第32話 一月の精進
「あらまあ。これはいったいどういうことかしら?」
年が明けて間もないころ、ヨウムの家を訪れたマーサは目を疑った。
居間のソファの背もたれから、ブナが何度も背面から飛び降りている。床には布団が敷いてあり、一応怪我をしないようにしてある。
「遅い。反応が遅い。それでは間に合わない。反射で出来るようになるまで繰り返すんだ」
「は……い」
ブナは再びソファの背に登り、背面からまた飛び降りる。
「術式を書き上げるのが遅い。考えるな。一個ずつ展開しない。全て同時に、迅速に」
「はい……」
そしてブナはまた飛び降りる……。
「目眩がするわ。その後のブナさんの様子が気になって、新年のお祝いに挨拶を兼ねて寄ったのだけれど」
マーサは両手で大きくパンパンと打ち鳴らす。
ブナが飛び降りるのを止める。ようやくヨウムも、訳のわからない指導をやめた。
「ヨウムさん」
マーサは笑顔で声をかける。しかし、静かに憤っていた。
「はい」
ヨウムは察したのか、静かに返事を返す。
「あなたは、訓練兵でも育ててらっしゃるのかしら?」
「いえ。すみません。少し、厳しく指導しすぎました」
「少し?」
「まあ、少し……」
「私、お願いいたしましたよね? 十五歳のレディとして接してくださいと」
「はい。すみません。少し……難しい術を教えていました」
マーサは腰に両手をやり、首を左右に振りながら、大きなため息をついた。
「私が、この間、ウサギを追いかけていて、崖から落ちたのです。で、派手に怪我をしました。
それで、保護魔法の会得が最重要課題だと言われ、訓練していました。
因みに、死なずに済んだのはヨウム先生の凄技のおかげです」
ブナがマーサに弁明する。
「そう。理由は分かったわ」
マーサは出された紅茶を優雅に飲みながら答える。
「ブナさんも、少しは十五歳のレディとしての自覚を持ちましょうね」
「レディ……」
「そう。そもそも保護魔法を覚える前に、レディは山でウサギを追いかけたりしないわ。可愛いのは分かるけど」
「いえ、食べたかったので。あと、木から枝ごと落ちたこともありましたので」
マーサは一瞬、言葉を失い、かぶりを振る。
「ブナさん、十五歳のレディは木登りなんてしないのよ。あと、自分で狩猟なんてしないの」
食べるためにウサギを追うなど……、学園に通う紳士淑女の前で言おうものなら、卒業まで馬鹿にされてしまう。そんな事も分からないヨウムではないだろうに、と、マーサはまたヨウムを睨む。
ヨウムは瞼を半分閉じ、無表情だ。
奇怪な容貌とは不釣り合いに、上品な仕草で紅茶を飲んでいる。
「ところで、その後、身体の調子はどう?」
「大丈夫です。元気です。その、もうたいして痛くないです」
ブナは小声で話し、微かに二度頷く。
同じ場にヨウムもいるため、気恥ずかしいのだろう。
「その節は大変お世話になりました」
ブナは気まずそうにペコリと頭を下げる。
「あのカード。お高い物だったと伺いました」
「ああ、大丈夫よ。気にしないで。随分と融通していただいているから」
「学長にはどのように報告を?」
しばらく無に徹していたヨウムが口を開いた。
「先日の報告はあげていないわ。女性のプライベートな事だもの。いくら旦那様でもわざわざ話すつもりはないわ」
「それは、ありがとうございます」
ヨウムはマーサの言葉に安心したようだった。
ヨウムの指導方針は、マーサからすると到底理解しがたいものだったが、面倒見が良いのは分かる。
マーサは笑顔を返した。




