第38話 ヨウムの誕生日
誕生日か。
よりによって休日だ。
日が昇る前、外がまだ暗い時間に起きたヨウムはカレンダーを見て思い出す。
自分の誕生日など、祝ってくれた家族が亡くなってからは気にすることさえしなくなった。実際、ヨウムの誕生日を知っている者はもういない。
シーモアであれば書面で確認しているだろうが、興味があるとは到底思えない。覚えてすらいないだろう。
玄関のドアを開けると冷たい空気が肌を刺す。
三月初旬はまだまだ寒く、道の傍には雪が残っている。吐く息が白くなる。
ヨウムはいつも通り川沿いを街に向けて走り始めた。
走りながら一年前を思い出していた。
色々と濃い一年だったな。
ちょうどブナに名前をつけた頃か。
あの巨大なミスの中で、あの状態で、よく生きていてくれたと思う。
そういえば、家族がいると分かったのに、家族のもとに返してやれないのが悔しくて、腹立たしくて、泣いたんだっけか。
あれは自分の家族のことを思い出して情緒不安定になっていたな。
過去の自分を思い出すと、いつも情けなくて恥ずかしくなる。
鍛錬が足りないな。
ブナに字を教え始めたのは五月の初旬だった。それから僅か十ヶ月。一年も経っていない。
非凡な天才が努力するとこうなるんだな。
ヨウムは心底感心していた。
ブナの努力は凄まじかった。
同年代なら遊びたい年頃のはずだが、日課の体力作りと家事以外の時間は殆どを勉強にあてている。
夜遅くまで読んでいる本は、趣味なのか学問のためか分からない。
随分と難しい本を読むようになった。
面白くてつい没頭してしまうと本人は言うが、流石に傍から見ていると心配になる。
ちゃんと寝ているんだろうか。
魔力がある者は、ない者より身体が強い。
睡眠時間が同年代の子ども達と比べて少なくても健康なのは魔力のおかげだ。
かくいうヨウムも睡眠時間は少ない方だが、それで不調を感じたことはない。
根を詰めすぎるあまり身体を壊さないかと心配になる。
とはいえ、教師としては、生徒のその熱心ゆえの確かな成長を目の当たりにするのは、驚きでもあり大きな喜びでもあった。
ヨウムにとってブナに適した教材や課題を考えるのは有意義で貴重なことだった。
ブナに出した課題を、学園から帰って確認することも日々の楽しみになっていた。
「そろそろ鍵の施開錠を教えるか」
*
「ケーキを買いに行くんですか?」
「まあ、たまには食べたいと思ったんだが、ダメだろうか?」
珍しくヨウムが気まずそうに聞き返す。
ブナは首を振る。
「食べていいなら食べたいです! もう時期、春休みだからですか?」
「ケーキと休みは関係ないんだ」
ヨウムは苦笑いをした。
行きつけのケーキ屋「ウーニクス」の扉には準備中の札がかかっている。店内は明るい。
ヨウムがいつも通り札を気にせず扉を開けると、カランとドアベルが鳴り、甘い匂いが漂ってくる。
ブナは少し不思議そうにヨウムを見つめる。
「こんにちは」
ヨウムが誰もいない店内に声をかけると、厨房から店主が出てきた。
「ああ、先生。こんにちは。相変わらず朝が早いですね」
店主は陽気に笑う。
「お久しぶりです」
ヨウムは深くまで被っていたフードを脱ぎながら挨拶をする。
「今日もお土産用の焼き菓子ですか?」
「いえ、今日は……生菓子とマカロンを」
「マカロン」
マカロンという単語に、ブナは目を輝かせてヨウムの方を見る。
「今日は二つ選んでいい」
「二つ――!?」
ブナはますます目を輝かせ、さっそくケースの前にしゃがみ込んで、下段に並ぶマカロンを選び始めた。
「アプリコット……ピスタチオ……ガナッシュ……レモン……」
札を読み込んでは眉間に皺を寄せ、頭を傾げながら真剣に悩んでいる。
「今回は色ではなく味で選ぶんだな」
ヨウムがブナの反応を面白く見ていると、店主がカウンター越しに近寄り、こそこそと話しかけてきた。
「すごい綺麗な子ですね」
態度は遠慮がちなのに、店主の声がよく通るのでこそこそしている意味がない。本人にも聞こえているだろうが、マカロンとケーキを選ぶのに忙しくて気にしていないようだった。
「いやあ、魔導学園の教師や学生さんは、皆さんべっぴんさんですけどね。別格に綺麗なお嬢さんですよね。美人だし、顔も小さいし、背も高い。足なんてすごく長いし。いやあ、すごいなあ。
さすが女神に愛された人ってのは違いますね。先生の研究室の生徒さん?」
「まあ、そうですね。そんなところでしょうか」
実際にはヨウムは専攻授業を持っていないので、研究室の生徒などいない。しかし学園内部のことを話すわけにもいかないので有耶無耶に応える。
ブナを改めて見る。
日々成長するブナは、身長もさらに伸び、年相応の容姿になってきた。
確かに綺麗な顔をしている。目鼻口のパーツがまず一つずつ美しく、顔に配置された具合も比率が整っている。
すましていればすごく美人だ。
珍しい力強い目の色も、珍しい柔らかい髪色も彼女の雰囲気によく合っている。
きめ細やかな肌は艶があり、肌荒れなど一切ない。家事を毎日こなすのに、手の指先まで白磁のようだ。
髪はふわふわと柔らかいのに、しなやかで絹のように光沢がある。
なるほど。
確かに、これは学園のどの学生にも引けを取らないな。
ブナは肩までかかった髪の毛をさらりと手で耳にかける。
その仕草が――
とても美しくない。
ヨウムは思わず眉間に皺を寄せ、注視する。
よく見ると毛先が少し跳ねていて、寝癖のあとがある。
髪はきちんと梳いているのか?
市井のごく普通の家で育った少女と思えば気にならない。
だが、学園に集う殆どは高貴な家柄の子ども達だ。
見た目が良いだけに、外見や仕草の一つ一つに粗があるのが目立つ。
食事マナー、勉強する時の姿勢、座り方、立ち方などはヨウムも教えたし、基本は身についている。しかし、淑女としての品の良さを求めるには、それだけでは足りなかったとヨウムは反省した。
「これはまずいな。心配だ。圧倒的に足りない……」
「あ、やっぱり? 先生としては心配しちゃいますよね。あんなに可愛いと、変な虫が寄らないか」
「品が……。あれでは浮いてしまう」
「そうだよねえ。背筋が伸びてて立ってる姿だけで品を感じるよねえ。本当、美人は見てるだけでウキウキしちゃいますねえ」
お互い話がまったく噛み合っていなかったが、ヨウムは何も言わなかった。
「はい。じゃあ、お会計ですね。ありがとうございます。お釣りです。あ、学生さん」
「はい」
「ヨウム先生のこと好き?」
財布に釣りの銅貨を入れていたヨウムの手が止まる。
突然の店主の質問に心臓が跳ね、背筋が凍った。
突然、なんて恐ろしい質問をするんだ。
ヨウムがどうフォローをするか悩む間もなく、ブナは即答した。
「はい。大好きです。ヨウム先生はとても素晴らしい先生です」
「そっかあ。うんうん。そっかそっか。じゃあ学生さん、これギモーブ。サービスね」
店主は満足げに答えた。
ブナも満足げにギモーブを受け取っている。
ヨウムの表情だけが、曇ったままだった。




