第7話 記憶
目を覚ました時、ブナはがっかりした。
良い主人だと思っていた男は主人ではなく、どうやら使用人で、本当の主人は別にいた。
白い髭を蓄えた、身なりのよい老人が自分のことを覗き込んでいた。
手には高級そうなコップと皿を持ち、何やら飲んでいる。
「おお。予想通りの時間だ。経過もすこぶる良い。これなら予後も問題なさそうだ。さすがだねえ」 そう言った。
「ありがとうございます。しかし無理はさせないでくださいよ」
主人だと思っていた男は、数歩後ろに下がった状態で老人と自分を見ていた。
ブナには会話の内容はいまいち理解できない。
しかし、立ち位置や、片方だけが高価そうな飲み物を口にしていること、口調、着ている物などから、どちらが身分が高いのかを、条件反射のように察知した。
なんだ。
目の前の老人が主人で、ヨウムと名乗った男は使用人。
主人に言われて自分の面倒を見ていただけなのか。
ブナは老人を注視する。
見極めなくてはならない。
相手はどのような人間なのか。主人は何を求めているのか。
生きるために。
ブナの身体はまるで凍ったように硬く感じた。動かすたびに痛むのを堪えて、何とか上半身を起こした。
*
「さて、娘さんや。名前を聞かせてくれないか?」
シーモアはこの日を楽しみにしていた。
「エバンと……」
「違う」
後ろにいたヨウムが話を遮り、娘に対して首を振る。
「ブナです」
娘は言い直した。
「ふむ? エバンと言わなかったか?」
「はい。ドレイ……です」
「違う」
ヨウムがまたしても遮る。
「あの……違う。ます」
娘は首を傾げながら答える。
「報告書にはなかったが?」
シーモアはヨウムに確認する。
「必要ないことかと」
ヨウムは無愛想な態度で返してきた。
シーモアはブナに向き直り質問を続ける。
ブナが覚醒しているわずかな時間に確認しておきたいことは山ほどある。
時間が惜しい。
「こちらの言葉はどれくらい分かる?」
「少し……」
「なぜ隣の大陸の君が、こちらの大陸のミスの中にいた? なぜそこまで患った?
魔術について、いかほど理解している?
今までどのような暮らしを?
家族もそんなに魔力持っているのか?
年齢は?」
娘は答えない。
理解が追いつかないから、うまく順序立てて答えられないのだろう。
「埒が明かぬと思わないか?」
シーモアはそう娘に問うと、答えを待たずに娘を目掛けて魔力を叩き込み、無理やり術を展開した。
ブナは前に突っ伏して倒れ込む。かなり目眩がするはずだ。
「学長」
ヨウムが眉間に皺を寄せ睨んでくる。
「これが一番早いだろう?」
シーモアは悪びれずに言ってのけた。
展開した術は、口から出る思考、胸の内を言の葉に乗せるものだ。
これであれば、ブナがどの言葉で話そうと煩わしさなく話が聞ける。
ブナは何とか体勢を整え直し、話し始めた。
*
うちは裕福ではありませんでした。
そのため、両親は私が生まれてとても喜んだそうです。
魔力を持った子は奴隷として高く売れるので、神からの賜物だと思ったそうです。
妹も弟も魔力はありません。
わえんじの地域は皆、魔力を持っていません。
ですから、自分の持っている魔力についてはよく分かりません。知る機会はありませんでした。
七歳よりも下の年齢は奴隷として売ってはいけないので、それまでは家で育ちました。
七歳の誕生日に売られました。
父と母はこれでよい家に引っ越せると喜びました。
妹と弟は学校に行けると喜んでいました。
一番目の主人は山を越えた街の富豪でした。
祭事を扱うとかで、山奥の祭壇に置き去りにされました。
それ以来、手足がだんだん黒くなり、動かすと痛むようになりました。
ある日、迎えが来ました。迎えは大変驚いていましたが喜んでいました。
また別の祭壇に連れていかれ、置き去りにされました。
置き去りにされるたびに身体は黒くなり、痛みも強くなりました。
ある日、馬車の荷台に積まれ、賑やかな街に連れて行かれると、また売られました。
とても高く売れたと喜んでいました。
サツキが咲くのを二回見た後なのでおそらく……九歳の時かと。
暗算ができないのか、ブナは指を折って数えながら答えている。
二回目の主人は良い主人でした。
毎日ご飯が食べられました。
病弱だったお嬢様の世話をすることが仕事でした。
ですが、私は病気がちになり、いつも熱や咳、震えがありました。
血も吐くようになりました。
身体が全身真っ黒になりました。
そのうち、お嬢様はとても元気になられて、主人はとても喜んでいました。
良い買い物をしたと言っていました。
ただ、お嬢様が怖がるからと、また売られました。
冬を二回越したので十一歳のころかと。
三回目の主人は感情の起伏が激しい人で、恐い人でした。
手下がたくさんいました。
何人かの人と牢の中で過ごしました。
ご飯はあまりもらえませんでした。
毎日皆で外で働きました。
とても高価な石を探して掘りました。
私はよく見つけられると手下が喜んでいました。
ですが身体があまり動かなかったのでいつも誰かに蹴られていました。そこで、ここの大陸の言葉を覚えました。
夏を一回越したので十二歳の頃かと。
ある日、また売られて、そのまま白い、丸いゆらゆら揺れるものの中に入らされました。
身体が引きちぎれて、バラバラになりました。
血も溢れて、皮膚も骨も焼けてなくなりました。
どれくらいの時間を過ごしたかは分かりません。
すみま……せ……。
そう言って、ブナの身体は大きく傾いた。
話し終えて、緊張が途切れたのと同時に限界がきたのだろう。
ヨウムはすでに深い眠りについたブナをそっとベッドに寝かせてやった。
*
「次の覚醒時にまたくるよ」
そう言ってシーモアは帰っていった。
シーモアが使ったカップとソーサーを洗っているヨウムの手は小刻みに震えていた。
不愉快な話だった。とても不愉快な話だった。
気付くとシンクの水道の水と一緒に、ポタポタと頬を伝って涙も落ちていく。
濯いだ食器をそのままシンクに置きっぱなしにし、ヨウムはシンクに背中を押しつけて座り込んだ。
家族のもとに帰してやりたかった
握りしめた拳が震える。
せっかく生きていたのに
ヨウムはミスの恐怖を知っている。
その中で生き残ることがどんなに奇跡的なことかも知っている。
だからこそ、沸々と怒りが沸く。
名前も与えず、生まれた日に売った。
七歳の子どもを。
そういう文化なのだ。
自分の価値観で計ってはならない。
そう理性で考えても、どうしても怒りがおさまらなかった。
妹のリリーはミスに蝕まれ死んでいった。
どんなに苦しかっただろうか。
どんなに怖かっただろうか。
当時、リリーは五歳だった。
ヨウムは家族をすべて失った。
当時のヨウムは、ミスや患い、魔術についてあまりにも無知だった。
あの頃の無力な自分にも腹が立っていた。




