ママの親はおねー様
「ばーちゃん、俺、ばーちゃんにお願いがあんだけど。」
俺の丁寧なダイレクトメールに、ガーネットこと赤沢柘榴先生も、実に丁寧な返事をくれた。
「誰がばーちゃんだ引っこ抜くぞ。」
俺の配信。
確かオープニングを仮公開した時に、タケやんの絵が動いている事を祝して1万円のスパチャをくれた人という事は、タケやんが竹野内ゆういちとしての漫画家の名前を脇によけて、新たに別な、ちくりん名義でイラストレーターとして絵を描いている事は知っているのだろう。
そして、わざわざ俺の弱小配信にもやってきてくれるほど、タケやんを気にかけてくれている、と。
だからちょっと甘えたメールだったんだが、ノリがいいおばちゃ…おねーさんだ。
何を引っこ抜くつもりかは分からないが、すぐに返事をくれたあたり話を聞いてくれそうだ。
「あのさー、ばーちゃん。
普段タケやんにお世話になってるしさ、初収益化したからなんかプレゼントしたいんだよねー。
ちくりんじゃなくって、竹野内ゆういちとしての活動に役立ちそうな物をプレゼントしたいんだけど、何が良いかな。」
「なんだいあの馬鹿、やっと描く気になったのかい。
廃刊の打ち切り一回くらいでスネやがってさ。
いい漫画描くのにねぇ。」
あ、ヤベ。
またすぐに来た返信を読んでの感想はこれしかない。
そうだろ?
勝手に話していい事じゃないよな、漫画家を再開する予定があるってさ。
送ってから気がつくなんてマジで浮かれてたわ。
タケやんがディーンの続きを描く気になって、俺がそれに加担したってのが、思ったより嬉しくてさ。
まぁ…身内だから大丈夫か。
当時のタケやんの事情や心情も、俺より詳しいだろうし。
「そうなのさ。
まだ内々の話だから、ばーちゃんも内緒にしてくれよ。
漫画家としてのリスタートするって決めてくれて俺もなんか嬉しくてさー。
なんか手助け出来たらなって。
予算は2万円くらいしかないんだけどね。
なんかいいもんないかな。」
「ゆーちゃんは今、どんな環境で作画してんのさ。
アンタを見ても判断つかないし、ちくりん名義のデジタル絵で漫画描くとは限らないだろう?
それが分からないとアドバイスしにくいねぇ。」
確かにそうだわ。
タケやんは普段、アイデアは紙にシャーペンで描く。
仕事で提出する絵はそれをスキャンしたものをデジタルでペン入れ、カラーリングして提出しているのは知っている。
昔描いていたディーンはGペンで描いていたらしく、画風も今と少し違うんだけど、そういやどうすんだろ。
当時の読者に寄り添おうとすんのか、今描きやすいように描くのか。
…いや、2万でデジタル作画に使う道具なんて買えないだろ。
俺の初収益化を使ってプレゼントしたいってのがあるんだけど…。
「金なんて気にすんな、みみっちい。
必要なもんをあげた方がいいだろう?
多少の差額はワタシが出してやるから。
遠慮しないんだよ、祝い時は。
ゆーちゃんを祝うんだろ?
ワタシだってそうしたいしさ。
とりあえずアンタはスパイしてきな。
そっとゆーちゃんの部屋に押し入って、どうやって描こうとしてるかを調べておいで。」
そっか。
俺からしたら相棒というか親友というか、親の記念日を自分の初任給で労うみたいな感覚だけど、ばーちゃんからしたら息子の祝い事なんだもんな。
本当に必要なものが高価だとしたら、頼るのも悪くないかもな。
タケやんが喜んで、タケやんの役に立つ方が大切だ。
それにしても…。
俺は連絡をする前に、礼儀として赤沢柘榴のYouTubeチャンネル、ガーネットおねー様の漫画教室を視聴したんだけど、その声はアニメ声の柔らかい話し方をした女の子って感じだったのに。
なんでメールだとこんなに魔女感あんだよ。
…調べたらタケやんより10歳ぐらい上らしい。
37歳あたりだとすると、配信のアニメ声は若く感じるし、メールの文章は老けて感じる。
なんでタケやんの周りの人間はよく分からない人ばっかりなんだ。
モーさんは性別不明だし、ばーちゃんは年齢不詳。
俺は存在が意味不明な元気100倍矛盾した幽霊だし。
…なんか…可哀想だなタケやん。
めっちゃいい彼女とか出来ればいいな。
謎がひとつもない、明朗な彼女が。
信じられないぐらい気が利く親友とかいないのかな。
市役所勤務とかの。
◆
居る…!
姿は見えなくとも、気配で分かる…!
僕は伊達に姿の見えない幽霊と一緒に暮らしてはいないんだよ。
この部屋に僕以外の気配を感じる。
…デルタがイタズラで入室してきたか?
そんなデリカシーのない事、普段は意外としないんだけどな、アイツ。
もしかして僕が漫画を描き始めたのを心配して様子を見にきたんだろうか。
そんな心配はいらないのに。
いざディーンを描き始めると、思ったより気持ちは楽だ。
まずは練習にと描いたディーンの一枚絵は、何の迷いもなく完成した。
本当に、スルッと。
身体が覚えているのか、本当は描きたかったのか。
多分その両方。
一度描き始めると動くディーンが脳を駆け回り、あっという間に一つの話が浮かんで、ネームも完成した。
結局僕が恐れていたのは、ディーンの掲載誌がなくなって、話の続きを読んでもらうことが出来なくなった事ではなかったみたいだ。
行き場のないストーリーや、連載に向けていた情熱。
打ち切りを聞いた時に、そんなようなものと一緒に、ディーン自体も僕の中から逃げ出してしまったんじゃないかって、そう思った。
それを確認するのが怖かったんだ。
だけど、それはもう済んだ。
こんな紙ペラ一枚に簡単に描いた絵ですら、確認出来た。
ディーンはちゃんと僕の中に残っていてくれて、死んではいなかった。
だから、心配することはないよ、デルタ。
ある意味、お前の兄貴の様なディーンは、またヘンテコな事件をヘンテコに解決していくさ。
ふと、気配に向けて振り返る。
大体この辺りで見ているのだろうな、というところに目線をやる。
ありがとうデルタ。
背中を押してくれて。
そこには大きな虫が張り付いていた。
デルタへの感謝の気持ちから、足の多いよく分からない虫を見つけた感情の動きに身体がついていかず、僕は悲鳴を上げざるを得なかった。
気配って…デルタじゃなくってこいつか…!
「おぉ、ぉおお!?
どーしたタケやん!
お化けでも出たか!」
お化けはお前だろ!
と言いたいところだけれど、今はそれどころではない。
見た事ない、部屋に卵でも産まれたら、終わるだろう事が予想される虫から目を離すわけにはいかない。
「なにぃ、この虫ぃ。
きんもーちわーるーい」
本当にそう。
ちょっとデルタ。
生身じゃないんだから、何とかしてよ。
「いやいや、タケやんは地獄の鬼かなんかか?
魂で虫に触れとか…なんか、来世にまで響きそうだからマジで嫌なんだけど。
っていうか、触れないし。
ごめん、頑張れとしか言いようがない。」
生身は今世に響くだろ!
ちょっと覚悟決まるまで、その虫見張っといてくんない?
「嫌だよ!名前も知らない生理的嫌悪感でいっぱいな虫を見続けるなんて。
とっとと覚悟決めろよ。」
……ちょっと2、3日、時間くれない?




