第六話 守り猫
夕暮れ時の工房は、昼とは少し違う音がする。
夜の気配が、ゆっくりと中に染み込んでくる時間だ。
老魔法使いは作業台で本をめくり、弟子はその隣で瓶の封を確認していた。猫は、窓辺で寝そべっている。
そのとき、扉の向こうで小さな足音が止まった。
「こんばんはっ!」
扉が開き、小さな女の子がぴょんっと入ってきた。おつかいだろうか。花柄の巾着袋をきゅっと握り、期待に満ちたキラキラした目で工房の中を見回している。
次の瞬間だった。
「ヴゥウゥ……」
低く、短い唸り声が工房に響いた。
猫が窓辺からひらりと飛び降り、身を低くしたまま扉の方へ近づいていく。
自分が唸られたと思ったのだろう、女の子がびくっと肩を震わせた。
「……えっ、ご、ごめんなさいっ」
一歩、後ずさる。
「違いますよ」
弟子が、すぐに声をかけた。
落ち着いた声で、ゆっくり話す。
「猫が見ているのは、あなたではありません」
弟子は女の子をやさしく見ながら立ち上がり、薄暗くなってきた外へと視線を移した。
「夕闇に紛れて、意地の悪い妖精が入り込もうとしただけです」
そう言いながら、女の子を工房の中へと招き入れて扉を閉めた。
猫は、まだ扉の前で唸っている。まるで、何かを入れるまいとしているようだった。
女の子はきょとんと目を瞬かせて、後ろを振り返る。
「……ようせい?」
「ええ。昼から夜に変わる少しの間、そういうことが起きやすいんです」
しばらくして、猫は、ふっと唸るのをやめた。
老魔法使いは、のんびりとその様子を眺めながら、女の子に話しかけた。
「さてさて。ところで、何を買いに来たんじゃ?」
「あっ! あのね、お兄ちゃんにお誕生日のプレゼントがほしいの! 『まんてんが取れるペンがあればいいのに』って言ってた。つくれる?」
「ふぅむ、なるほど。それは、ちと難しいのぅ」
「むずかしい?」
「そうだの。代わりに、良い香りのするペンはどうかの? 楽しい気分で勉強できるかもしれん」
「じゃあ、そのペンにする!」
「では、今から……と言いたいところじゃが、今日はもう遅い。夜が来る前に、お家へお帰り」
「えー。せっかく来たのに」
ニャーオと猫が鳴く。
「用が済んだら、まっすぐ帰ってください」
弟子はそう言って、小さく魔法を編んだ。
派手な光は出ない。ただ、女の子の足元が、淡く光った。
「わぁっ、きれい」
女の子は、歩くたびに淡く光る足元を見て嬉しそうに笑うと、
「じゃあ、あしたの朝に来るからね。約束よ」
そう言って、巾着を握り直して工房を出ていった。
「気をつけて」
扉が閉まる。
猫はそのまま、扉の方を見ている。
夜が、ゆっくりと外に広がっていく。
「……さっきの牽制」
弟子が、ぽつりと言った。
「ずいぶん早かったですね」
「そうかの」
老魔法使いは、それだけ答えた。
猫はやがて、大きなあくびをひとつ。
背中を反らせてグーっと身体を伸ばし、窓辺にひらりと飛び乗ると、今度は脚を投げ出して寝そべった。
工房には、またいつもの静けさが戻った。
弟子は少し考えてから、作業に戻った。
猫は、すでに目を閉じている。




