第24話 十月の客人
「よく頑張ったな」
ヨウムは課題を生徒に返却しながら、努力したことが見て分かる生徒に声をかけた。
「ひいいい。すみません。次も頑張りますから、許してください」
ブナとのやり取りの習慣で、思わず学生に笑いかけてしまったのがよくなかった。
悍ましい姿のヨウムが笑うと、気味悪さが増し、まるで化物が薄ら笑うかのように見える。
ブナはなぜかヨウムの姿も表情も笑顔すらも怖がらない。そのため、自然と笑顔を零すようになっていた。
何を許して欲しいんだよ。
ヨウムは瞼を半分閉じ、目線を下げながら心の中で返した。
相手が男子生徒でよかった。流石に保護者からのクレームにはならないだろう。
*
「あらまあ。随分と大きくなって。こないだまで、とても小さかったのにねえ。少しお姉さんらしくなったんじゃない」
久しぶりに訪問したマーサは、まるで一年ぶりくらいに会った親戚の伯母のようなことを言う。実際、ブナの身長は二十センチ近く伸び、顔つきも成長している。マーサは素直に驚いたのだ。
「お久しぶりです」
ブナは首を曲げ、頭だけ下げて会釈する。
「お久しぶり」
マーサはスカートを摘み、足を軽く下げ、身体全体を使ってふわりと気品溢れる会釈を返す。
肩まで伸びたカールのかかった髪がさらりと揺れる。その姿は五十歳を過ぎている女性とは思えないほど華やかだ。
ブナは目を白黒させる。
「あらまあ。すごい量だこと」
マーサはブナの机に積み重なっている本を見て呟いた。表紙に付いている印から、半分以上は図書館のものだと分かる。
パラパラと中身を確認する。挿絵は少なく、読みやすい字と表現で書かれている。
子ども向けだ。だが、この前までは絵本をたどたどしく読んでいた子だ。
「これ、本当に読むの?」
思わずマーサは確認する。
「はい。図書館は色々本があって良いところです。沢山貸してくれます。なんと、タダで! とてもとても良いところです」
ブナは「タダ」という所を強調した。
「あら、こちらは?」
図書館の印がない。偉人たちの伝記シリーズだ。本棚に三十冊はある。
「ヨウム先生が、買ってくれました」
「経費は学園持ちですけどね」
ヨウムが付け加えた。
「なぜ伝記を?」
マーサはヨウムに尋ねる。
「ブナの語彙力を増やしたいのです。図鑑や絵本、自然科学の本は読みたがるのですが、小説を読みたがらないので。
魔術を扱う上で感情のコントロールは重要ですが、それには自分の懐く感情への正しい理解が必須です。
理解する上で、感情を言語で表現できることが重要になります。語彙力を増やすのが今のブナの課題かと」
ヨウムは丁寧に説明する。魔術の使えないマーサを気遣ったのだろう。
「そう」
マーサはにこりと微笑む。
「冒険とか、大したことない」
話題にされた本人が呟く。
「まあ、あなたの人生からしたらそうかもね」
「恋愛とか、どうでもいい」
「まあ、あなたはまだまだ必要なさそうね」
「推理小説は……あっさり殺される。つまらない理由で……。苦しい」
ブナは眉間に皺を寄せて渋い顔をした。
どうやら謎を解く主人公ではなく、殺される側に感情移入してしまうようだ。
「伝記は、頑張ってます。すごいです。えらいです」
「そう。歴史の勉強にもなるし、いいと思うわ」
おっとりと返しながら、机の上にあるブナのノートを開く。
『ルートビヒは頑張りました。人のためですごいです。感動しました』
『ルートビヒはあきらめなかったのが、すごいです。感動しました』
『ルートビヒはお金をあげました。えらくてすごいです』
本を読んで感じたことを書かせているのだろう。稚拙な文章が並んでいる。
字の美しさ、誤字脱字、文章構成を赤字で正され、より相応しい表現を書き加えられ、詳しい説明を求められ、さらには――
『もっと心が動いた理由を深掘りするように。辞書を使って類義語を調べなさい。
感動以外の表現を学びなさい』
と書き加えてある。ノートはどのページも添削で真っ赤になっている。
「あらまあ」
普通の子どもなら泣くか喚くか、ふてくされるか、いずれか何かしらの反抗をするところだろう。
マーサが呆れていると、背後でヨウムがブナに声をかけた。
「ブナ。どうして今、床の本を跨いだ?」
「え」
ブナはヨウムに指摘され、足元を確認する。
「気づき……ませんでした」
少し驚いたように返す。
「ブナ、それは違う。君は確かに今跨いだ。
本を跨ぐのに必要な分だけ足を上げ、歩幅を決めた。跨いだということは、見て、知覚して、判断したからこそ、跨ぐという行動になるんだ。
気づかなかったのではなく、君は無意識に選んだんだ」
ヨウムは静かに淡々と、しかし、確実に指摘する。
「跨ぐのは行儀が悪い。
しかし、それ以上に、無意識のまま正しくない行動を繰り返すのは問題だ。
誤ちを生み、成長を妨げる。
意識して行動するように努めなさい」
そして続ける。
「ふと心に留まったなら、流さず、放らず、意識して拾いなさい。
それができれば自身を助ける力になる。
これは訓練で身につけられる技術だ。今すぐ本を拾って、あるべき所に片付けなさい」
「はい」
ブナはすぐ本を拾い、片付けた。
「あらまあ」
やはりヨウムは自分より厳しい。
シーモアはブナを「海のものとも山のものとも分からない金の卵」だと言っていた。
そんな不特定なものをヨウムに預ける理由が分かった。
以前、シーモアは夏のバカンスの際、ブナがミス爆ぜを起こしたと連絡を受けていた。
慌ただしくなるかと思いきや、シーモアは焦った様子もなく、随分とのんびりしていた。
すぐに駅に向かうか確認したところ、「特別客室の空きがある列車で一番早いものを予約してくれ」とゆったり返された。
ヨウムの容姿こそ異質ではあるが、こんな人材をよく見つけてきたものだとマーサは感心する。
マーサは貴族ではない。それでも自分の才を買ってくれたシーモアに彼女は恩義を感じていた。シーモアの眼力と見識には敬服せざるを得ない。
「それでは、ブナをよろしくお願いします」
「もちろんです。お任せください」
ヨウムは苦笑いをしていた。
「あら、ヨウム先生は乗り気ではなさそうですね」
「宿泊を伴う課外での特別活動ですよ。流石に気が重いですね」
ヨウムはわずかに乾いた笑いを返す。
急に体調が悪くなったライの代わりに、ヨウムが代行で付き添いに同行することになったとシーモアから聞いている。
普段はその風貌のため、課外授業は任せていなかったらしい。
『マーサ、ヨウム君を特別活動に連れていくから、ブナ君の面倒を頼むよ』
そうシーモアに言われたのが昨夜のこと。
そして今朝早く、マーサはヨウムの家を訪れることになったのだった。
*
「で、マーサ。どうだったかな?」
シーラン家に戻るなり、シーモアが聞いてくる。相当関心を示しているのが分かる。
「いけませんね。両者ともなっていません」
「両者とも……。ヨウム君もかね?」
「ブナさんもヨウムさんも、お二人ともです」
マーサは溜息混じりに、見てきたことを主人に逐一厳しく報告した。
*
「学長が、人によって魔力の形が違うと言ってました。どうしてマーサさんは学長と同じ形ですか?」
台所の熱源が使えないブナに代わり、マーサが火をつける。
ブナが隣で野菜を切りながら尋ねてくる。
「あら、これね。旦那様からお借りしたのよ」
そう言って、マーサは手のグローブをブナに見せてやる。
「魔晶石を糸にしたものが織り込まれている布でできているの。魔織布よ。魔晶石は、魔力を蓄積しておくことができるのよ。これも魔晶石ね」
グローブに美しく飾られている石を指差す。一見、水晶のように見える。
「私は魔力を持っていないのよ。
でも、こうやって魔力を蓄積してある道具を使えば魔術を展開することが出来るの。難しい術式は分からないから、その術式ごと組み込んでもらってるの。このグローブがあれば、この家でのお料理とお風呂は困らないわ」
そう説明し、マーサはにこりと笑う。
ブナは頷きながら、物珍しそうにグローブと、展開される術式を見つめていた。
「さ、いただきましょう。よく食べると聞いたから、沢山作ったわ」
料理を終え、ランチにしようと着席する。
ブナは目の前に出された皿を訝しい目で見ている。
「これは……何ですか?」
「パスタよ」
「これは……何ですか?」
食べる前の挨拶も忘れ、ブナはフォークで麺を天井の方へ引き延ばしている。
「カルボナーラよ」
「……なんで今、名前、変わるのですか?」
引き延ばしたパスタが宙でぶらんぶらん揺れる。その度にソースがあちこちに垂れる。
「ブナさん、お行儀がよろしくありませんわ。遊ばずに食事をいただきましょう」
マーサは、ブナの露骨な無作法にも、一糸乱れぬ穏やかな笑顔を崩さない。
シーモア家で長年乳母を務め、幼い孫たちにテーブルマナーを教え込んできた彼女にとって、これくらいの稚拙な行儀の悪さは、もはや驚きや動揺の範疇にはなかった。
ブナは宙に垂れ下がるパスタをさらに高く上げる。
すると勢いよく、その下に顔を潜り込ませ、大きく口を開け、垂れ下がるパスタを下からバクリと食べた。
マーサから笑顔が消える。
ブナと目が合う。
ブナは慌てて、よく噛みもせずパスタを丸呑みし、そのまま固まった。
*
「これは何かしら?」
「一日のスケジュール表です。計画を立てるといいとヨウム先生に言われます。朝ごはんの後は川を越えて、山まで走ります」
「一時間以上も走るの?」
マーサはスケジュールを見て確認する。
「二十分は柔軟体操です。走るのは一時間くらいです。終わったらまた柔軟体操です。
舗装された道より凸凹道のほうが鍛えられると言われます。なので、山の方まで行きます」
「まあ。そう」
食事、家事、掃除以外にも読書、ドリル、勉強と分刻みで細かく書かれている。
その間に自由時間が適宜振られているあたりが現実的で余計に恐ろしい。
「このお風呂前の体操は?」
「三十分体幹トレーニングします。健康な心は健康な身体からだと言われます」
「そう。健全な精神は健全な肉体に宿る……かしらね」
「そう。それです」
一日のスケジュールというより、もはや強化訓練用のトレーニングメニューにしか見えない。
マーサの顔は笑顔を絶やさないが、プランを立てた指導者に対し内心で呆れ果てる。
「大変じゃない?」
「大変です」
ブナは大きく一つ頷く。
「嫌にならない?」
「ならないです」
もう一度大きく頷く。
「私は今、字が読めます。書けます。時計も分かります。お金で買い物できます。数も数えられます。
だから働ける場所が増えます。毎日タダでご飯と勉強がもらえます。
でも、またすぐ追い出されるかもしれません。その前に、たくさん、たくさん勉強したいです」
ブナは力強い口調で説明した。その眼差しには、十五歳の少女とは到底思えない揺るぎない重みと真剣さがあった。
*
「マーサさん、すみませんでした。
ありがとうございました。こちらお土産です」
翌日遅くに帰ってきたヨウムは、マーサに土産を手渡す。
透明な袋には、艶のある繊細な織りの、品の良いスカーフが包まれている。
控えめな柄と色合いが、かえってマーサの華やかな気品を引き立てるだろう。
「まあ。とても素敵なお土産ね。嬉しいわ。ありがとうございます。」
マーサは心から伝える。
「ブナにはこれを」
ブナは尻尾を振って喜ぶ犬のように駆け寄る。
「おみやげですか!?」
「うん。おみやげだ」
ヨウムは少しかがみ、ブナの白金の髪をそっと撫でると土産を手渡す。
ブナは満面の笑みで礼を伝えると、嬉しそうに、もらった土産を胸に抱える。
「まあ、何かしら。開けてみたら?」
仕事で数回会っただけのマーサにですら、センスを感じるお土産を選んできたヨウムだ。ブナには何を選んだのか、マーサは純粋に気になった。
ブナと一緒にワクワクしながら中身を覗く。
それは質素な包装紙に何重にも包まれていた。
「しか! 鹿肉!! やったあ! ありがとうございます!」
興奮してはしゃぐブナとは逆に、マーサは急激に冷めていった。
*
「十五歳の少女に鹿肉ですよ! 生肉ですよ! 信じられません」
マーサは今回の出来事をシーモアに報告しながら、その内容に憤慨していた。
そこにはいつものおっとりした口調も笑顔もなくなっていた。
*
ヨウムは片手で顔を覆いながら、声を立てて笑っていた。
「パスタを出してくるあたり、あの学長の下で長く働いているだけあるな」
あえて難易度の高い料理を選んでくる。
「それは見てみたかった」
「ぐう」
ブナは薄目になりながら唸る。
「パスタの名前が変わりました。謎です」
ヨウムは口元に弧を描いたままブナに説明をする。
「君のお気に入りの色鉛筆。全て色鉛筆だが、色はそれぞれ赤、青、黄色と名前がある。そんな感じだ。
パスタはカテゴリー、品目。カルボナーラは料理名、固有名だ。因みにパスタは長い物、短いもの、様々な種類がある」
「せっかく口の周りが汚れないように頑張って食べたのに」
ブナは床にひっくり返って天井を見上げて呟いた。
「長いパスタはもういいです」




