第59話 雲上の扉
「これは、本当に仕舞い込んでいたな」
そう言ってヨウムは皺の寄ったワンピースをあっという間にアイロンがけし、温かくなったそれをブナに手渡してきた。
「ほかほかですね」
「作りたてのパンみたいな表現されてもな」
ヨウムが苦笑する。
微笑んでいても、大笑いしていても、苦笑いしていても、ヨウムの笑顔はどれも好きだ。そんなことをブナは思う。
「ちょっと着てみてくれないか」
「今ですか? お買い物は明後日ですよね?」
「よっぽど似合っていなければ他の手段を考えるから」
似合わないことが前提なのだろうか……
ブナは複雑な気持ちになりつつ部屋に戻り、乳白色のワンピースを広げる。
襟元にひだがあり、胸元にはボタンが三つ。腰にはふわりとしたリボンがついていて、袖もふわり。
スカートの裾もふわり。生地もふわりとしている。
「……ふわふわしてる」
ブナは当然、ワンピースなど着たことがない。
街へ買い物に行くとワンピースを着た少女たちをよく見ていたが、自分が着る物だとは思っていなかった。
いかにも女の子らしいワンピースに頭を通し、袖を通すたび、気持ちがそわそわし、鼓動が少し速くなるのを感じる。
姿見の前でスカートの裾をそっと摘んでみると、ひらひらと柔らかく揺れる。
かわいいワンピースだ。
自分が自分じゃないみたいだ。
顔が火照る。
あの人はどんな反応をするだろうか。
リボンをしてくれた時みたいに、また笑ってくれるだろうか。
ブナは落ち着かなくなる気持ちをなだめて、居間へ続く扉を開けた。
「やっぱり似合わないな」
ヨウムは手を口元に置き、真剣な面持ちで評する。
「スカートはいいんだ。膝下まで広がる丈と形はいい。生地と色合いは、悪くはない……が、最良ではない。すぼまった丸襟と丸まった袖口ががまったく似合わない。せっかくスッと伸びた綺麗な首と肩のラインとのバランスが悪い。
腰のリボンも柔らかすぎて変に幼く見える。
このワンピースが極端に可愛すぎるデザインだから、もっと小柄で可憐な子が似合うんだろうな。まあ、でもなんとか大丈夫だろう。これで行こう」
容赦ないヨウムの酷評に虚しくなり、ブナは思わず無表情になる。そんなブナの様子を見て、ヨウムは慌てて言葉を足した。
「あ、ブナが可愛くないと言っているわけではない。ブナはちゃんと可愛い。
ただ、ブナは言動や表情はすごく可愛らしいが、外見は美人の分類なんだ。それで似合わないだけだから」
ブナは自分では表現できない複雑な気持ちを味わっていた。
ただ、ヨウムにたった一言「かわいい」と言って笑ってもらえることが、相当難しいミッションだということだけは理解した。
休日。
訪れたメインストリートの一等地には、見上げるほどの大きな洋品店があった。黒い大理石の重厚な外壁からは、いかにも高級店らしい雰囲気が醸し出されている。ブナなどは目の前で足を止めるのも憚られるほどだ。
「ここだ」
「ここですか? まるで美術館のようですが。しかも門番がいますよ。門前払いをされてしまうかもしれません」
見上げるほど大きな両開き扉の前には、深い黒の礼服を身にまとった男性が左右に一人ずつ佇んでいる。
ブナにも容姿端麗だと思える彼らは、髪はオールバックにされ清潔感があり、服のどこにも皺一つ、塵一つなく、手には白い手袋をしている。
借り物の服に身を包んでいるブナは思わず怯んでしまい、後退る。
「大丈夫だ。普通にしていればいい。親切に扉を開けてくれるだけだから」
ヨウムはそう言ってブナを店の扉へと促してくる。
「いらっしゃいませ」
店に近寄るだけで扉は開かれる。両脇の男性たちが美しい仕草で一礼して迎える。
「扉くらい……自分で開けられるのに」
狼狽えながらヨウムの顔を見る。ヨウムは静かに小さく頷く。
ヨウムの様子から、こういうものなのだと悟る。ブナは恐る恐る門を潜り、店内に足を踏み入れるた。
「足元がふかふかです」
ブナは驚いて、すぐに小声でひそひそとヨウムに話しかける。
「お部屋が広いです。いい香りがします。あと、静かで暗いです」
空気が重くて息が詰まりそうだ。
それが高級ブランド店『ノビリス』に対するブナの率直な気持ちだった。
店内には大きな姿鏡があちこちに置いてあり、どこを見てもフードを深く被ったヨウムと、いまひとつしっくりこないワンピース姿の自分の姿が映る。
服を買いに行くための服が必要だと言っていたヨウムの言葉の意図が、ようやくブナにもよく分かった。
「どのようなものをお求めですか?」
濃紺のロングワンピースを着こなした、涼やかな美人の女性が声をかけてくる。
「魔術古語魔導学園の見学に行く予定がありまして、その際に着ていく服を探しています」
ヨウムがブナの代わりに答える。
とりあえず店ではブナは何もしゃべらなくてよいことになっている。
「すましておけばいい」と言われているので、店員とのやり取りはヨウムに任せ、ブナは静かに服を物色することにした。
「まあ。魔導学園に。それは素晴らしいことですね。でしたら、せっかくですから、まずはケープなどからご紹介させてください」
なぜケープなのだろう。素朴な疑問を抱きながら、なんとなく手にしたスカートの値札を見て、ブナは目を丸くし、息を呑む。
恐ろしい。この法外な値段は本当なのだろか……。
思わず、隣のジャケットの値札も確認する。
なんだこの値段は。
どれを見ても値札の金額がブナの認識と違っている。
この金額があれば、一年暮らせるのでは……。
「お嬢様」
ブナはヨウムに呼ばれる。
なぜか店内ではそう呼ぶと言われていた。
「お嬢様はどちらがお好みですか?」
店員も一緒になってブナをそう呼び、好みを確認してくる。何種類ものケープが広げられている。
一瞥して、ブナは黒地の袖元に金の糸で大きく植物の草のような刺繍がされているケープに目が向いた。
刺繍がとても華やかなのに、洗練されており、格好いい。口には出さなかったが、ブナの目線で察したヨウムが店員に伝える。
「真ん中のケープでお願いします。色味を見たいので、同じデザインで他の色も一緒に。それと、このケープの下に着るワンピースもお願いします」
「かしこまりました。お持ちいたします。こちらでお待ちください」
店員はゆったりとしたソファを勧める。違う店員が見計らったように、すぐにテーブルに精巧なグラスに入った冷たい飲み物とプチフールを置いていき、テーブルの向こうには殊更豪華な装飾をされた姿鏡を準備する。
ブナはヨウムの顔を窺い、どうしたらよいか目で訴える。
「座って自由に食べていていい」
ヨウムが小声で伝えるので、ブナは遠慮なく心地の良い一人用のソファに腰かける。
「これもふかふかです」
ヨウムは微笑んだが、座ることはせずソファの後ろに立ったままでいた。ほどなくすると、二名の店員がたくさんの服を所狭しと広げ始める。
「お似合いになりそうなものをご用意させていただきました」
店員は思い思いに服の説明をし、いかに似合うか、いかに格式高い魔導学園に相応しいかを熱弁し始める。
ブナには店員の話がさっぱり分からない。仕方なしに、顔だけはそちらに向け、おいしい飲み物と菓子を楽しむこととした。
ブナは服よりもヨウムに関心を持った。
なぜこんなにも高級ブランド店の店員としっかり話ができるのか。
この店の雰囲気にも慣れていた。学園の教員たちは高給取りだという。学園の教員たちには普通のことなのだろうか。
「お嬢様、こちらをお召しになってみてください」
店員に言われて確認すると、服だけではなく、靴や靴下、鞄、アクセサリーなど全身コーディネートされて用意してあった。
店員が期待するようににこやかな笑顔を向けてくる。
ブナは言われるままに着替えねばならなくなった。




