第47話 六月の審査
「ふっふっふ。ついにこの日がきましたね。狸おじいちゃんは、返り討ちにしてやります!」
ブナは包丁をキラリと光らせる。
「朝から随分物騒なことを言っているな」
「この日のために図書館で料理の本をたくさん借りてきましたから!」
「経費で買ってしまえばよかったのに」
ブナは首を振る。
「お金がもったいないです」
自分の金ではないというのに、ブナはとても倹約家だ。
「では、私は仕込みに入りますので、ヨウム先生はのんびり過ごしていてください」
ブナに促され、ヨウムが長椅子で本を読んでいると、程なくして玄関の呼び鈴が鳴った。
「おはようございます。もう、おいでになったのですか」
「いやあ、なに、楽しみにしすぎてね。少し早いが、お邪魔させていただくよ。君の読書の邪魔はしないから」
シーモアは無遠慮に居間の椅子に腰掛けると、台所で料理の仕込みをしているブナを観察し始めた。
ブナは手際よく包丁で食材を捌いていく。
台所はブナに占領されているため、ヨウムは紅茶の代わりに、食料棚からシードルを持ち出し、グラスに注ぐ。
「おお。さすがヨウム君。気が利くね。ありがとう」
シーモアは遠慮なくシードルを楽しむ。
『あえて焦がしたり、時間をかけたりしたほうがいいですか?』
昨日の夜、ブナが確認してきた。
『その必要はない。補助布をしていれば、いつも通り美味しい料理をつくってくれて構わない』
とは言ったものの……これは盲点だったな。
普段のヨウムとブナの二人の食事は割と質素なほうだ。だから、ブナが何品も同時に並行して料理をするところをヨウムは見たことがなかったのだ。
ブナの料理の手際は見事だった。
四つある焜炉をくまなく使い、一つで湯を沸かし、一つで玉ねぎと肉を炒める。一つでスープのだしを取り、一つでかぼちゃを茹でる。
かぼちゃが茹で終われば、すぐにじゃがいもを茹で始め、その間に沸いた湯にほうれん草を加えて湯がく。ほうれん草が茹であがれば、またすぐにフライパンを熱し始め、その間にグラタン皿に材料を敷き詰めていく。
使ったボウルや皿はその都度洗いながら、片手間で絶えず火の加減を調節していく。最終的には鹿を焼きながら、オーブンでグラタンを焼き、スープを煮込みながら、野菜を蒸していた。
ブナは次々と料理を完成させていく。
押し麦とトマトのスープ、じゃがいもと白身魚のグラタン、かぼちゃのコロッケ、鹿肉のポワレ、夏野菜のエチュベ。
煮込み、グリル、揚げ物、焼き物、蒸し物。一通りが食卓に並んだ。
「豪勢だな」
ヨウムは料理を覗き込んで誰ともなしに感想を呟く。
「素晴らしい。とても良い火加減で料理されている」
「そう……ですね。正直、ここまで熱源を使いこなせるとは思っていませんでした」
「最低でも二つ、多い時は四つの熱源を使っておったな。かなりの才だ。あの使いにくい旧式タイプを」
「そう……ですね。どれも回路の展開は単列ですが、意識を滞りなく保てていましたね」
例えるなら、四種類の本を広げ、一文ずつ交互に読んでいくようなイメージだ。
熟読した本でなければ、たちまちどこを読んでいたのか分からなくなるだろう。使いこなしているということは、熱源のコントロールがブナの中で無意識で可能になっているということだ。
「ふうむ。魔術を学び始めて半年か。これはいよいよ金の卵は本物かもしれんな」
シーモアがほくそ笑むのを横目で眺めながら、焜炉の使用は二つまでと制限をしておくべきだったと、ヨウムは後悔した。
「ブナ君。申し訳ないんだが、紅茶も淹れてくれるかね?」
「分かりました」
ブナはシーモアに言われ、棚から紅茶の茶葉を取り出し、豪快に茶器に入れ始める。
そういえば、紅茶の淹れ方は教えたことがなかったな。
随分渋い味の紅茶ができそうだ……
*
食事が終わった老翁の客人はご機嫌だった。
「さて、ブナ君。食後のデザートは何かな?」
「デザート……」
一瞬眉間に皺が寄りそうになりつつもブナは平静を保つ。
世の中を平和に過ごすには、表情を表に出さないほうがよい場合があり、シーモアの前でもそのほうがよさそうだと、ブナは本能的に悟っていた。
「焼き菓子とか作っておいてあると最高なのだが?」
「すみません。食後にお菓子を食べるという発想がありませんでした」
事実、この家にそんな習慣はない。
それに、ヨウムは焼き菓子を作る際の甘い匂いが苦手だというので、作りたいと思うこともなかった。
「そうなの?」
今度はヨウムに確認している。
「ありませんね。頂き物のチョコレートでよければ」
ヨウムが席を立つと同時に、客人がヨウムに声をかけた。
「あと、美味しい紅茶もお願いね」
ブナは表情を変えずに少し目を伏せる。
やっぱりさっきのは美味しくなかったのか……
紅茶が入るのを待ちきれないシーモアは席を立ち、部屋の中をうろうろと物色しながら歩く。
「ブナ君は熱源ならそれなりにこなすと聞いていたが、お風呂の湯も張れるかね?」
「はい。入っていかれるのですか?」
「いやいや。見てみたいだけだ。沸かしてくれる?」
「はい」
ブナは風呂の蛇口を捻りながら、四十度の湯を沸かす。グローブをしていれば小細工はしなくていいとヨウムに言われているため、湯はすぐに適温で蛇口から出てくる。シーモアはにこにこと微笑んでいる。
満足すると、またうろうろし始め、「失礼するよ」とだけ言い、ブナの部屋に遠慮なく入る。ブナの返答はもとより聞く気がないのが分かる。
「この鳴り時計は? ブナ君が使っているのかい?」
「はい。お借りしています」
「何時に鳴るんだい?」
「だいたい三時です」
「だいたいとは?」
「日によって二時五十五分に鳴ったり、三時十五分になったり、三時三十三分に鳴ったりします」
「そう。確かにだいたいだね」
嘘ではない。魔力のコントロールのために、いつも少し時間を変えている。三時三十三分三十三秒ぴったりに鳴らせた時は嬉しかった。
シーモアは今度はブナの本棚を品定めするように物色しては、「ふうむ」と独り言を漏らす。ヨウムに借りていた標本と魔導書はすべて一度ヨウムに返し、本棚にはもともと二階に置いてあった基本の本だけが並んでいる。
「熱源は一通りできると聞いているよ。アイロンがけをお願いできるかな」
シーモアは羽織っていた薄手のローブを脱いで無造作にブナに手渡す。
さすがにブナは緊張する。
「お高いものですよね?」
「そうだね。とてもね」
シーモアはにこにこと微笑んだ。




