第31話 冬の学び
「魔術?」
ブナは聞き返す。
「ああ。明日からブナに魔術を教える。二週間後には冬休みになるから、そこから実技を本格的にやろう。それまでは原理や術式の理解、分類や仕組みなど、基本的な知識を学ぼう」
そう言ってヨウムは自室から先ほど書いていたノートを持ってきて、ブナに手渡す。
「基本をまとめておいたから、これで一先ず勉強を。グローブは、これでは事足りないから、明日、緊急で新しいものを頼んでおく。冬休み前までには手元に届くだろう」
「魔術……。私は、明日から魔術を教われるのですか?」
ブナはもう一度確認する。
「基本的なものだけだが」
嬉しかった。
ブナにとって魔力は、隔たりを、痛みを、苦しみを運んでくるだけの厄介な代物だった。
使い道も分からない、ただ耐えるだけのもの。
その魔力を、使えるようになる。
さっきヨウムが見せてくれたような、美しい炎や、身体を浄めてくれる魔術だ。
「最高です!」
ブナは興奮した。
何より、渡されたレポートが嬉しかった。
ヨウムは次の課題の準備をしてくれていた。
本当に初めから、追い出すつもりはなかったということだ。
ブナの心の中に温かいものが溢れた。
*
「本当に感心する。少しはうちの学生にも見習って欲しいものだな」
ヨウムは深夜に学園から帰り、夕飯、風呂を終えた後、いつものようにブナの課題を添削する。課題を残した本人は立てたスケジュール通りにすでに床に就いている。
この時期の学生は、学園祭と冬休みの間に挟まれているため、気持ちが浮つきやすい。校内で問題を起こす生徒も多くなり、教員はその対応に追われるのが通例だ。
魔力量が多い不安定な若者を集めた学舎は、一歩間違えればミス爆ぜの温床だ。ミスの患いが生じるたびに、教員たちは皆、緊急の対応を迫られる。
魔術の基礎を教え始めて一週間。
ブナの勤勉さは益々増し、自主的に魔導書を読み漁っているようだった。一つの課題に対し、二、三冊は読んで、比較検討して答えを導き出しているのがよく分かる。
「優秀だな」
二階にある魔導書は、内容が初心者向けで簡単なため、今のブナには丁度良い。簡単だがどれもよく書かれている良本だ。
あれらの本を理解できれば、かなり力がつく。今後が楽しみだ。
ヨウムは時計を確認する。普段ならとうに寝ている時間だ。
「三十分だけ弾くか」
ヨウムは居間の奥に置いてあるピアノの蓋に手を触れた。
*
「本人はとてもやる気があります」
「やる気があるなら課題を提出すべきでした」
「彼だけ提出期限を延ばしてやらないなんて、公平さに欠けるのではないですか? ヨウム先生らしくないですよ」
「公平なればこそ、オットー・マルクスは提出期限を延ばす必要はありません」
「でも、他の学生は提出期限を延ばしたんですよね?」
「延ばした学生は皆、課題を一度は提出しました。内容が足りないため、やり直すよう指示しました。その上で期限を延ばしただけです。オットー・マルクスはそもそも課題を提出していません。よって二学期の成績は不可です」
「いや。でも、ちょっと厳しくないですか? やる気はあるのに」
「私にはやる気を感じられませんでした」
「それはっ、ヨウム先生が生徒から信頼されてないだけなのでは?!」
「ふあああ。眠っ。ってか、今日こそ私は定時で帰りたいんですけどー。あ、これ先週の報告書ね」
教員室でライ・ランツとヨウムが学生の成績で揉めていた。
ブレンナは我関せずと、シーモアに報告書を渡す。
「ああ。確かに」
シーモアはにこにこしながら報告書を受け取る。
相変わらず胡散臭い笑顔だわ。
ブレンナは思う。
「で、あれ何してんの?」
揉める二人の方に視線を移し、シーモアに尋ねる。
ブレンナは、上司に敬語を使う素振りもなく、腰まである自慢のハニーブロンドの髪をかき上げる。
「うん? オットー君はね、ライ先生に憧れていてね。ぜひとも高等部に進級した際にはライ先生の専門科目を学びたいと言っているんだが。ほら、ヨウム君の授業の必修科目で不可がつくと進級できないじゃない?」
「不可になったら、また一年やり直せばいいじゃないですか」
ブレンナは興味がない。
「オットー君は今十九歳だからね」
「ああ、後がないんだ。それでライ先生に泣きついたんだー」
学園の在学許可年齢は十五から二十歳と決まっている。それは魔力のコントロールを学ぶのに適している年齢だからだ。逆にその時期を過ぎてからだと、いくら勉強してもほぼ使いこなせなくなる。だから学んでも意味がないのだ。
制限は厳しいが、学園も慈善事業ではないから仕方がない。
「ちゃんと僕が面倒を見ます! 未来ある若者を導くのが我々の役目ですから!」
ライが力説している。
「うっわぁ。熱血ー。びっくりぃ。ライ先生って、見た目爽やかでかっこいいけど、あの熱苦しいのが無理なのよねえ」
ブレンナは好きに言いたい放題だ。
「で? 学長、どうすんの?」
学生の評価に対して職員間で意見が割れた際は、その判断は学長に委ねられる。そして、こういう場合、学長は魔力をたいして持たないヨウムの意見を尊重することはない。
「悩ましいけども。学生の輝かしい未来を潰すわけにはいかないよね?」
「さあ。私はしがない養護教諭なんで。学生が患いやら、ミス爆ぜやら起こしてくれなきゃ何でもいいですよー」
ブレンナはヨウムを見る。
醜い風貌に、少ない魔力。
哀れな男だ。狸ジジイに低給料で、すっかりいいように使われている。
「さてと、じゃ、私は養護室に戻りますね」
「あ、ブレンナ君。申し訳ないけど、この時期は皆、生徒が不安定だから、今日も残業よろしくね」
シーモアがにこにこと念押しをしてくる。
本当、嫌な狸ジジイだわ。
ブレンナは堂々と舌打ちをした。
*
年の暮れ。
教員たちも皆、無事に冬休みに入った頃、特別に注文しておいた魔晶石を織り込んだ魔織布で作ったグローブがヨウムの元へ届いた。
請求先は学園の経理になるため、いずれ経理から学長に確認が行くだろう。
市場に出回っている値段とは桁が違う。
冬季休暇明け早々、領収書を見た職員は驚くだろうな。
荷を解き、品質を念入りに確認する。
問題ないと判断したところでヨウムはブナに声をかける。
ブナは相変わらずヨウムには理解できない絵を描いていた。
*
「家にある魔導具は色々あるが、とりあえず良く使うのは台所の熱源、風呂、照明、洗濯機、鍵。このあたりだろうか」
ヨウムは早速ブナに身の回りの魔導具について説明をする。
「冷蔵庫は、とても高価な物なので、うちには置いてない。必要な物だけ冷却魔法や保護魔法をかけて食料棚にしまっている」
ブナが頷く。
「暖房冷房器具もうちにはない。その代わり断熱効果と保温効果を高める効能を付加された魔晶石を混ぜた壁材が使われてある。
照明器具、洗濯機は魔晶石に魔力を蓄積しておき、必要な時に蓄力を使っている。だから定期的な魔力の補充が必要になる」
ブナはさらに頷く。
「鍵は条件を満たす術式を展開させると施錠解除ができる。台所と風呂の熱源は魔力の調節はコツがあるが、術式は割と単純だ」
ヨウムはつらつらとブナに説明をしていく。到底一回で覚えられる量ではないと分かっているが、忘れたらその都度確認しなおせば良いというスタンスだ。
「先ずは、お湯を沸かす、というのが一番簡単だ。そこから覚えよう。
ただ、料理のお湯は百度、風呂のお湯は四十度と、熱を加える熱源の術式は同じだが、温度の差は回路に流す魔力量で変えなくてはならない」
「……魔力量」
「百度のお湯を沸かす方が調節が少ない分、やりやすい。座学で学ぶことで原理は分かるだろうが、魔術は身につける技術や技能だ。できるまで何度も練習するしかない。
スープが上手に作れるようになったら、次は蒸し物、焼き物、グリル、揚げ物と、色々な料理に挑戦してみるといい」
「はい」
「うちの台所の熱源は旧式だから、どれも同じ術式だが回路の展開の仕方を少しずつ変えなくてはならない。食材の素材や量、使う鍋の種類によっても微妙に差が出るから面白いんだ」
ブナはヨウムの隣で眉間に皺を寄せている。
「まあ、生活に即した基本的な魔術は学ぶより慣れが大事だな。
展開する回路は器でもある。器の大きさに合わない大きな魔力を流しすぎると魔力暴走を起こす。回路が壊れて行き場を失った魔力が制御できなくなる。だから初心者や魔力のコントロールが苦手な者はこの魔晶石が織り込まれているグローブが必要になるんだ」
ヨウムはブナにグローブを手渡す。
「ブナの魔力に合わせて特別に作られているから、安心していい。この前みたいに突然火柱が上がったりすることもないから」
説明するたびに、ブナは隣で無言で頷いていた。
「実際やってみようか」
「やります!」
ブナは目を輝かせた。
「ようやく……沸きました」
ブナは三時間かけて、ようやく小鍋のお湯を沸かした。心なしかぐったりしている。
「ヨウム先生は一分で沸かします」
ブナは恨めしそうに小鍋を見る。
「慣れだ」
「鍋の水を沸かしながら、炒め物も、グリルも同時にやってます」
「慣れだな」
ヨウムは短く笑いながら、隣で唸るブナの頭を軽く触れるように撫でる。
「せっかくお湯が沸いたからココアでも淹れようか」
ブナの萎んでいた目がまた開いて、たちまち輝く。
素直な反応がいちいち面白いとヨウムは思った。




