第12話 花冷えとヨウム
「ヨウムくん、クレーム」
「……はい」
「心当たりは?」
「まあ……メアリー・ルターかマーガレット・ストーン、もしくはデイジー・ココの誰かでしょうか」
「うん。皆ね」
シーモアは溜息をつく。ヨウムを雇ってから四年、新学期のクレームはもはや恒例行事だった。
温室育ちのご令嬢方には、この男の外見の醜悪さに恐怖を感じる。特に一学期のクレームは恒例となっており、四年目ともなると、シーモアとヨウムの両者とも、もはや驚きはしなかった。
「で? 今度は何したの」
*
提出物が遅れている者が何名かいる。
新学期が始まってたった一週間だ。
ヨウムが受け持つのは基礎中等部の必修科目だ。これを落とすと専攻高等部に進級できない。
先に釘を刺しておく方がいい。
ヨウムはそう思った。
彼の授業が終わり、早々に講堂を出ようとする女生徒たちの集団を見つける。
ヨウムはその中の一人に声をかけた。
「メアリー・ルター」
名を呼ばれた女生徒の顔はみるみるうちに青ざめる。
「気持ち悪いっ」
周りにいた女生徒たちもざわつく。皆、あからさまに警戒している。
しまった。
これは……クレームか。
ヨウムはその時点でシーモアに呼び出される覚悟をした。
「何でフルネームを知ってるんですか!? 信じられない」
まあ、教師だからな。
ヨウムは心の中で答える。
「気持ち悪い。私のことチェックしてたんですか」
まあ、提出物を出していないしな。
ヨウムはうそ寒い思いを感じながら、バタバタと立ち去る集団の背中だけを見送った。
*
ヨウムの少し前を歩くマーガレット・ストーンは足元をふらつかせていた。
心配だったが、背後から突然声をかけると逆に驚かせてしまう。
何なら悲鳴をあげて腰を抜かすかもしれない。
どうするものかと考えあぐねていたら、そうこうしているうちに、マーガレットはぐらりと身体を傾けた。
「危ない」
咄嗟に支えたヨウムは、マーガレットの安否を確認するため彼女の顔を覗き込んだ。
いつものように瞼を半分閉じるのを忘れたヨウムの眼球は大きく見開かれた。
しまった。クレームだ。
ヨウムは彼女の凍りついていく表情をみて確信した。
マーガレットは泣き出した。
何も泣かなくても。
ヨウムは心の中で思った。
*
授業を終えたヨウムは講堂の黒板を消していた。身長が低いため、脚立が必要になる。
生徒たちはヨウムに質問するために寄ってくることもなく、終わればサッサと出て行く。
彼の受け持つ授業は午前中で、次は昼食の時間のため、学生たちの引きも殊更早い。
「くくっ。脚立に立たないと上を消せないとかダサすぎ」
「おーい、あんま笑うなよ、可哀想だろ、身長低すぎだから仕方ないんだって」
学生が嘲りながら背後を通って行く。
ヨウムは慣れた嘲笑に感情を動かさず、淡々と片付けを進める。
誰もいなくなった講堂の机にハンカチが置いてあるのを見つけてしまった。
ハンカチのデザインは明らかに女性物だ。
ヨウムは悩む。
午後はもうこの講堂を使わないため鍵を閉めなくてはならない。
ヨウムはため息をつき、ハンカチを手にする。
「やめてっ。触らないで」
入り口で必死に訴えるデイジー・ココの姿があった。
「君の忘れ物だろうか」
近寄りデイジーに渡そうとする。
「ひいい」
ヨウムの黒い斑点だらけの手を見て身震いしている。
「伝染ったらどうするんですか。捨ててください」
涙目で訴え、デイジーはハンカチも受け取らず、逃げて行った。
何も逃げなくても。
あと、授業は聞いておいてくれ。伝染らないと初めに言ったはずだ。
ヨウムは心の中で呟く。そして寂寥感とともに悟る。
ああ、クレームだな。
*
「マーガレット・ストーンの親御さんには経緯を説明して謝っておく」
「はい……。お願いします」
「メアリー・ルターの方には私の方からレポートを提出しなければ早々に留年決定だと伝えておこう」
「はい……。お願いします」
「デイジー・ココは……説明しても納得できないなら退学を勧めよう」
「それは……。不憫なので、よく説明してあげてください」
ヨウムは瞼を半分以上閉じている。
女生徒から怖がられる眼球はもう殆ど見えない。
「それと、前にも言ったが、女性の私物には触らず、用務員を呼ぶように」
「はい……。失礼致しました。気をつけます。始末書は? 書きますか?」
「いや、いらん。そんなつまらないものに目を通せるほど私は暇ではない。それよりも、ブナ君は、ヨウム君がアカデミーにいる間はどうしているんだね?」
今しがた、暇ではないと言い切った老翁は揚々と世間話を振ってくる。
ヨウムは素直に前途多難な少女の様子を報告した。
ブナはこの貴族ばかりの学園で通用するほどのマナーを身に付けなくてはいけないのだ。




