第15話 畑から来たもの
トーマの後ろ足は、前よりも早く寄ってきた。
レオンが木剣を戻したときには、もう相手の構えが整っている。袖へ伸ばした剣先を受けられ、代わりに肩を触られた。
「今日は、こっちだな」
トーマが木剣を下ろした。
「うん。前より、足が早い」
「お前が寝てる間に、俺だって練習してるからな」
言われて、レオンは少し笑った。
一本取れたあとも、自分だけがうまくなるわけではない。トーマは、触られたところを覚えて直してきた。
今度は、その動く相手へ届くように考えなければならない。
レオンは新しい紐を巻いた柄を握った。
「もう一度」
「ああ」
二人は宿屋の裏庭で、木剣を構え直した。
*
昼の稽古を終えるころ、小さな女の子が母親に連れられて来た。
女の子はレオンを見ると、母親の手を引いた。
「あのお兄ちゃん」
声に振り返り、レオンは目を見開いた。
犬に追われ、荷車の陰でパンを抱えていた子だった。
「この前は、ありがとうございました」
母親が頭を下げた。女の子も真似をし、両手に持った包みを差し出してくる。
「ミナが、渡したいと言って。焼いた豆です。少しですけれど」
レオンは慌てて木剣を下ろした。
「でも、僕は……」
追い払えたのはガルドが来てくれたからだ。そう言いかけたところで、女の子が包みをもう少し持ち上げた。
「お兄ちゃんに」
レオンはしゃがみ、包みを受け取った。
「ありがとう」
ミナは母親の隣へ戻り、少しだけ笑った。
母親は宿屋の主人へ野菜を届けに来たらしい。裏口のそばへ籠を下ろし、主人と話し始めた。
レオンは受け取った包みを袋へしまった。
「知り合いか?」
トーマに聞かれ、うなずく。
「前に、犬に追われていたんだ」
「助けたのか」
「僕は、前に立ってただけ。あとからガルドさんが来てくれた」
トーマは庭を見てから、木剣を布で拭き始めた。
「来るまで、前にいたんだろ」
レオンは返事をせず、袋の口を結んだ。
あのときの自分は、怖くて、どうすればいいか分からなかった。
けれど、ミナが覚えていたのは、それだけではなかったらしい。
*
宿屋の裏手には、小さな菜園があった。
トーマはそこで働く男に呼ばれ、抜いた草を籠へ集めに行った。レオンも木剣を壁際へ置き、手伝うことにした。
向こうの畑から、男の怒鳴り声が聞こえた。
鳥でも追っているのかと思った。
だが、次に聞こえたのは、硬いものが折れる音だった。
「そっちへ行ったぞ!」
顔を上げたレオンの目に、茶色い塊が映った。
畑を分ける低い柵の下から、獣が飛び出してくる。犬ほどの大きさで、長い耳があり、額から短い角が伸びていた。
折れた枝が毛に絡み、跳ぶたびに揺れている。
「角兎だ!」
トーマが籠を置いた。
レオンも立ち上がる。
名前だけは、本で読んだことがあった。畑を荒らす魔物の一種だ。絵では普通の兎に小さな角があるだけに見えたが、目の前のものは、抱き上げられる大きさではない。
菜園の男が長い鍬を持ち、通路へ立った。
「近寄るな。中へ入れ!」
レオンはすぐに建物を見た。
裏口では、ミナの母親が娘の腕を引いていた。宿屋の主人が扉を押さえ、二人を中へ通そうとしている。
その手前へ、角兎が跳んだ。
レオンは息をのんだ。
鍬の柄が、地面をたたく。
獣は音を避けるように向きを変え、積んであった空の籠へぶつかった。籠が転がり、ミナが足を止める。
母親は娘を抱き上げようとしていた。
間に合ってほしい。
そう思いながら、レオンは壁際の木剣を取った。
*
「レオン、待て」
トーマも木剣を持っていた。
レオンは足を止めずに振り返った。
「裏口へ、行かせたくない」
トーマが獣と扉を見比べる。
「俺が叔父さんの方へ回る。お前、近づきすぎるなよ」
レオンはうなずき、木剣を正面へ向けた。
獣へ打ちかかるつもりはなかった。ミナたちが扉へ入るまで、向きを変えさせたい。
裏口までは、あと数歩だった。母親がミナを抱き寄せるのが見える。レオンはその二人と獣の間へ、剣先の届く場所だけを残して立った。足を広げすぎないように、靴底で土を確かめる。
だが、角兎は木剣を見ると、低く身をかがめた。
剣技場の相手とも、トーマとも違う。
どこを狙ってくるか、構えからは分からない。耳が後ろへ倒れ、前足が土をかいた。
レオンは一歩下がった。
あの犬のときのように、大きく振ってはいけない。外せば、戻している間に近づかれる。
角兎が跳んだ。
レオンは木剣を斜めに出しながら、もう一歩下がった。
角が木に触れ、がつんと音が鳴る。
思っていたより重かった。
柄を握る指が痛い。剣先が横へ流れ、角兎が足元をかすめて通った。
レオンはすぐに向き直った。
追いかけて振らない。戻ってくる相手を見る。
「ミナたちは入った!」
トーマの声が聞こえた。
レオンは扉を見たくなったが、目をそらさなかった。
角兎が、こちらへ向き直っていた。
長い耳の向こうに、庭の入口が見える。
そこに、熊手を持ったガルドが駆け込んできた。
「追い込むな! 畑へ戻る方を空けろ!」
レオンは荒い息を吸った。
下がる先を、一度だけ確かめる。
今度は、背中のすぐ後ろに荷車はなかった。




