御免状の使いどころ
翌朝、パトリックが集めてきた情報とアグリの話を聞いて黒幕を確信した俺は、仕上げの情報収集をしたあとでアグリとカミュを連れてモロー家の城へと登城し、俺に割り当てられていた離れに関係者を招集した。
まずはモロー公ことアゼートさん。彼はあくまで一連の出来事の見届人として来てもらっているだけで、彼が黒幕ということではない。
次にリリアンナ。そして、カサンドラさん。そして二人についてきた、ハイウィンド家の家令だというアルフレード、俺が城を出てきてから帰って来たというアゼートさんの奥さんで、シモーヌとアンドラーシュの母親であり、リリアンナの伯母でカサンドラさんの姉であるイネスさんと次期公爵であるアンドラーシュ。もしもの時の俺陣営の用心棒的なものとして、パトリックとエリザベス、それにルチア。
「それで、婿殿?その女を連れてきて一体どういうつもりなのです?その女は当家の恥部そのもの。同じ空間にいるなどとても耐えられないのですが?」
イネスさんと俺が軽く自己紹介を終え、モロー家の面々にアグリとカミュを紹介し終えるのを待ってからカサンドラさんがそう口火を切った。
「お母様!」
「っ……!そうやって威圧的に出てきても、今回ばかりは私は引きませんからね!」
「はぁ……すみませんランドール」
「いや、構わない。むしろカサンドラさんにはそういう態度をしてもらっていたほうがいい」
「どういうことですか?」
「あとでわかるさ。まず、最初にみなさんに知っておいてほしいことが一つ。アグリはすでに正式に当家、アンリ家が雇い入れています。彼女に対する態度はそのまま当家に対する態度であると覚えておいてください」
ここにいるのはほとんどが伯爵家、公爵家の人間なわけで、子爵家である俺の家に対して敵対したからなんだという話ではあるのだけど、とはいえ俺は次期皇帝、テオドールの覚えめでたい新人子爵だ。公爵家はともかく伯爵家は……あ、ダメだ。そういやリリアンナって次期皇妃の親友で従姉妹だった。
「はぁっ!?婿殿それは一体―――」
「なるほど、続け……あれ?そういえば」
カサンドラさんの言葉を遮るようにしてイネスさんが俺に話の続きを促そうとしてから首を傾げる。
「あなた、もうリリアンナの婿になってしまったの?」
「いえ、なってませんけど」
「ああ、なんだ。じゃあいつものサンディのうっかりね。話を脱線させてごめんなさい。それで?」
「実は昨日、俺とアグリ、それにカミュは2度襲撃を受けました」
俺の言葉に顔色が変わったのは、カサンドラさんとリリアンナ、それにアンドラーシュの3人――
「お前は!どうしてそういうことを!ちゃんと言ってこないんだ!!」
訂正。血相を変えて近づいてきて俺に掴みかかってきたエリザベスを入れて4人だ。あ、顔色は変わってないけど、なんかパトリックが微妙な顔してる。
違うぞ、これはお前が考えているようなことじゃなくて、こいつは単純にテオドールから言いつかった護衛対象の俺になにかあったらテオドールの奴に顔向けできないとかそんなことを考えているだけだぞ。
「悪かったって。でも、別に俺に何かあってもテオはお前のことを責めたりしないと思うぞ」
「……」
「ベっさん、そいつにそれ以上なにか言っても無駄だと思うよ」
「……はぁ……そうですね。確かにパトリック様の言う通りだと思います」
そう言ってエリザベスは掴んでいた俺の胸ぐらを離す。って、なんか君たち失礼なこと言ってない?
「聞くまでもなさそうだが、大丈夫だったのだな?」
「ええ。どうやら弱っちい男と死にかけの女だと思われていたみたいで、こっちのことを舐めて思い切り油断してかかってきてくれたので楽勝でした」
俺の言葉を聞いたアゼートさんは少しホッとした表情を浮かべてから少し真剣な顔で口を開く。
「とはいえ、当家の領内でテオドール皇太子殿下の友人が害されたとなっては公爵家の名に傷もつく。今後はそういうことがあれば儂でもアンドラーシュでもイネスでも良いからすぐに報告をするようにな」
「あ……すみません」
「わかってもらえれば良い。それで、三人を襲った賊、もしくはその黒幕に心当たりはあるのか?あるのであれば公爵家が責任を持って捕縛、取り調べを行うが」
アゼートさんがそう言って見回すと、今度は誰の顔色も変わらなかった。
「賊は捕らえてとある場所に監禁してあります」
「はぁ……さっきも言ったがそういうことはこちらに任せるようにな。他の貴族なら揉め事の種になるぞ」
「すみません。ただ、尋問してみたところ、この賊は俺ではなくアグリとカミュをメインに狙ったもので、カミュの出自を考えると公爵家が裏で糸を引いている可能性もあったものですから」
「き、貴様、無礼ではないか!」
そう言って腰に下げていた剣に手をやるアンドラーシュをアゼートさんが手で諌める。
「カミュの出自というのは?」
「カミュはリリアンナの妹です」
「……なるほど。確かに瞳に奴の面影があるな」
「自分の居た世界の貴族のような家でも主家が家臣の家の相続に首を突っ込むというのは珍しくありませんでしたので、黒幕がハイウインド家を好きにしたい公爵家という可能性を考えました。申し訳ありません」
「いや、ランドールの考えたことは理解できる。不信を抱かれたことに不満がないわけではないが、それは儂やアンドラーシュ、それにイネスがこれから貴殿との信頼を深めていけばお互いになくしていけるものだろう」
うーん、やっぱりアゼートさんってばすごくいい人。
心の中でオジキと呼ばせてもらおう。
「それで?あなたのその言い方だと当家の疑いは晴れたと考えていいのかしら?」
「ええ。とはいえ、アゼート様がそういうことをすることはないだろうと思っていましたので、最初からそんなに疑ってはいなかったのですが」
「それだと私とアンはやりそうってことかしら?」
「妹や姪可愛さにといういう線はあるのではないかなと」
「私だけか。なるほどね」
特に不快感を覚えた様子もなく、イネスさんが肩を竦める。
「とはいえ、こうしてお会いしてみてすぐにその線はないかなと思いました」
「さっきからいちいち回りくどいわね。貴方のことはシモーヌから聞いているからもっと率直に喋ってもらって大丈夫よ?というか、正公爵としてこの場での発言は何者にも咎めさせないからもっとわかりやすく喋りなさい」
「そうですか。では……ぶっちゃけ、イネスさんはシモーヌにそっくりなんで、妹のために影でコソコソなにかやるような人間じゃないなって思いました。全部わかったうえで突然全員呼び出して面白おかしく踊らせるんじゃないかなと」
「フフフ、よくわかってるじゃないの」
よかった。イネスさんへの対応はシモーヌと同じ路線で間違ってなかったらしい。
「あとアンドラーシュは多分、良くも悪くもそこまで大人じゃないです」
「き、貴様っ!!」
「アン?私の言ったこと忘れちゃったのかしら?」
「くっ…」
ごめんな、アンドラーシュ。でもこれは別にバカにしているわけじゃないんだ。俺は君にイネスさんやシモーヌのようになってほしくないと思っているだけなんだ。俺やリリアンナ、その他の周辺領主のためにも是非とも次代のアゼートさんになってくれ。悪くても7アゼート2イネス1シモーヌくらいになってくれ。もちろん0.5シモーヌでも、もっと少なくても構わないぞ
「じゃあ、不肖の妹が襲撃犯の親玉ってことかしら?それとも婿候補を父親の元愛人に取られそうになったリリアンナかしら?」
いや、だからなんでみんなリリアンナと俺をくっつけようとするんだよ。リリアンナがかわいそうだろうが。
「そうですね、正直最初は俺もカサンドラさんを疑ってました。でもパトリックに調べてもらって、ここに来る前に冒険者ギルドで記録を見て絶対にそんな事はないと確信しました」
「ふむ、それはなぜ?」
「アグリは前ハイウィンド伯の側近の1人で、結構腕が立つんですよ。なので俺のところの使用人という顔の他にCランク冒険者という顔も持っているんですが――」
そこまで言ったところで、俺の視界の隅で動く人影が見えた。
「あら?お母様、どちらへ?」
「ちょ、ちょっと、トイレへ」
「ランドールの話が長くなるかもしれないからと私がこの部屋に入る前に聞いたら、ここに来る前に済ませてきたって得意げに言っていたじゃないですか」
「きゅ、急にお腹がね、その」
「ああ、なるほどね」
そわそわしながら部屋を出ようとしているカサンドラさんの態度を見てイネスさんがニヤニヤ笑いながら頷く。
この人の察しの良さはなんなんだろうか。本当にシモーヌみたいな人だなこの人。
「ささ、じゃあランドール殿、サンディが黒幕じゃないというその根拠を聞かせてもらえるかしら?」
「ちょっとまってお姉様!あと1分、いや30秒待って、私トイレに行きたいの、私が部屋を出るまでその話をするのは待って頂戴!」
「衛兵!私がいいというまで誰一人この部屋からだすな!」
イネスさんがそう言うと、扉の脇に控えていた衛兵が扉を塞ぐように立ち位置を変えた。
「ちょ!?」
「これでよしと。さ、続けて頂戴」
俺やリリアンナをからかっているときのシモーヌとそっくりな顔でイネスさんが言う。
「アグリをCランクまで押し上げたのも、指名依頼を出していたのもカサンドラさんです」
「いやああああああああっ!なんで言うのよぉぉぉぉぉっ!」
正直、今朝ギルドで皇太子御免状をチラつかせながら見せてもらった依頼台帳を見て俺も目を疑った。
偽名とかでもなんでもなく、普通にカサンドラ・ハイウィンドという名前で依頼が出ていた。一応、冒険者側には非公開にするようにという但し書きはあったが、どうやらちゃんと本人が来て依頼を出して現金でお金を払っていたらしいし、なんだったらアグリが冒険者を休業してからも見舞金ということで結構な額をギルドに預けていた。これはアグリが詳細な居住地をギルドに登録していなかったせいで届いていなかったけど。
一昨日、食事中に緊急依頼だと叫んでいた新人ギルド嬢も何度かカサンドラさんを見たことがあるらしいので、アグリが倒れてからも結構頻繁に通っていたんだと思う。
「サンディは昔から素直じゃないところがあるからね」
「こっちで横取りするように雇っておいてなんですけど、これまでカサンドラさんがアグリに対して出していた金額を見たら、もうこれアグリは普通にハイウィンド家に帰っても大丈夫なんじゃないかなって思うくらいですよ」
もちろんアグリの実力が高いのは大前提としてあるんだけど、無名だったアグリが実績を積めたのも、その結果ギルドに対する金額的な貢献を重ねられてランクが上がったのもカサンドラさんの存在が大きすぎて、ある意味『Cランク冒険者アグリ』は演者アグリとツンデレプロデューサー兼パトロンのカサンドラさんの二人で作り上げた存在だと言っても過言ではない。
「なら、返してあげたらいいじゃないの」
「本人が俺のところがいいと言っているので」
あ、なんかカサンドラさんがしょぼーんとした顔してる。すみません。でも俺としても若干どうだろうと思い始めているアグリの性根はともかく、有能なアグリにはそばに居てくれるなら絶対にそばに居てほしい人材なんです。
「あと、アグリをハイウィンド家に帰すにしても、一つ片付けなきゃいけない問題がありますからね」
「襲撃犯の話ね」
「そうですね。状況的に公爵家でもない、カサンドラさんでもない。もちろんリリアンナでもない。ということで――多分、俺が想定してなかったあんたが犯人だと思うんだけど、動機がわからねえんだよ、ハイウィンド家の家令、アルフレード」
「え?ちょっとランドール。あなた何を言っているんです?アルフがそんな――」
「今からここに襲撃犯を引っ張り出して面通しをしてもいいけどどうする?」
「不要ですよ、そんなことは」
そう言ってアルフレードはどこからともなくナイフを取り出してカサンドラさんの後ろに回り込み、首元にナイフを突きつける。
「アルフ!?」
「全員動くな!」
「無駄なことはやめとけ。強力な魔法持ちの貴族がこれだけいるところであんたが一人暴れたところでなんにもならねえぞ。たとえここを突破しても外に何人の兵士がいると思ってるんだ?」
「突破などする必要はありません。私の望みはただ一つ、その女の命なのですから」
そう言ってアルフレードはナイフの切っ先をアグリに向ける。
「ランドール!」
「あいよ」
アルフレードはすぐにカサンドラさんの首筋にナイフを戻すつもりだったのだろうけど、俺にとってはその少しの間で十分だ。
俺はリリアンナの合図で転生特典の魔法を使って時間を止め、アルフレードからナイフを奪ってドアの前に立っている衛兵の方へと蹴り飛ばす。
アルフレードの持っている魔法がわからないので、一応保護のためにこの中で一番どん臭そうなカサンドラさんをアルフレードから引き離すために抱き上げて元の位置に戻ってから魔法を解く。
「衛兵!その男を捕らえろ!」
俺の魔法が解除されたあと、すぐに状況を理解したイネスさんの命令に弾かれるようにしてドアの前に立っていた二人の衛兵がアルフレードを捕まえる。
「で、アルフレードさんさ、結局動機がわからねえんだけど。アグリの命を狙った理由を教えてもらっていいか?」
「んんっ!!その前に抱っこしているお母様を下ろしてもらえませんかね」
「え?ああ、忘れてた」
リリアンナに言われて下ろしたカサンドラさんは少し顔を赤くしてモジモジしながら「む、婿殿はつまりリリアンナではなく私の婿殿だった……?」とか言っている。
いや、カサンドラさん若く見えるから正直全然いけるけど、そういうことじゃないです。
「……それで、アルフレードさん、あんたなんでアグリを狙ったんだ?」
「もしかして、さっきランドールの言っていた、お母様がアグリに送っていたという金銭のせい?そのせいで領民が苦しんでいるとかそういうこと?」
「失礼ね。うちはあのくらいの金銭でどうにかなるほど脆弱な経済基盤はしていないわよ」
カサンドラさんが俺の隣で腰に手を当てながらプンプンと怒る。
「その女は……その女が肝心なときに居なかったから旦那様が亡くなられた!おかしいでしょう!?なぜ奥様もお嬢様もその女を責めないのですか!!それどころか支援までするなんて!」
まあ、それはそうかもしれない。アグリから聞いただけだからなんとも言えない部分はあるけれど、アグリはリリアンナの父親の右腕だったらしいし、実際、二度の戦闘で見た実力的にもそうだったとしてもおかしくないというか、まあそうだったんだろうなと思う。
だからアルフレードの言う『アグリが居たらリリアンナの父親が死ななかったかもしれない』というのは的はずれな話ではないのだ。
「命をもって償うべきだ!その女は!」
「……ねえ、アルフレード。アグリが死んで償ったとして、あの人は帰ってこないのよ」
少しだけアグリとカミュのほうへ視線を向けてからカサンドラさんがそう言った。
「そんなことはわかっていますっ!」
「わかっている、意味のないことにこだわって、この可愛い子から母親を奪うの?」
「それは――」
「私もあの人とアグリのことを知ったときには、すごく混乱してしまったけれど、アグリもこの子……カミュも家族よ。もちろんあなたもね、アルフレード。今まで気づいてあげられなくてごめんなさい。これから一緒に乗り越えていきましょう。私達だけじゃない、屋敷の人間全員でね」
「……奥様」
「まあ、そもそもお母様が普段からもっと寛容で、アグリを追い詰めるような態度をとっていなければよかった話ですしね」
いい話っぽくまとまりかけたところに、リリアンナが冷水を浴びせかける。
まあ、リリアンナはアグリにかなり肩入れしているようだったし、アグリが伯爵家を出る原因を作ったカサンドラさんに嫌味の一つも言いたくなるのはわからないでもないが、正直、このタイミングでやるのかよとは思う。
カサンドラさんの顔も引きつっているし。
「あら?あらあらあら?未だ結婚どころか、正式に婚約もしていないようなケツの青い小娘がなにか言っているわねぇ」
「そもそも、貴族の男が正妻以外に子どもをつくるのなんて珍しくもないじゃないですか。それなのに目くじらを立てるからこんなことになったんですよ。あーあ、アグリもカミュも可哀想」
「……ふーん、つまり貴女は自分の夫がそういうことをしても全く問題ないと。そう言うわけね?」
「そうですね」
「その言葉、覚えておきますからね」
「別に。どうせ私は好きな人となんて結ばれないんですから相手がどこで誰となにしていようが、どうでもいいですよ」
「ふふ、そんなことで不貞腐れるなんて、リリアンナはまだまだ子どもねぇ……まあなんにしても、そういうことだそうですよ。寛大な妻でよかったですね、婿殿」
「いや、この前も言いましたけど、俺はリリアンナの婿じゃないですよね?」
言いながらアゼートのオジキに視線で確認をすると、オジキは少し気まずそうにツイっと目をそらす。
あれ?オジキ?どうしたんスか、オジキ?
そして、気まずそうな表情のオジキとは対象的に破顔したのがイネスさんだ。
「フフフ……あははははっ、本当に面白いわねあなた。これはシモーヌが気に入るわけだわ」
「ここでシモーヌの名前が出てくるのがすごく嫌な感じなんですけど」
「あらひどい。せっかくシモーヌがあなたとリリアンナの婚約が承認されるように手を回してくれたのに」
やっぱりか!!やっぱりあいつの差し金か!!!
「す、すまんなランドール。娘に黙っているようにと頼まれては嫌とは言えなかったのだ」
「もうなんかその気持ちにわかりみしかないんでオジキはいいです」
「お、オジキ?」
「むしろ、今俺から距離を取ったお前らだ!リリアンナは知らなかったっぽいけど、お前ら知ってただろ!?」
「正直帝都を出る前に兄上から聞いてほぼ決まりだっていうのは知ってた」
「まあ、テオ様が黙っているようにと言っていたから黙っていたが知っていた」
「でもさ、私はランドールくんだけじゃなくて、親友のリリアンナにも黙ってなきゃいけなかったんだよ?その心労を汲んで、責めるんじゃなくて、むしろありがとうと言ってもらってもいいくらいだと思うんだよ」
「しゃらくせえよ」
ルチアの屁理屈と二人の開き直りはともかく。
「だいたい、リリアンナだって俺なんか嫌だろ。さっきも好きな人と結ばれないって嘆いていたけど、よりによって俺だぞ!?なぁ!?」
「えと……ランドールは、嫌、ですか?」
「嫌じゃない!」
胸が物足りないというのはあるし、ちょっと怒りっぽくて嫌味っぽいけど、結婚相手は加点方式で選べというのが俺のモットーだし、欠点が3つくらいしかなく、それ以上にいいところが多くてかわいいリリアンナとの結婚を俺が嫌がる理由はまったくない。
というか、俺は実のところ前々からリリアンナのことを好きだったし、彼女が貴族だとわかってからは、そのうちほぼ確定で別の男のものになるのだという事に悶々としていたくらいだ。
「じゃあ、私も、不満はないです」
「ないの!?」
「ないですよ。よく知らない男と結婚させられるよりは全然いいですし」
「あら、じゃあランドール殿よりもよく知っている、うちのアンと結婚する?」
「母上!?」
「嫌ですよアンなんか」
「リリアンナ!?!?」
ああっ!謎の流れ弾が飛んだアンドラーシュが無駄にダメージを受けている!
「なぜかしら?貴女の理論ならよく知っている人間ならいいってことじゃないの?」
「それは――」
言い淀んだリリアンナが助けを求めるようにこっちを見る。
いや、助けを求められましても。
とはいえ。
「俺がよくてリリアンナもそれでいい。それだけの話ですし、これでこの話はおしまいです」
「あなたがどう思っているかじゃなくて、私はリリアンナがどう思っているかを聞きたいのよ?」
「それは俺だけが知っていればいいことです。このことは今後一切触れないでください」
俺はそう言いながら懐から皇太子御免状を取り出して封を切って中身を取り出してイネスさんに突きつけるようにかざす。
「お互いがお互いをどう思っているかなんて、当事者の俺とリリアンナだけが知っていればいい。他人に吹聴するようなことじゃないですし、そんなことを探られるのは俺とリリアンナの尊厳の問題です。夫婦のことに首を突っ込まないでください」
「……はぁ。わかったわ。私もちょっと調子に乗っちゃった部分があるし、このことは今後触れない。だからそれはしまっておきなさい。それを使うべきときは今じゃないわよ」
そう言って俺に向かってシッシとでも言うように手を振ってから、イネスさんはリリアンナに歩み寄る。
「調子に乗ってごめんなさいねリリアンナ。それと、あれはうちの人と同じくらいいい男になるわよ。逃さないようしっかり手綱を握っておくようにね」
「はい……」
「ランドール殿」
「はい」
「姪と妹、それに伯爵家の事をよろしくね」
「はいっ」
……ん?妹?カミュのことか?




