第53話 誕生日ケーキと店主の思い出
翌日。
一通りの家事と課題を終わらせたブナは、冷却しておいたケーキを食糧棚から取り出した。
半分残ったケーキをテーブルに出し、最近、淹れ方を教わった紅茶を添える。
ヨウムは仕事に行っているので家には一人しかいないが、ブナは両手を揃えて深々と一礼する。
「頂きます」
憧れの誕生日ケーキだった。
ヨウムに誕生日を祝いたいと言われてから、ずっとそわそわしていた。
毎日カレンダーを見て指折り数えていたくせに、顔には一切出さなかった。
嬉しくて楽しみだったからこそ、叶わなかった時にがっかりしたくなくて、喜んではしゃいだりはしなかった。
当日の朝、ヨウムは一番に、十六歳の誕生日おめでとうと、あの朗らかな柔らかい笑顔で言ってくれた。
それだけで十分幸せだったのに、その日は一日落ち着かなかった。
あんなに勉強に集中できなかったのは初めてだった。
ケーキを一口食べる。
冷却し過ぎたのか、一部果物が少しシャリッと硬い。
「果物はちょっと冷えてるくらいが美味しいな」
冷たいはずのケーキは、なぜかブナの身体を深淵から温める。
ブナは昨夜のことを思い出した。
*
待ちに待った誕生日ケーキを目にした時、なぜだか急に胸が苦しくなって、喉が焼けて締め付けられた。
ブナの生きた日々は、数えることのできるただの暦の数字に過ぎず、ヨウムが言う「祝う」という行為とは無縁の時間の積み重ねだった。
記憶にある誕生日とは、自分が売られるための、日付と年齢の確認であり、喜びを伴うものではなかった。
その苦しい記憶を抑えて、ゆっくり食べ始めたケーキはとても美味しかった。
ケーキを食べるのは三回目で、知った味だったが、これが憧れていた誕生日ケーキだと実感したら突然涙が溢れてきた。
だからヨウムを煩わせないよう、慌てて両手で涙を顔ごと隠した。
涙を抑えながら、口に残るケーキを嚥下した時、これが二回目だと気がついた。
そうだ。
誕生日ケーキを食べるのは、きっと二回目だ……
一年前の夏、シーモアが訪れた次の日、ヨウムは突然ケーキを買いに行こうと言い出した。
『なんとなく』
ヨウムには珍しい曖昧な返答だった。
それ以上の理由を言わなかった。
多分、あれは私への遅れた誕生日祝いだったんだ。
去年が初めての。
今年はきっと二度目のケーキ。
そう思ったら堰を切ったように胸が痛み、涙はさらに溢れて止まらなくなった。
*
そして、昨夜はもうそれ以上ケーキを食べられなくなった。
「今日のケーキも昨日のケーキと同じ味がする」
食べると胸の奥が温かくなるのに、喉が締め付けられる。
私は去年の夏にも祝われていた――
ずっと前から――ずっと、願われていたんだ。
『健やかな成長と、人に恵まれた幸多き人生を』
その願いを、ブナは親から受けたことはない。
それは、ブナが初めて受けた願いだった。
目の前のケーキが、ブナの目から溢れ出るもので霞む。
それでも今は家に一人なので、それを隠す必要もなく、頬を伝うのを拭うこともしないまま、ブナはケーキをゆっくり味わいながら食べる。
「おいしい」
ケーキの甘さとは裏腹の、塩辛い涙が頬を伝って口に混ざった。
涙越しに外を見ると陽射しが眩しく輝く。
この辺りの地域は夏でも窓を開けていれば涼しい風が入る。
縁側にはヨウムが配合した薬草の虫除薬が置いてある。
あれがよく効く。
なんでもできるんだな、あの人は。
昨日の三つ編みも可愛かった。
かわいいと言われたのは髪とリボンのことだ。
それでもその言葉を思い出した途端に、まるで自分が褒められたかのような気持ちになり顔が熱くなる。
「私も、髪……かわいくしたいな」
そう呟くブナの容姿はすっかり年相応に成長を遂げていた。
*
「おや。学生さん」
ブナは本屋を出たところで、ケーキ屋の主人と鉢合わせた。
「こんにちは」
ブナは頭を下げてお辞儀をする。
「お買い物?」
「はい。買いたい本があって……」
それ以上はなぜか恥ずかしくて説明を省き、「ウーニクスさんは?」と相手に話題を振る。
ウーニクスは店の名前であって、個人名ではない。それでも店主の名前が分からず、そう呼ぶ。相手も気にしないようで、そのまま会話を続けてくれる。
「買出しだよ」
両手には小麦粉と牛乳が入った大きな袋を携えていた。
重そうだ。
「よければ、一つ持ちましょうか?」
思わず声をかける。
「本当! 助かるよ。いつもは店員と一緒に行くんだけどね。風邪ひいちゃってさ。やっぱり、先生の所の学生さんだけあって親切だねえ。
あ、そういえば誕生日だったんだって?おめでとう」
店主は快活に話しかけてくる。
「ありがとうございます。なぜ、誕生日だと?」
ケーキがウーニクスで購入されたものなのはブナも知っていた。しかし購入されたケーキは、普段と同じカットケーキだった。
ヨウムがそんなに世間話をするともブナには思えなかった。
「ああ。いやね、珍しくホールケーキを見ながらすごく悩まれていたからね。不思議で聞いたんだよ。そしたら、面倒みてる子が誕生日だっていうじゃない。
プレートとロウソクはどうするかって聞いたんだけどね、ずっと悩んでいたよ。
いつもパッと来て、サクッと決めて、パパパッと買って帰っちゃうからね。びっくりしたよ」
店主は大笑いして話す。
「そう……でしたか」
そんなにヨウムが自分のために悩んでくれたことを知り、申し訳ない気持ちで一杯になる。
申し訳ないはずなのに――嬉しい。
そんな奇妙な気持ちになり、ブナは足元の石畳の道を見つめる。
「僕もね、魔力が少しあるんだよ。学園には行かなかったから、使えないんだけどさ」
どうやら相当話し好きの店主は、聞きもしないのに身の上話をはじめる。
ブナは頷き答える。
「適齢な期間に勉強しなくては、魔術の習得は極端に難しくなると習いました」
「そうなんだよ。でもうちは代々菓子屋で、勉強なんて出来なくてさ。
入学試験はすごく難しいでしょ? お金もかかるし。そもそも魔力があっても雀の涙ほどだしね。まあ、この街にはそんな人がたくさんいるんだけどさ」
「それでも、この街は魔法に関する規則や病院、学問所、設備などが充実しているから、魔力を持っている人が集まりやすいと聞きました」
店主は続ける。
「そう、住みやすいから助かるよね。魔術を使えなくても、魔導具なら使えるしさ。魔術についての基礎的な簡単な勉強だって、学問所で子どもたちに教えてくれるからね。実は僕、先生にすごく恩義があってさ」
店主のお喋りは止まらない。
だが、ヨウムの話が出てきたので、ブナもつい反応してしまう。
「ヨウム先生に?」
「三年前にさ、あっちの大通りに豪華なケーキ屋を併設しているお洒落なカフェが出来たんだよね。
学生さんたちは好きじゃない、お洒落なお店。あっという間にお客さんを取られちゃってさ。その時、末っ子が生まれたばっかりでさ……辛かったんだよね。お金がないって、怖いよね」
「そうですね。本当に」
ブナも重々しく答える。
「子どもたちと妻を守らなきゃいけないっていう重圧と、親父から受け継いだ店を守れなかった罪悪感と、派手さを売りにする店と、簡単に派手さに飛びつく人々に対する怒りでさ……」
「ミスを患ったんですか?」
「そう……。眠れない夜でさ、深夜に家を飛び出したんだ。子どもとよく遊んだ公園に行ってさ、一人ブランコに乗ったりして……情けなくて悔しくて苦しくて。
気づいたら身体が発火していた。
何日も狭い釜に押し入れられて燃やされているような気分だった。実際には数時間だったらしいんだけどね」
ブナは静かに耳を傾ける。
実際に発火したわけではなく、ただそう感じた、ということなのだが、ブナには痛いほどその苦しさが分かった。
それでも店主の魔力はとても少なく、蝕みの進行は遅かったはずだ。
ヨウムの魔力は少ない。それでもこの店主よりはずっとある。
ヨウムからすれば、些細なことだったはずだ。
ヨウムよりもずっと魔力があるはずのブナがミスを爆ぜさせた時でも、淡々と対応していたのだから。
「たまたま通りがかった先生に助けてもらってさ、学園の連携病院も勧めてくれて、医師にも話を通してくれて。噂が立たないようにと配慮もしてくれてさ。
学園の先生っていうのは本当すごいんだなって思ったよね。
しかもさ、お礼にって渡したうちの焼き菓子食べてさ、丁寧につくられていてとてもおいしいって、味を褒めてくれてさ。
お世辞じゃないって言うんだよ」
店主は話しながら感極まったのか涙ぐんでいる。
「本当、絶望の中にいたからさ、その言葉は一筋の光のように感じたんだ。勇気をもらったんだよ」
その一言に、ブナまで胸が熱くなる。
「たださ、分かんないのが、なんでまだあんな薄暗い早朝にたまたま先生は通りがかったのかね」
不思議がる店主に、ブナは答えてやる。
「日課の走り込みです」




