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第43話 春光とヨウムという男

「落ち着いてやれば最後までできるようになったな」


ヨウムは読んでいた魔導書から目を離し、隣で二時間ほど鍵の標本を扱うブナを見る。


ブナは無意識でもできるようにと、ひたすら標本を転がしている。


あれから数日が経ち、時計も凍結解凍もすぐに覚えて使いこなしている。初めは熱すぎたり冷たすぎたりと安定しなかった風呂の温度も、今はほぼ適温だ。


ブナはスピードを上げようとして魔力量のコントロールを間違え、回路を消失し、しかめっ面で床にひっくり返って唸った。


「鍵の標本を完成させるのに、すーごい集中して、それでも三十分かかります」


「すごい進歩だ。昨日は五十分かけていた」


ヨウムは笑って返す。ブナはヨウムが読んでいる魔導書に興味を持ったのか「どんな内容ですか?」と聞いてくる。


「古語についてだ。生命論理を理解する上で基本になる。

術式は長年かけて、先代たちが知恵を絞り、より分かりやすく形を変えてきた。古いほど複雑なんだ。ただ、複雑だからこそ難しい術が可能になる回路もある」


「授業の準備ですか?」


「いや。私が教えているのは基礎授業だけだから、まあ、単に自分の興味だ」


「ヨウム先生は、もともと学校の先生になりたかったんですか?」


「いいや。成り行きだな。実は魔術の勉強をしたかっただけなんだ。施設も資料も整っていて、他の教員たちも専門性が高く素晴らしい。いい仕事場だろ?」


ブナは一つ頷くと、また質問を続ける。


「どうしてそんなに勉強をしたいんですか?」


「理由は……ブナと同じだな」

「同じ?」


「助けられる人になりたい。

いざというとき、誰かの力になれるよう、力をつけておきたい。

培った力で誰かの役に立てたら、それは幸いだ。

誰かを助けたいと思った時、助けられる力を持った自分でありたいんだ」


ブナはまた一つ頷いた。


「ヨウム先生は失敗して、落ち込んだりしないんですか? そもそも失敗なんてするんですか?」

「今日はやけに質問が多いな」


実際にはブナは日頃から、興味関心を持つと芋づる式に質問が湧いてくるのだが、ヨウムは自分の痛い所を突かれて苦笑いをする。


「ヨウム先生は、なぜヨウム先生なのか知りたいです。

どんな観点で物事を捉えるのか。

どんな風に考え行動するのか、興味を惹かれます」


ブナの朝焼けの瞳が煌めきながら、真っ直ぐヨウムを見据える。


こういう目をされると、はぐらかしたりはできないではないか。


「そもそも、私が必死に魔術の勉強をしてきたのは……大きな失敗からなんだ。

生命論理はミスの発生やミス爆ぜ、その消滅を理解する分野だ。


昔、妹を――家族をミスで失ったんだ。

助けたかったが助けられなかった。圧倒的に知識も技術も足りなかった。当然落ち込んだ。

自分に腹も立ったし、呪った。未だに後悔と自責の念ばかりだ。

自分一人生き残ってしまったものだから、それからその後の人生はずっと魔術の勉強だ」


ヨウムは微かに笑って続ける。


「大きなことを言ってしまったが、単なる執着だよ。

力がなく、無知のままでは人を救えない。それを痛感したんだ」


ブナは静かにヨウムの話を聞いている。

表情には同情や憐憫などの感情はなく、相変わらず瞳は真っ直ぐだ。

それがかえってヨウムにはありがたかった。誰かに共感してほしいなどと思ったことがない。

自分の過去は自分の問題だ。自分で精算したい。


ヨウムは遠くを見て呼吸を整える。

奥歯に入った力を抜く。


ヨウムからすると、ブナは些細な失敗でひどく落ち込む癖がある。

失敗するたびに罵倒され、罰を与えられてきたからだろう。

失敗するたびに視野が狭くなり、自分は役立たずだと気落ちし、日によっては涙を堪えている場面をよく見かける。


ブナが失敗について聞いてくるのは、彼女なりにその癖をどうにか修正したいと思っているだろうと、ヨウムは感じ取る。


「失敗という言葉は難しいよな。

人は誰だって失敗する。

新しいことに挑戦するなら尚更だ。

『成功しなかった』という事実は挑戦や試行、行動の一つの結果で、その経緯がなければ成長も進化も伴わない。

だから『成功しなかった』という事実を、『失敗』という言葉で表現して、一々気を落とさないようにはしている」


「それでも……同じ間違いを繰り返すようなら? 落ち込みませんか?」


ふっ、とヨウムは少し笑ってしまう。


「そうだな。確かに落ち込むな。でも……それは天啓だな」


「天啓……」


「落ち着いて考えろという神からの啓示だ。

同じ間違いを起こしやすいというなら、何かしらの理由がある。

それを見極めて対応すれば、より大きな、より重篤な間違いを未然に防げる。

より生きやすくなる。

より挑戦できる可能性が広がる」


「啓示……」


ブナはヨウムの言葉を咀嚼するように呟く。


「実は、父の受け売りだ」


ヨウムは遥か遠くを見つめて目を細める。


「だから、小さな失敗や間違いはありがたいものと思い、大切に対応しなさいと言われてきた。

失敗は自分の試行や挑戦の結果の一つだから、誇りを持てるような失敗ができたら胸を張りなさいと言われてきたんだ」


「……すごい、ですね」


下手をするたびに怒鳴られ、叩かれて育ったブナにとっては、自分の父のような寛容な態度は驚くべきものとして映るだろう。


「すごいだろ? 父は素晴らしい人だった。とても尊敬している。

父のような大人になりたいと、子ども心に常に思っていた」


「納得です」


ブナは力強く頷く。


「私は、ヨウム先生をすごく尊敬します。

だから私は、ヨウム先生みたいな大人になりたいです」


ブナの予期せぬ言葉に、ヨウムは戸惑う。


誰かに目標とされる。そんなことが自分にもあるのか。


こそばゆい。

気持ちが落ち着かず、急に気恥ずかしくなる。


「そうか……」


ヨウムはそれ以上の言葉が見つからなかった。代わりに話題を変える。


「今しているグローブは、もう必要ないだろう。これからグローブなしで魔術を使うといい」

「外したら、魔力のコントロールが難しくなりませんか?」


「なるな。ただ、魔織布ありきのコントロールに慣れてしまわない方がいい。熱源も、凍結解凍も鍵も一時的に難しくなるが、今外してしまう方が後々楽だ」


「分かりました」


ブナは何度も瞬きをしながら、自分の両手を見つめていた。

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