第44話 五月の零れ桜と藤波
「開きました!」
ブナが笑顔で振り返る。
買い出しからの帰り、ブナは家の鍵を十五分かけて開けた。
手にはもう補助布のグローブはしていない。ブナの満面の笑みに、ヨウムも笑顔で答える。
「この分ならすぐに十分くらいで開けられるようになるだろう。問題なさそうだな」
ヨウムはブナに新しいグローブを渡す。魔晶石があしらってある。
「なんでしょう?」
「鍵の施解錠の術式を書き入れておいた。
なるべく使わないで開け閉めする方が早く身につくが、急ぐことはあるだろう?
焦ればどうしても間違う。回路は一度間違うと初めからやり直さなくてはならない。急いでいる時に時間などかけられない」
ブナは頷き、グローブを受け取る。
「一度使ってみてもいいですか?」
「もちろんだ」
ブナはグローブをして、扉の取手に手を置く。術式はすぐに発動し、たった今開けた鍵がまた閉まる。
「おおーー! 一瞬です! すごいです」
ブナは無邪気にはしゃぐ。そして次の瞬間には真顔になり「もっと精進します」と言う。
決して優雅ではないが、コロコロ変わる表情は愛嬌がある。
まあ、最低限の立ち居振る舞いさえ身についていれば、ブナはこのままで十分だろう。
ヨウムは和まされつつ、そう考えた。
「ヨウム先生、今日はお庭でお花見がてら、ティータイムをしましょう」
扉を再び開け、居間に入るなりブナが言う。ティータイムという単語がブナから出てくるのが意外だった。
「紅茶でも淹れようか」
「大丈夫です! 飲み物はすでに仕込んであります!」
そう言って、ブナはいそいそと庭に茣蓙を敷き出した。
「ブナ……なんか、牛乳にご飯が混ざっているんだが……」
ヨウムはブナが準備した茣蓙の上に正座し、小さい座卓の上の飲み物を覗き込む。
スプーンでかき混ぜたり上から垂らしてみたりすると、ご飯のような何かがかなり混ざっているのが分かる。
匂いを嗅ぐと、果物と芋と米を一緒に煮込んだような匂いがする。
「果物のリゾット……だろうか? 味付けは甘いのか、塩っぱいのか?」
「甘いです! 美味しいですよ。お正月に野営がある時は、領主が振る舞ってくれるんです」
ブナはすでに嬉しそうにコップに口をつけている。
前にも似たようなことがあった気がする……
既視感を覚えつつ、ヨウムは意を決してコップに口をつける。
「どうですか? 甘酒といいます。牛乳ではありません。
最近、ようやく解凍・凍結の技術で五十五度付近で八時間、保温維持できるようになったんです。
魔力をゆっくり溶かして保温するのですが、魔力の量が少ないと八時間持たないし、多いと八時間を過ぎてしまいます。
時計の要領でコントロールしました! はじめは上手くいかず、酸っぱい甘酒ばかりできていたんですが、上手にできるようになりました! ちなみに作り方は図書館の本で見つけました!」
ブナは自慢げに話す。
「正直、驚いた」
「おお! 驚くほど美味しいですか」
「味は……甘すぎるが、ちゃんと美味しい。柔らかい粒々は少し気になる」
「米と米麹です。美味しさの秘訣です」
「五十五度で八時間保温するという技術も素晴らしい。
だが、それ以上に教えた技術を組み合わせて自分で考え、新しいことに応用しているのが何よりも素晴らしい。
本で見つけた知識を知恵に変えているのもいい。そして結果も伴っている。
すごいな。本当に素晴らしい」
ヨウムはブナの成長に心底驚き、感動し、晴れやかな笑顔を見せる。
つられてブナもはにかみながら微笑む。
ブナは、ヨウムが手放しで褒めたのを気恥ずかしく感じたのか、急に静かに甘酒を飲み始める。
「……綺麗です」
ブナが言うので、ヨウムは庭先の空を仰ぐ。
遅咲きの桜が散っていく中、藤が波打って揺れている。
風が吹くたび舞い上がって散っていく白い花弁と、ゆらゆらと光を通しながら煌めく淡い藤色のコントラストは確かに美しかった。
仄かに藤の甘い香りが漂う。
ブナに目を移すと、何やらヨウムに対し、手を合わせて拝んでいる。
「ブナ……」
「すみません。思わず……」
何が「思わず」なんだかさっぱり理解ができない。
「拝んではいけないですか」
「当たり前だ」
「なら、ぎゅって抱きついてもいいですか?」
「ダメに決まっているだろ」
ブナは細目になって酸っぱい顔をする。
変な顔だ。整った顔立ちが台無しだ。
「なぜ、ダメなのでしょう?」
「色々ダメだな。割とこの国の人は日常的にハグをするが、私はしない。それに……」
「それに?」
「ブナはもう私より随分と背が高い」
ブナは酸っぱい顔をしたまま首を傾げる。
「背が高いと、私の頭に目線が行くだろ……それが嫌なんだ。それに、腹が当たるのも嫌だ」
「お腹は、ぷよぷよして柔らかいですよね。頭はてっぺんの辺りが禿げてますね」
ブナは歯に衣着せず、ずかずかと言う。
だから何だという顔をしているので、悪気がないことは分かる。
「とりあえず、嫌なものは嫌だ」
「そうですか……残念です」
気にしていることを指摘され、複雑な気分を味わうヨウムの心とは裏腹に、春風は穏やかで暖かく、花々や草木をより美しく揺らした。
春風に髪を揺らされるブナもまた、景色と調和して美しかった。
「せっかく、何よりも美しいのに……」
ブナが静かにそう呟いた言葉は、ヨウムの耳には留まらなかった。
まさか、自分のことを言われているなど、知るよしもなかった。




