第20話 初嵐の後
「まさに怪我の功名だな」
ブナの怨嗟の感情から誘発されるように爆ぜたミスは、ほどなくして、ブナの手足からすっかり消滅した。
身体の中を診ると、今まで残っていた澱も全てなくなっていた。
身体の中に澱として沈んでいたミスが、蝕みになって動いたことで、逆に外に排出しきることができたのだ。
ブナ自身は相当疲れたようで、ヨウムの胸にしがみついたまま眠ってしまった。
ヨウムは自分の木の皮のようなの節くれ立った小さな手で、ブナの涙を拭い、そっと頭を撫でた。
「小さいな」
家族がいたのに、家族として扱われなかった。
その事実をこの小さな身体にずっと仕舞い込んでいたのだ。
本当はもっと叫びたかっただろうに。
あんなものじゃ足りないくらい、怒り散らしたかっただろうに。
激昂して感情を爆発させたかっただろうに。
だが、ブナは今までミス爆ぜを起こすのとがなかった。
いつでもミス爆ぜを起こしうる環境にありながら。実際にはそれがなかった……。
その事実がヨウムの胸を重たく沈めた。
ヨウムはできるだけ丁寧に、貴重なものを扱うように、そっとブナをベッドに寝かし、優しく布団をかけた。
翌朝。
ブナは起きざまにすぐ、極度に緊張した面持ちで深々と謝ってきた。
「昨日は、本当に申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけいたしました」
腫れぼったくなった充血した目は虚ろで焦点が合わない。立っている姿勢に覇気はなく、顔は血の気が引き青ざめている。
まるで死刑を言い渡される前の罪人のようだ。
……謝罪の言葉だけは流暢に話せるというのも問題だな。
ブナはそのまま床に膝と手をつけようとしたのでヨウムは手で身体を支えて制し、止めさせる。
「大丈夫だ。何も迷惑はかかっていないし、困らされてもいない。
妹弟を羨ましく妬ましいと思うのは当たり前だし、君は何も悪いことをしていない」
「うらやま……しい。ずるい……。
ずるいは、昔々、毎日、毎日、思っていました」
ブナは下を俯いて目を閉じる。
「苦しい。苦しい……。毎日苦しかった」
首を小さく横に振りブナはヨウムの目を見て言う。
朝焼けのような瞳が揺れる。
「でも、今は……。今は、思いません」
その声は小さかったが、確かにしっかりとした力強さが目に宿っていた。
「そうか」
ヨウムはブナの腫れた瞼に柔らかく触れ、魔術で少し冷やしてやる。
「とりあえず、朝ごはんを食べよう。そして、食べたらすぐに出かけよう。午後には学長が着くらしい」
昨日のミス爆ぜの説明もブナ本人にすべきだが、シーモアがくれば話が重複するだろう。
ならばその時にまとめて話した方が時間が無駄にならない。
正直、邪魔されないうちに図書館と本屋に行きたい。
*
「まったく、夜中に突然呼び出されたものだから、家族とのバカンスを、私だけ一人引き上げ、夜も寝ずに移動してきたのだよ」
シーモアはヨウムの報告を受け、その男の家を訪れた。
「夜中に報告は致しましたが、呼び出してはいませんし、移動中は、貴賓室のベッドでゆっくり眠ってこられたでしょう」
予定通りに訪問したシーモアを、男は居間に案内しながらそっけなく返してくる。
確かにヨウムからの緊急連絡には、端的に
『本日、二十三時二十分にブナの感情が不安定になりミスが爆ぜる。
二十三時三五分に終息済み。
体内のミスは全て消失』
としかなく、呼び出しの要請はなかった。
だが、ミス爆ぜは緊急重要案件だ。
夜中だろうと報告する必要があるし、学長である以上、シーモアは何かしらの対応が必要だ。
「こんにちは」
ブナは立った状態でぎこちなく頭を下げて挨拶をする。
「ああ。こんにちは。ブナ君。調子はどうかな? かなり身体が軽いのではないか?」
「身体が軽いです。あと、温かいです。お腹もすぐ減ります。変です」
シーモアはブナの中に魔力を通してブナの魔力の様子を視る。
「ああ、本当に全てなくなっているねえ。
心配しなくていい。本来、若い者は身体が軽いものだし、よく食べるものだ。
君は普段、少しのパンとスープ、果物くらいしか食べていなかったと聞いている。むしろ今までが少なかったのだよ。たくさん食べなさい。
ミスの影響がなくなった今、いっきに成長するだろう。
まるで、春から夏に向かう樹木のように」
シーモアはにこりと笑って話を続ける。
「所で、今回、君は自分が何をしでかしたか、理解できているのかね?」
ブナは首を横に振る。
「ヨウムくん、説明はしたのかな?」
「いいえ、図書館と書店に行く予定があり、忙しくてゆっくり話せていませんね」
ヨウムは悪びれる態度もなく飄々と答える。
「ミス爆ぜの説明より本を優先させるとは……。なんとも危機感のない男だ。
君じゃなければ、ブナ君は死んでいただろうに」
「問題ないでしょう。そのために私をつけたのでしょうから。むしろ、今までブナが生きてくる中で、患わず、ミスを爆ぜさせなかったことの方が奇跡ですよ」
ブナは棒立ちとなり、居心地悪そうに二人のやりとりを見ている。
ヨウムが座るように促す。
「今、紅茶を淹れます。先程、ウーニクスで胡桃のタルトを買ってきたので」
ヨウムはシーモアの好みをよく分かっている。
あの店の胡桃のタルトは美味い。
それとなく茶菓子に一番合う紅茶の茶葉を選んでくる。淹れ方もいい。
「それはいい」
しかし、ヨウムが茶を淹れ終わるまで待てないシーモアはそのまま話を続ける。
「ブナ君。今回の件で分かっただろうか。
魔力があるものが自分の感情を操れないと、患い、ミスを生むんだ。
ミスは禍だ。
魔力が多ければ多いほどそのミスも巨大なものになる。ミスは周りをも蝕む。本人、周囲の人間。そのまた周囲の人間。そうやってどんどん大きくなる。ミスに蝕まれる恐怖を君は知っているはずだ。蝕みが進行すれば命を落とす。分かるかな?
君の膨大な魔力は、とてつもない危険因子なのだよ。よってアカデミーに通い、魔術を学べというのは、ひとえに世界平和のためなのだ。良いね」
シーモアはいかにブナが学園に通い、魔術を学ばねばならないのかを説く。
「分かり……ました。努力します」
シーモアは必要なことを話し終えると、出された茶菓子と紅茶を味わう。
「うむ。うまいな」
「よろしければフルーツタルトもあるので、ご家族の方に、お土産にお持ち帰りください」
そう言ってヨウムはすでに土産用として包装され紙袋にしまわれたフルーツタルトをシーモアの鞄の側に置く。
シーモアには胡桃タルト。土産には妻が好きなフルーツタルトを準備してある。
可愛い世辞の一つも言わないくせに、こういう気遣いがヨウムらしい。
「さて」
シーモアはブナの瞳を覗き込み、一つ問いを投げた。




