刹那トラッカー⑥カナタショア
目を開く。
匂いも、音も、振動も、空気の流れすら無いそこに、「あなた」はいた。
白い。
かつて地球の先人は、太陽の光を大まかに分けた。
今目の前にしている白は、分けられた色の等しく混じり合った、白。
白い壁と、無数の色がそれぞれの輝きを失くし黒に近づいた束が走る。
しゅ、しゅぱあ。
青い走査線が走る。
次第にその線は、「あなた」がこの作品世界の歩き方を学んだ、ロータス総合学園、ラプリマ校のとある校舎を形作る。
「あなた」は、組み伏せられていた。両肩に膝の感触。何者かのつま先が「あなた」の腰骨を抉るように圧迫している。
これは、作中世界でガルデニアの姉妹たちを侮辱され、掴みかかったものの相手のぜネロジオにより身体を拘束された時の、記憶。
肘を、肩を、腰を、膝を動かし、重圧を「あなた」は跳ね除けようと─。
「いつまで1人でもがいているんだ、女神直属騎士。」
少し離れたところから、声をかけられた。
その声は、覚えている。
「ナイン・エルナ。」
かつてガルデニアと「あなた」を侮辱し、初の実戦で「あなた」の騎士隊フラマ セラタと合同作戦を行った騎士。
「いつもお前は、這いつくばりながらでも相手を睨み、打開策を練る。」
そして家名とぜネロジオに胡座をかき、殲滅対象のキレアーサ体に部隊を全滅させられ、
「だからこそ、女神はお前を選んだのだろうな─。」
その責を問われ、邯鄲に処せられた─。
「ほら、立ってくれ。」
青い走査線で構成された手が、「あなた」に差し伸べられる。
「あまり、時間も無いからな。」
「あなた」はその手を取り、立ち上がる。
「そう、オレは現在も魂を焼かれ続けている。」
彼は窓の外に輝く、無数の邯鄲の柱の方を見る。
「今お前と話をしていられるのは、娘がお前とエンゲージを行ったからだ。」
忘れていた。
この男の娘は、邯鄲で戦闘可能な年齢まで成長と教育が行われたヒヤシンスだ。
「娘の晴れ舞台にこうして一言、お前に祝杯をかけるくらいは許された。」
トー家はクルルガンナ解放戦での功績もあり、家名を持つ事を許可されてはいたが、その内部は歪み切っていた。
「知っているだろうが、あの子に父親らしい事は何一つしてやれなかった。」
ただぜネロジオを引き継ぐための、歯車として育てられたヒヤシンスは、父親の邯鄲を受け、事実を知り、家を出た。
「笑えもしないだろう。あの子の頭を撫でる前に、名誉欲しさに無数の命を犠牲にしてしまった。」
家柄を重んじる名家の騎士ほど、初戦での死亡率が高い。
「あの子を1人の女性として、娶ってくれた事に感謝する。はは、かつて踏み付けた相手に娘を託すなんてな。」
被りを振ったあと、彼は「あなた」に頭を下げる。
「よろしく、お願いする。」
しゃ、しゅ、しゅ。
青い走査線で構成された彼の身体が、また失われてゆく。
「あなた」は軽く頷いて、目を閉じる。
刹那トラッカー発動編⑥ カナタ ショア
さああ。
軽い波の音がする。
熱い。
「あ、ナインが来ましたよ。」
少女の声。
「送り先は座標を間違えたみたいたですね。」
別の少女の声。
顔の上に、全身に熱い砂がかかっている。
「あ、メールを受信しました。」
先の少女が声を上げる。
「ナインはまだ話せないみたいだから、妻として許可するわ。読んで。」
「私だってナインのお嫁さんですけどー。」
「いいから読んでよ。」
「でも本人の意思が無いとー。」
「ナインの手はまだ砂をかけてないから、動かせるはずよ。」
「そうですね。親指でロック解除しましょう。」
ふに。
ふにゅ。
両方の手が何か、時間差で柔らかいものに触れた。
「どうしてヒヤシンスもナインに触ってもらったのですか?」
「目の前でいちゃつかれたらムカつくからよ。」
さ、さ。
左手が、厳重に砂をかけられる。
「んん、とりあえず読み上げますね。」
「いいわ、続けて。」
「送り主、おおとろべふこ。件名やっぴゅー。」
「電子手紙にしても、件名が砕けすぎてるわね。」
「というわけで、今回のヒロインは「あなた」の元スマートフォンのアロエ、そして因縁のあった同級生の娘、ヒヤシンス・トーよ。」
「もうあんな父親の事なんて忘れたいけど、思い出しちゃったわ。」
「いつもは「恋人同士の時間」ってことで日焼け止めを塗り合うシーンを挟むけど、アロエもヒヤシンスも肉体、精神的にまだまだ子どもだからこっちで先に塗っておいたわ。」
「あの女、余計なことを。」
「どうしてもって言うなら現実の、第四の次元でスマートフォンを撫でたり、オイル塗ったりキスしても別に大丈夫よ。ただちょっと変な人に見られるだけで。」
A、「言わせておけば!」
B、「余計なことを!」
全身に乗せられた浜辺の砂を跳ね飛ばすように「あなた」は上体を起こす!
A、B、─「わぷっ、メール読み上げ中断します!」「ちょっと落ち着いて「あなた」。」
砂を被ったアロエとヒヤシンスが「あなた」を宥める。
視界に入るのは、可愛らしい女児用の水着になったアロエとヒヤシンスだった。
確かにエンゲージを、魂の情報を交換する口付けを交わしたとはいえ、アロエとヒヤシンスは確かに、ガルデニアより幼い子どもの姿だ。
片方は「あなた」の所持していたスマートフォンで、もう片方は同級生の娘。日焼け止めを塗り合うなどといった行為は、いくらパートナーの関係だとしてもよろしくないだろう。
「わ、ナインが私たちに見惚れてますね。」
「髪型のアレンジと水着デザインをしたのはべふこだから、そこは認めてあげるわ 。」
見渡すと、砂浜の至る所に砂と海水を練って作ったものが並んでいる。
「2人で作ったんです。」
「そこの大きいのはリピニィエーラ、これはロータス総合学園。」
言われてみると、大きなヒレと長い首の爬虫類に見えなくはないものと、四角い校舎のようなものがある。
「それよりナイン!」
「私たちとも遊ぼ!」
アロエに左手を、ヒヤシンスに右手を引っ張られる。
さああ。
海と砂浜の境目、波打ち際を走る。ちりちりと照り付ける模倣太陽の日差しは、「あなた」の肌を焼く。
「わーい!」
「えいえい!」
アロエとヒヤシンスは、二手に分かれて「あなた」に水をかける。
「ナインー!」
「どーだー!」
アロエは「あなた」の所有するスマートフォンだった。
ヒヤシンスは大人になることを周囲に強制された子どもだった。
「えへへへ、ナインー!」
「捕まえてーナインー!」
ヒトの身体を得た機械と、子ども時代を奪われた大人。
A、「こらー!」
B、「まてー!」
「あなた」は2人を追いかけ、水をかけあい、肩に担いで走り回った。
A、─「えへへへー!」
B、─「きゃー!」
それは親と子どものようであり、砂浜で遊ぶパートナーのようであり。
さあ、あ。
波の音。
「ナイン、もうへとへとですか?」
「鍛錬が足りてないですよ次元騎士。」
いくら日々の訓練を欠かさない「あなた」でも、走り回るちびっこ2人の相手は大変だ。「少し休ませて。」と砂浜に寝転がった「あなた」に、アロエとヒヤシンスが口々に文句を言う。
「ちょうどいいのでおやつにしましょう。」
「それがいいわ。ナインも甘いもの食べたら元気が出ますね。」
「あなた」は視線で追いかけると、2人が日陰から保冷容器を引っ張ってくる。
かぽ。
アロエは包みを取り出して、「あなた」とヒヤシンスに渡す。
「これはガルデニアが作ってくれました。」
「いい感じに冷えてますね。」
封をしてあるのを剥がし、適当なチラシで巻かれた包みをめくると、穀類の固め焼きが何枚も入っていた。
「はいナイン、あーん。」
アロエがその内の1枚を摘んで「あなた」の口元へ運ぶ。「あなた」は素直にそれを食む。荒く砕かれた穀類の甘みと細かく刻まれた果実の酸味が香ばしさを伴って「あなた」の口と鼻腔を満たす。
「こっちはカランコエさんが焼いてくれたものです。」
次にヒヤシンスが、薄い生地を何層にも重ねてふんわりと焼き上げたクロワッサン風のパンを「あなた」に食べさせる。
噛むごとに広がる甘みの中に、時折混じる強い塩味がカランコエらしさを感じさせる。
「ナインは動かなくていいですよ。」
ふにゅ。
おまんじゅうに座ったアロエが「あなた」の頭を膝に乗せて撫でる。
「こっちはナナカマドさんが淹れてくれました。」
花柄の水筒からコップに液体を注ぎ、ヒヤシンスが「あなた」の口元に添える。
あたたかく、それでいて熱すぎない適度な温度のお茶。軽く炒られた香ばしい香りが「あなた」の身体だけでなく、心も落ち着ける。
さあ、ああ。
「ナインと一緒にこの世界へ来る前、ナインの所有物になる前は、私はただの工業製品でした。」
アロエが「あなた」の頭を撫でながらヒヤシンスに話をする。
「ただ作られて、耐用年数を超えれば破棄されて。」
アロエはスマートフォンなのだ。単なる消耗品、と「あなた」のいる四次元世界ではそう定義される。
「他にも、型落ちになったり。運良く回収されて新しい身体になれたとしても、また同じ連鎖の中にあるだけでした。」
そう、それが消耗品。
「私も、トー家のぜネロジオを受け継ぎ、次世代に繋ぐための歯車でした。」
同じように、ヒヤシンスも「あなた」の頬を撫でながら話し始める。
「父は経験の浅さから邯鄲の柱となりましたが、私もそうなっていたかも知れません。」
太陽系第三惑星人は、口付けにより個体数を増やし、邯鄲による時間圧縮でまばたきの間に、成人する。
そ、っと。
アロエは「あなた」の頭を砂浜に下ろし、正面から「あなた」に頬擦りをする。
「私アロエの同型機は、およそ1.200万台が製造されました。」
「あなた」の胸にアロエが頭を乗せる。
「ナインとこの世界で一緒に息をして、歩いて、ご飯を食べられて、私は姉妹の中で1番の幸せ者です。」
口付け。
同じように、ヒヤシンスは「あなた」に縋るように抱き着く。
「私も、同時期に発生させられ、養育を受けた個体の中で唯一、「あなた」に出会えました。」
ヒトになりたがったアロエと、まるで産業製品のように扱われていたヒヤシンス。「あなた」の腕に抱かれたヒヤシンスは、親鳥に甘える雛のように「あなた」のぬくもりを全身で逃がさないように。
「離しませんから。」
口付け。
さあああ。
「あなた」の両腕には、「あなた」を寄る辺とした小鳥がふたり。
さあ、あ。
空に瞬く邯鄲の柱が煌めいて、「あなた」は瞳を閉じる。




