後、レオンは荷車小屋へ入った。
箒を持つのはガルドに止められていたので、足元へ落ちていた長い藁だけ、痛くない方の指で拾った。
空いたところへ立ち、光の板を呼び出す。
『一歩下がって元の位置に戻る』
身体が、ゆっくりと動き始めた。
腕は下ろしたままだ。指にも、痛みは出ない。
レオンは何度か目を開けて確かめてから、まぶたを閉じた。
いつも聞こえる風切り音はなかった。
靴底が土をこする音だけが、足元で続いている。
木剣を持てなくても、できる稽古は残っていた。
*
二日目には、痛みが少し薄れた。
三日目、朝食の器を両手で持っても、気にならなくなった。
レオンはまだ木剣を振らなかった。昼は足を動かし、夕方にはトーマと、角兎の前でどう動いたかを話した。
「最後、お前までこっちへ振ってきたら、ぶつかってたな」
トーマが言った。
「うん。だから、止めた」
「俺は自分の前しか見てなかった。お前が下がったから、動けたんだと思う」
レオンは自分の手を見た。
角に触れたときの重さは、まだ思い出せる。けれど、今はそれだけではなく、横へ寄ってきたトーマの足も思い出せた。
怖くて見えていないつもりでも、覚えていることはあった。
*
四日目の朝、ガルドが木剣を手渡してきた。
「持ってみろ。痛けりゃ、今日はまだやめだ」
レオンはゆっくり握った。
新しい紐が、指へ触れる。
軽く力を込めても、痛みはなかった。
庭で、一度だけ振ってみる。
剣先が正面を通り、腕が戻った。
「どうだ」
「痛くないです」
「なら、少しずつだな」
レオンはうなずいた。
すぐに百回、千回と振りたい気持ちはあった。だが、まずは十回だけ。自分の意思で振り、手を開いて確かめる。
大丈夫だった。
木剣を下ろし、一歩下がって戻る。
手を休めていた間も繰り返した動きが、足の裏から伝わってきた。
レオンはもう一度、構えた。
四日ぶりの木剣は、忘れられた道具ではなく、ようやく手元へ戻ってきたもののように感じた。




