母娘問答
覚悟は決めた。
私は母を説得する。
大したことではないのだ。アゼート様の立場が特殊なだけで、数が少なく貴重な貴族の男が妾を持つなどというのは本来問題視されるようなことではない。
だから、父とアグリがそういう関係にあったとしても、目くじらを立てるような話ではないのだ。
いつもよりも大きく感じる母の部屋の扉の前で私は大きく息を吸い、そして大きく吐く。
よし。
「どうぞ」
ノックのあと、すぐに帰ってきた返事を聞いてから扉を開けると部屋の中にはお母様が窓の開け放たれたバルコニーの方を向いて椅子に座っていた。
椅子から立ち上がり、こちらを振り返ったお母様は目を細めて笑う。
「あら、リリアンナだったのね。あなたから訪ねてくるなんて珍しい」
「そうかも知れませんね」
この3年はほぼ帝都にいたのでこうして母の部屋に入るのは本当に久しぶりだ。
「今日は、あなたの娘としてではなく伯爵家当主、リリアンナ・ハイウインドとして話をしに来ました」
「あら、改まっていったい何の話かしら。やはり婿殿を婿にしたいという話?それなら私は喜んで協力するけれど」
「使用人のアグリを、覚えていますか?」
お母様の眉が動く。
「覚えていますとも。あの女は私がどれだけあの人に女が近づかぬように心を砕いていたかを知りながら、私達からあの人を奪おうとした卑しい女よ」
奪おうとした、とは少し違うような気がする。多分、父とアグリの関係は一度二度の関係ではないだろう。しかしアグリは、関係が母に露見して逃亡する寸前までいつも通り、私達が快適に過ごせるように、父の手伝いに屋敷の家事にと働いてくれていたように思う。
だから多分、アグリには私たちから父を奪うつもりはなかったのだと思う。
「私は彼女をまた雇いたいと思っています」
突然部屋の中に突風が吹いたような気がした。
しかし家具や調度品はピクリとも動いていない。
私が感じた突風のようなものはお母様のプレッシャーだ。
「あらあら、聞き間違いかしら?そもそも、あなたはアグリがどこにいるかも……あなた、まさか貧民街に行ったの?」
「アゼート様に頼まれて昨晩の火事の後始末の指揮をとるために行きました」
「ッ……」
あれ?
今の口ぶりはまるでアグリが貧民街にいると知っているかのような……?
「とにかく、私は反対です。大体、これから復興しようとしている当家に、あの子が今更どんな顔で戻ってくるというの?古参の家臣だって残って支えてくれているというのに。そもそも、あの子自身、私となんて顔を合わせたくはないでしょう」
「それはまあ」
今考えれば私がアグリの家に行った時にアグリがランドールに助けを求めたのはその事が大きいのだろうし。
「ましてや、子どもまでいるとなってはあなたのためにもなりません。これから復興という大事な時期に家督問題など起こしては今度こそ取り潰しになってしまいます。そんなことになったら、お父様やお祖父様、それに今日まで私達の後ろ盾となってくれたモロー家に申し訳ないと思わないの?」
「……わかりました。とりあえずこの話は保留にしますので、くれぐれもアグリ達に手を出さないでくださいね」
母の部屋を出て自室へ向かう私の頭には一つの疑念があった。
それは昨日の夜の貧民街の事件は母の差し金なのでは?ということだ。
アグリの所在どころか、カミュの存在まで知っているかのようなあの言動。そして10年近く経ってなお収まらないアグリへの怒り。
なにより子供っぽく、良くも悪くも貴族である母ならば私怨のために私兵を使って貧民街を襲撃するくらいのことはしかねない。私はこの3年間、そういう貴族や貴族令嬢を山というほど見てきた。
なぜ今になってという気はしないでもないが、それはきっと本人の言っていた「お家の大切な時期」だからだろう。
「リリアンナ様、いかがされましたか?」
「ああ、アルフ」
考え事をしながら歩いていた私に声をかけてきたのはお父様と同年代の執事、アルフレードだった。
主従の関係ではあるけれど、幼い頃から私の面倒を良くてみてくれた彼は、私にとってもう一人の父親のような存在だ。
「顔色があまり良くないようにお見受けしますが心配事でしょうか」
「何でもありません。それより、あなたはいつこちらへ?屋敷の管理をしているはずでは?」
「数日前にリリアンナ様が帝都から戻られると聞きつけ、居ても立ってもいられず仕事はすべて他のものに押し付けて馳せ参じました」
冗談めかしてそう言いながらアルフレードが微笑む。
「とはいえ、到着は今朝になってしまいましたが」
ここからハイウインド家の領都であるハイウィンディアまではゆったりとした足取りなら3日、急いでも2日。馬なら半日ではあるが、朝着いたというのなら昨晩はきっと夜通し歩いてきたか馬を走らせて来たのだろう。
「まったく、私が伯爵になったからには、今後そんな無茶や勝手は許しませんからね。とりあえず今は私の心配より自分の心配をなさい。今日は1日ゆっくり寝て休むこと、良いですね」
「ありがとうございます。では、私が安心してゆっくり眠れるようリリアンナ様の心配事をお話いただけませんか?」
「そう……ですね。アルフはアグリを覚えていますか?」
お母様に言われた『どの面下げて』という部分、古くから居てくれる使用人たちからしたらどう思っているのか、それを確かめたくて、私はアルフにアグリの話をすることにした。
「アグリ、ですか。その……彼女にはあまり良くない噂がありまして」
「お父様とのことであれば知っているのでハッキリ言ってくれて大丈夫よ」
「……まさにそのことで彼女は奥様の怒りを買って逃げる羽目になったと聞いています」
「まあ、それはそうよね。今考えればあの時お母様がアグリを探し出すように言ったのはそういうことだったのよね」
なぜ私はあのときのことを『母がアグリのことを心配していた』なんて思ってしまったのか。いや、まだ10歳にも満たなかった子どもの考えなのだから仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。
ただ、本当にあのときのお母様の顔は……。
「それで、アグリがどうかしたのですか?」
「実は城下に住んでいるんです」
「……その件、奥様は」
「知っているようです」
「そうですか……お嬢様はアグリの住まいをご存知ですか?」
「ええ、貧民街の――」
私がアグリの家の位置を知らせると、アルフは一度頷いて「すぐに腕利きの護衛を手配しましょう」と請け負ってくれた。




