第28話 十二月の木枯らし
「大丈夫そうよ」
マーサは紅茶を優雅な仕草で飲みながらヨウムに伝えた。
「え。朝から顔面蒼白で、身動きもできないほどだったのに?」
「そうねえ。気持ちは塞ぎ込んでいたわね」
「体調が悪いからではないのですか?」
「体調は悪いわよ」
「……先ほど、大丈夫だと」
「大丈夫よ」
「体調が悪いのでしょう?」
「体調は悪いけど大丈夫なのよ。女性にはそういうことがあるの。月一回くらい、身体が重かったり、腰が痛かったりお腹が痛かったり、寒気がしたり頭痛もしたり、気持ちが落ち込みやすくなったり、悲しくて涙が出たり。そういうことがあるのよ」
マーサは言葉を続ける。
「先月は初めてで軽かったみたい。だから今回は驚いてしまったんでしょうね。でも、今回くらいが普通だから大丈夫なのよ」
「え、いやいやいや、仰っている意味がよく分かりま……いや。
あ……ああ……分かりました。……すみません」
ヨウムは片手で顔を覆い、反対の手で支えるように身体の重心を机に預けて項垂れた。
自分ではなくマーサが呼ばれたわけが分かった。
女性だからか。 ブナは女性だから今、調子を悪くしていたのだ。
「まあ、具合の悪さは人それぞれですけれど」
そうマーサは付け加える。
「ヨウムさん。この機に釘を刺させていただきますが」
マーサからいつもの朗らかな笑顔が消え、ヨウムを見つめる。
「は……い」
マーサの醸し出す重い雰囲気にヨウムも慌てて、姿勢を正す。
「ブナさんは十五歳のレディです。
淑女というのは周りが淑女として扱うから淑女としての自覚が芽生え、品格が身につくのです。
よほど本人のやる気があれば別ですが。ちなみに私は、そのやる気で独学で学びましたが――
残念ながらブナさんからは淑女としての自覚も、やる気も感じられません」
マーサは熱弁し始める。
「そもそも、先日のヨウムさんのお土産は何ですか?」
急に土産の話が飛んできて、ヨウムは少したじろぐ。
今話題にしていたのはブナの体調のことではなかったのか。
「すみません。スカーフに何か問題が?」
「スカーフに問題はありません。とても素敵な贈り物でした。気に入っています。私によく似合いますし、嬉しいです。だからこそ余計に問題なのです」
ますますヨウムは混乱する。
「私へのお土産があんなにセンスの感じられるものだったのにも関わらず! なぜ、ブナさんへのお土産が肉なのですか?!」
「……鹿肉が好きだと、言っていたので。喜ぶかと」
事実、ブナは喜んでいたし、とても美味しそうに食べ、満足していたと記憶している。
「飼ってる犬への土産じゃないんですよ!
ヨウムさんは十五歳のレディに対する態度を改めてくださいっ! そもそもあの強化訓練のような一日のスケジュールも……」
マーサの熱弁は終わらない。
人からこんなにこんこんと説教を受けるのは久しぶりだ。
マーサの長い長い説教を聞きながら、ヨウムは口角が上がりそうになるのを引き締めた。
*
とりあえず、マーサさんは問題ないと言っていたし、これくらいなら食べられるだろうか。
ヨウムはマーサが帰ると、さっそくスープを作った。
食器を取ろうと振り返ったところで、いつのまにか部屋から出て来たブナと目が合う。
「大丈夫か?」
ブナの顔色は相変わらず蒼白だ。
「ちょうどスープが出来上がった。身体も温まるし、食べられそうなら少し食べないか」
ブナは静かに頷き席に着いた。
今までが天真爛漫な少女だっただけに心配になる。
ブナは姿勢を正し、丁寧にスープを食べている。基本的なテーブルマナーはきちんと身に付いた。静かに食べている姿からは、マーサのような優雅さはないが、微かに品の良さを感じる。
素手で魚を捕ったり、山で鹿を追いかけていた少女と同じ人物だとは思えない。
差異が大きすぎるのが面白くて、ヨウムは思わず口元が緩む。
「ご馳走様でした」
ブナは両手を合わせて丁寧にお辞儀をする。
すぐに皿を片付けると、また静かに席に座り直した。
何を言うわけでもなく、じっと座っている。
居心地の悪い沈黙が続くので「大丈夫か?」と、もう一度尋ねる。どうあっても大丈夫には見えないが、ヨウムは何をしてやれば良いのかも分からず考えあぐねる。
「私は……いつ、ここを出て行ったら良いでしょうか」
ヨウムはブナの突然の質問の意図が見えない。
異常に磨き上げられた部屋と、以前交わした会話と、少しだけ見たノートを思い出し、頭の中でパズルのピースを組み立てていく。
それでも足りないピースを求めて、ヨウムは探るようにブナに問う。
「出ていかなくてはならないと?」
「そうですね」
「自分から出ていくんじゃなかったか?」
「その必要がなくなりました」
「私が君を追い出すからか?」
「お役にたてませんでしたし」
「役に立ちたくて掃除を頑張っていたのか?」
「でも必要なかったです。私は」
「よく働く君を、私が必要とすれば、追い出されないと考えた」
「でもヨウム先生は困らないです。そもそも一人が好きです」
「まあ、そうだな。一人は気が楽だ」
「はい。それで、いつ出ていくのがいいでしょうか?」
ヨウムは左手で顔を覆って唸る。
右手の中指の腹でトントンと机を叩いて考える。
これは、私の落ち度だな。
熱にうなされたブナが初めて泣きながら、「追い出さないで」と懇願していたことを思い出していた。
ずっと悩ませていたのか。
誰が聞いているかということを考えもせず、一時の焦りで、不用意に「女性の面倒はみれないから担当を変えてくれ」と大きな声で叫んでいた自分を思い出す。
あの一言でずっと不安にさせていたのか。
マーサが「始まったのは一ヶ月前」と言っていた。
過密スケジュールで家の掃除も勉強も頑張り始めたのも、ノートを見せなくなったのも一ヶ月前だ。
ようやくパズルのピースがハマったように納得がいった。
それで昨日、あんな質問をしてきたのか。
『私がいなくなったら困りますか?』
大丈夫。追い出さない。
独り立ちできるまで面倒は見るつもりだ。
そう言ってやればブナは安心するだろう。
自分の落ち度だ。すぐにでも謝り、安心させてやりたい。
それでもヨウムは考えていた。
天井を仰ぎながら、変わらず右手の中指で机を叩いていた。
叩く強さは少し増している。
問題は、必死になって掃除をし、勉強もし、震えながら自分が必要かどうかを確認してきたことだ。
要するに、ブナはこの家にいたいのだ。
なのに、ブナは一言もそんなことを言わない。
この家に居たいのに、出ていく日程を確認してくる。
自己表現をしていない。
流されるまま生きることに抗っていない。
本当に都合の良い子だ。
生きる過程で身につけた習慣だろう。
諦めることは、求めないことは、
どうにもならぬ現実の前で、挫折も絶望も感じずに済む。
故にこそブナは心を病まず、ミスを患わなかった。
だが、ヨウムはその生き方を是とはしない。
一人の足で、
自分の両足で大地を踏みしめ、
しっかりと世界を選び取り、
自由な魂のまま、生きて欲しいと切に願う。




