第37話 有能な詐欺師
「ただいま」
ヨウムが目の前のブナに声をかけるが返答はない。
まあ、返事がないのは予想通りだな。
三個目か。驚異的な速さで進めているな。
学園から帰ってくるとブナは居間で、言われてもいないのに既に新しい回路標本を転がしていた。
居間の照明はついている。
台所にはスープと野菜炒めと鶏のソテーが出来上がっている。
風呂を見に行くと程よい温度で湯が張られている。
標本を与えて僅か二週間だ。ちゃんと寝ているのか心配になるな。
ヨウムは机に置いてあるブナの課題を確認して苦笑いをする。魔導学は出した課題以上を進めていた。
「ふっ。随分と、進めすぎじゃないか?」
科学、数学はまあまあか。社会と歴史が明らかに遅れている。さて、どうするか。
*
「え? 勉強を……減らすのですか?」
ブナは耳を疑った。
「意外か?」
「正直、そろそろお咎めがあるかと……」
「何に対して?」
「社会と歴史がさっぱり分かりません。偉い人と、土地の名前と、有名な政策が、覚えても覚えても頭の中から消えていきます。大混乱です」
「うん。覚えても覚えても忘れてしまうなら、もうやらなくていいんじゃないか?
だったら他の勉強に時間を割いた方が生産的だと思わないか。君の時間は有限だ」
ブナは口をあんぐりと開けて呆ける。
「え、でも、だからこそより一層勉強に励み、苦手を強化するべきなのでは?!」
「したいのか?」
「……したくないです」
ブナは明らかに嫌な顔をして目を細める。
ヨウムは口元に手を持っていき、少し俯いて笑い始める。
ヨウムの笑うツボがブナにはよく分からない。
「先ず、私は君を一人立ちできる力を身に付けてもらうという目的で勉強を教えている。
社会、歴史も然りだ。収入と支出の管理、情報の見極め、経済の把握、所属する社会のルールを身に付ける……そういうことができれば一人で稼いでいけるだろう」
ブナは静かにヨウムの話を聴く。
ヨウムの言うことはブナにはいつも少し難しい。難しいが自分にとって、大事なことを言っているのがよく分かる。
だから毎回真剣に聴くようにしている。
「ブナはなぜ小麦粉と卵をわざわざ違う店で買っているんだ?」
突然食べ物の話に飛び、ブナは少し驚く。
しかしそれも日常的なことなのできちんと答える。
「値段がお安い方を買います。卵は養鶏場の直販が、安くて美味しいです。小麦粉は同じ商品でも量販店の方がずっと安く手に入ります」
「なぜ量販店の方が小麦粉は安いんだ?」
「大量に仕入れられるので安価で提供できます」
「では、小麦粉の値段が年によって変動するのは?」
「作物ですので、天候による不作、豊作が影響します。
あと、過去に小麦産地のセーヌなんちゃらという地域からの輸送が滞った時に高くなりました。
小麦粉を食べると病気になるという風評被害があった時は需要が減った分、過供給になりとてもとてもお安くなりました」
「うん。そういう社会の背景や仕組みが分かっていれば、それに対して自分で考え、より良い選択をすることができる。
無知であれば、一方的に搾取されることになりかねない。無知は危険だ。
因みに産地はアリッセーヌだ」
ブナは大きく頷く。事実、ブナは無知なことで損をするという経験をしてきた。
この大陸では魔力を使いこなせるだけで、人よりずっと高い収入を得られる。そんな事実さえ知らなかった。
「次に、ブナは固有名詞を覚えるのは苦手だが、法則や原理を理解するのは得意だ。
そういう特徴があるだけだ。咎められるようなことではない。
どの学問も暗記するのが目的ではなく、その知識をどう活用するかが重要だ。
自分が携わる仕事や社会に対しての知識は必須だが、それ以外が覚えられないのなら、調べればいいだけだと私は思う」
ブナはこくこくと頷く。だが、お咎めがないのはいつも不思議だ。
「最後に、自立する上で世の中の制度や過去の出来事を知ることは不可欠だ。
ただ、基本的な必要最低限の勉強はできている。あとは必要な時に学べば良いと考える。よって、社会と歴史の勉強は課題から無くす」
ヨウムはキッパリと伝えた。
これだけ大事だと言われた後に、もう勉強させないと言われると……不安になる。
「何か……他にないですか?」
無くすと言われて、逆に不安になったブナは弱々しく聞いてみる。
「そうだな。課題は出さないが、薦めたい書籍なら何冊かある」
そう言ってヨウムは自室の本棚から何冊かの本を持ってきた。
「どれも少し難しい本だが……。
それぞれが、金融の面から、宗教の面から、土地の面からの視点で歴史と政治を見て、読み解いている。全て読んで比較してみると、同じ出来事でも多角的に捉えられてすごく面白い。どの本も気に入っている」
そう語るヨウムは心なしか口調に熱が入っている。目力もある。
本当に気に入っている書籍なのだとブナには分かった。
「もし、ブナが読んだら、ぜひ感想を聴かせて欲しい。解釈について論議できたらすごく楽しいと思う」
この人がそんなに言うなら面白い本なのだろう。興味が湧く。
自分にとって、とても有能なこの教師は、もしかしたら詐欺師にも向いているんじゃないだろうか。
ブナはそのまま本を全て預かりながら、そんなことを心の片隅で思った。




