第11話 春和とスープ
どうしてこんなに大事なことに思い至らなかったのだろう。
翌朝、目が覚めたブナは、昨日、シーモアが言っていたことを反芻していた。
大変だ。
大事なことを伝え忘れている。
すぐに伝えないと。
ブナは与えられた部屋の扉を開けてヨウムを探す。
美味しそうな匂いがした。
台所にある鍋から香るのだろう。
昨日のスープとはまた違った良い匂いだ。
ヨウムは窓辺の近くに置いた長椅子で本を読んでいた。
ブナに気付き「おはよう」と声をかけてくる。
「おはようございます」
ブナは緊張し、拳を握り込む。
こんな大事なことを伝えていなかったなんて。言うのが遅いと怒られるかもしれない。
「ぁぁ、ありがとうございます」
精一杯の誠意とともに、ブナは伝える。
「ああ。昨日はスープを出し損ねてしまったからな。
すまなかったな。楽しみにしていたのに。
すぐ食べよう。よそっておくからその間に顔を洗ってきなさい」
ブナは色々分からない。
なぜヨウムが謝るのか。
なぜ今日も新しいスープが作ってあるのか。
なぜ顔を洗うのか。
なぜ働けと言われないのか。
働いてもいないのに、なぜあんなに広い部屋を与えられ、ふかふかの布団で眠ってよいのか。
確認したいことは色々あったが、もう一度、大事なことを伝えなおす。
「あ、ありがとうございます、はスープ、違うます。病気、治してくれました。ずっと。沢山。だから、ありがとうございます」
ブナは深々と頭を下げる。
「ああ。ブナもよく頑張ったな。
ただ、完治はしていないから無理はしないように」
ヨウムはそう言うと、ブナの頭をぽんぽんと柔らかく触れ、そのまま食事の準備をし始めた。
ブナが顔を洗って居間に戻ってくると、テーブルの上には、具のたっぷり入ったスープが湯気を出して置いてあった。
側には色艶のよいパンも用意されている。
ブナは久しぶりのご馳走にそわそわする。
思わず生唾を飲み込む。
「座って。食べよう」
ヨウムに促され、ぎこちない動きで椅子に座る。
一目散に前のめりでパンを掴もうとしたが、
目の前に座ったヨウムは姿勢を正し、手を合わせ「いただきます」と挨拶をした。
慌てて見よう見まねでそれに倣う。
ヨウムは片方の手を皿に添えて、もう片方の手でスプーンを使いスープを飲むので、ブナも真似てみる。
スプーンはどうも手にしっくりせず、ヨウムのように上手に掬うことができない。
スープは掬ったそばから、ポタポタとまた皿に落ちていく。
ぎこちない手付きで必死で口元に持っていく。
「あつ」
スープは思ったよりも熱く、驚いたブナは思わずスプーンを手放した。
カランと音をたててスプーンが床に落ちる。
テーブルと床がスープで汚れる。
ブナは頭が真っ白になり、身体は石化したように硬直した。掌は冷たい汗で湿りながらも、指一本動かせないでいた。
様子を見ていたヨウムは何も言わずに床とテーブルをさっさと片付け、スープもスプーンも台所に持っていってしまった。
ああ
取り上げられてしまった
せっかくのご馳走だったのに。
食べる機会を逃した。
明日から食事をさせてもらえないかもしれない。
粗相をしたので仕方がない。
美味しそうだった
食べたかった……
理解していても悲しかった。
目に涙が滲んできた。泣くと、鬱陶しいから泣くなと打たれてしまう。
痛いのは嫌だ。
ブナは必死に涙を堪える。
ヨウムがブナの前に戻ってくる。
ブナは俯いたまま両の手を差し出した。
*
「それは?」
ヨウムは突然差し出されたブナの両手を見ながら尋ねる。
「粗相をしたので、鞭打ちを……」
「しない」
ヨウムはブナが言い終わらない間に言葉を遮った。
ヨウムは深く溜息を一つつく。
魔術で冷ましたスープをテーブルに置き、片膝立ちになってしゃがみ、俯くブナの目を見て伝える。
「お願いだから、そう簡単に自分の身体を傷つけるような発想はやめてくれないだろうか。
私は君を治療している。完治させるために今も継続して努力している。
健康であってほしいと願っている。
それなのにブナが自分自身を大事にしてくれないと、とても悲しい気持ちになるんだ」
ブナは目を瞬いている。
「す……みません」と声を絞り出した。
「こちらこそすまなかった。
君が熱い食べ物に慣れていないことを忘れていた」
正確に言うと読みが甘かったのだ。
ヨウムは十分冷ましたつもりだったが、それでもブナには熱かったようだ。
「でも、私、悪いことしたです。怒られます」
「君は何も悪いことをしていない」
「失敗しました。スプーン落としました」
「スプーンを落としたのは、まず、スプーンがブナの手にあっていなかったからだ」
ヨウムは銀製の細いスプーンの代わりに木製の柄の太いスプーンを手渡した。
「スープ皿もブナが扱うには、淵の立ち上がりが浅かった」
改めて持ってきたスープを見せる。
スープは取っ手がある木製のマグカップに入れ直してある。
「これなら、持ちやすいし、スプーンがうまく使えなくても飲める。それに……」
ヨウムはブナの隣に自分の食事を移動させ、そこに座る。
「君の利き手が右なら、向かい側で私の真似をするのはやりにくかったはずだ」
ブナは向かい側のヨウムの右手の動きを、そのまま真似ようとしたため、利き手ではない左手でスプーンを使うことになっていた。
「君はやり難さがあったから、うまくできなかっただけで、それは君が悪いからではない」
ブナは一つだけ頷いた。
「こうやって下から持つのが本来は正しいが、慣れるまでこうやって上から持つといい」
ヨウムが横でやって見せると、ブナはぎこちなく、横に座るヨウムの真似をする。
先程より楽にスープを飲めている。
「温かい……」
ブナの目には涙が溜まっている。
涙が落ちないように、目を瞬きながら必死で食べていた。
その姿を見てヨウムはようやく安心する。
先は長そうだ。
そんなことを思ったが、煩わしい気持ちはなかった。
「ぅぉぉおお」
ブナが急に隣で謎の奇声をあげる。
「ヨウム先生。これは、何ですか?」
「パンだが」
「柔らかいです」
そう言って指に刺さったパンを見せてきた。
手と指を震わせているので、パンも小刻みに揺れる。
それに感動しているのか「ぅぉぉおお」と、また奇声をあげる。
そして、指に刺した状態のままパンにかぶりつく。
「やめなさい。行儀が悪い」
ヨウムはいつも伏せがちな目を思わず見開いてしまった。
大きめの眼球が飛び出て目力が増す。
ブナが一瞬固まるのが分かった。




