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第19話 ケーキの後の雨催い

「うわあ……」


夕飯の後に出したケーキを見て、ブナは息を呑み、目を丸く見開いていた。

前のめりになり、腕に力が入り肩が上がっている。


「呼吸はしたほうがいいぞ」

息を止めて必死にケーキを見つめるブナに声をかける。


「マカロンは明日にしよう」

ブナは反応を示さない。視線はケーキに注がれたままだった。


……聞こえてなさそうだな。


「ブナ、食べよう」

背中に手を当てて声をかけると、ようやく無言で何度も頷いた。

ブナの手にしたフォークが震えだす。


「は、は……はじめて、食べます」


「うん」


ブナは恐る恐る一口ずつゆっくりと食べ始める。

無言で食べているその瞳は涙で滲んでいた。瞬きが多くなる。


ブナはいつも涙を流さず、必死に堪えている。


おそらく泣いてはいけない環境だったのだろう……。

ヨウムは自分のケーキを食べながらブナの様子を見守っていた。

ブナは黙々とゆっくりケーキを食べ続けた。


皿が空っぽになったブナは目を閉じて、少し顎を上げ、しばらく微動だにしていなかった。


「どうした?」


「頭の中で、まだ食べてます。味と匂いを、まだ感じます」


「そうか……。余韻を楽しんでいるのか」


ブナを放っておいて皿を片付けようと、皿に手を伸ばした瞬間。


「待ってください」

ブナは勢いよくヨウムの腕を両手で掴み、必死に止めてきた。


「まだ、お皿に残ってます」

目は真剣だった。


「空っぽだが」


「残ってます」

ブナの指は皿に残ったクリームを指している。


「……舐めるなよ」

「舐めるは……いけないですか」

「ダメだ。お行儀が悪い」


ブナは目を見開き、頬に空気をため、膨れっ面になった。


ブナが……抵抗した。


ささやかな条件反射のようなものだろうが、従順だった子が明らかに自分の意思で反感を示した。

ヨウムは思わず目元を緩めて吹き出す。


ブナの頭をぽんぽんと軽く撫でると、皿のクリームをフォークで集めてやった。

「舐めるのはダメだが、まあ、これならいい」

緩んだ表情のまま言う。


「ケーキは一年に四回、家にありました。

父と母と妹と弟の、お誕生日の時、ケーキの日です」


ブナがクリームのついたフォークを受け取って言う。

ヨウムの手がピクリと動く。自分の中で表情が消えていくのが分かった。

胸に灯った温かみも一気に消えていく。


「お皿、洗うの私の仕事。だから、台所で小さくなって、隠れてお皿舐めます。

楽しみでした。だから、今日は、すごく、今までで一番のお楽しみの日でした」


「そうか。ブナ……明日は、マカロンを食べよう。ケーキより甘くてびっくりすると思う」


ヨウムは無理してぎこちなく笑って伝えた。


*


少しでも今日は良い夢が見れたらいいと……そう思っていたんだが。


深夜、ブナは大声で泣き出した。

ヨウムは様子をみに、ブナのもとに駆け寄る。


「どうした」

額に触れる。少し熱い。

また熱を出したか。


ブナは嗚咽を漏らしながら泣いている。

瞳からは大粒の涙が溢れている。


「本当は、ずっと、私もケーキ、食べたかった。


一人で、

台所の、お皿じゃなくて、皆と一緒に。ケーキも、ご飯も。

一緒がよかった。一緒がよかったのに。


なんで、私、私だけダメ。ダメっ。

どうして、どうして。妹と弟だけ、ずるい。


ずるい。ずるいっ。私だって、私だって」


その様子は堰き止めていたものが壊されたように、涙と感情が溢れ出していた。

ブナの呼吸がどんどん荒くなる。


ヨウムはすぐに手足を確認する。

手足に僅かに残っていたミスがゆらりゆらりと動いている。


ぞわり。


ミスが蠢動する。


ミスはブナの激しい感情の動きをどんどん取り込んでは大きくなる。


ミスが……爆ぜようとしている。


ヨウムはブナを抱き寄せ背中を左手でゆっくり柔らかく叩く。


「大丈夫。大丈夫だ。ゆっくり呼吸をしよう。

四秒数えながら吐いて、二秒数えながら吸って、四秒数えながら吐く。それを繰り返そう。目を閉じて、呼吸に意識を向けて。

大丈夫、大丈夫」


ヨウムはできるだけゆっくり、穏やかな声で話しかけた。


右手では術式を書き、素早く、かつ緻密に回路を展開させる。


溢れ出し、

外に広がり、


猛然と新たに人を蝕まんと欲して勢いを増すミスの濁流。


それをただひたすら消滅させていく。

同時にブナの中に魔力を流し、中から蝕みを抑え込む。中から押さえ込まれたミスはさらに猛り狂うように外に溢れ出てくる。


その蠢動は執念深く、 封じれば封じるほど、

どろり、と染み出る。


ぞ……わり。

ぞろ……り。


ヨウムの胸元にしがみついているブナは、怨嗟《えんさ》を鎮め、必死にきちんと言われたとおりに呼吸をしようと努めている。


ヨウムは術を展開し続けた。

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