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天馬ゆくところ  作者: 天ノ川清
 第十二章  ベセスタの旅立ち
54/55

12-01 病院

 

桐花が芹沢からの電話を受けたのは、正午を少しまわった頃だった。

「すぐに総合病院に来てくれ。ベール家の筏を使うといい。もう連絡はしておいた」

 桐花は膝の力がぬけ、思わず椅子の背をつかんだ。

「社長になにかあったんですか」

 声がふるえた。戦死者のなかに社長やトゥムル部長がいないということは、今朝、ベール家の人が教えてくれた。昨夜は心配で一睡もできなかっただけに、ほっとして浮きたつような気分でいたのだ。

「まさか……」

「いや、怪我をしただけだ。詳しいことはこちらで説明する」

 切れた受話器を握りしめたまま、桐花はその場に坐りこんだ。よかった、生きている。

 だが安堵もつかのまで、たちまちクルガン領の夜戦で重傷を負った隊商夫たちの凄惨な姿が、血の臭いとともにまざまざとよみがえった。もしかして社長も……。

 扉が叩かれ、ベール家の女中の声がたずねた。

「支度はできたの」

 桐花は、はっと気づいて立ち上がった。まだ着替えもしていない。

「ちょっと待ってください」

「急ぎなさい。玄関で乗用筏(リムジン)が待っていますよ」

 あわてて身支度をして、部屋を飛び出した。

 さいわい総合病院は同じ新市街の隣地区にあり、着くのに時間はかからなかった。

 受付にはイワマ交易の社員が待っていた。

「社長の怪我はどうですか」

「詳しいことはトゥムル部長が説明してくれる。こっちだ」

「芹沢さんはいないんですか」桐花は歩きながらたずねた。

「芹沢部長は離宮で軍との協議があって、今さっき出て行った」

 トゥムルは談話室の窓際の席にいた。清潔な作業服に着替えているが、顔には疲労の翳が濃い。桐花の顔をみると黙ってうなずき、案内した社員に言った。

「ごくろうだったな。宿に戻って堀田の指示に従ってくれ。おれもじきに戻る」

 桐花は二人分の珈琲を注文してから、黙って向かいの席に坐った。できればこのまま何も聞かずに立ち去りたい。いや、いっそ悪い知らせでもいいから、早くこの胸をふさぐ不安から解放されたい。

 珈琲を運んできた給仕が去ると、トゥムルは珈琲を静かにすすって言った。

「腕と脚をかなりやられた」口調は淡々としているが顔は厳しい。「甲冑のおかげで頭と胴は無事だったが、とにかく出血が多かった。輸血をしたが、まだ意識が戻っていない」

「でも、たすかるんでしょう」

 (すが)るようにたずねた。お願い、たすかると言って。

「何ともいえんらしい」トゥムルはそっと溜息をついた。「だがあいつは、そこらの(やわ)な連中とはちがう。なによりも生きようとする意志がある。くたばるものか」

 最後の言葉は、ほとんど怒りさえこもっていた。

 祈るような沈黙がつづく。桐花がふと眼をあげると、トゥムルは窓の外を虚ろに眺めている。いつもは鉄のような男の横顔が、硝子細工よりも(もろ)くみえる。桐花は胸をしめつけられ、思わず声をかけた。

「きっとだいじょうぶです。トゥムルさんとあたしがついているんですもの」

「そうだな」トゥムルはかすかに笑った。

 この人はこんな優しい笑顔もするんだ。桐花のこれまで知らなかったトゥムルがそこにいた。あたしの知らない顔を、この人はまだどれだけ持っているのだろう。

「というわけで、すまないがしばらく病院につめていてくれないか。ほかにも傷を負った連中がいるので、そいつらの様子もみてやってもらいたい」トゥムルはいつもの表情と声に戻って言った。

 桐花はうなずいた。「わかりました。ずっとここにいます」

「なにかあったら、夜中でもかまわない、おれか芹沢に連絡してくれ」トゥムルは腰をあげた。

「待ってください」桐花は意を決した声をかけた。「あたし、トゥムルさんに相談しなくちゃならないことがあります」

 社長の生きる力を引き出せるのは、あの人しかいない。約束を破ったと責められるかもしれないが、それで社長が元気になるなら、どんなに叱られたってかまわない。


 夢と(うつつ)のはざまを漂いながら、祐介は自分の顔をのぞきこんでいる女に気づいた。だれだろう。なぜそんなに心配そうな顔でおれを見ているんだ。それにこの顔、どこかで……。

 記憶の底から、幼い日の思い出がゆっくりと泡のように浮かび上がってくる。女の顔が思い出と重なった。そうだ、母さんだ。若いままの母さんだ。胸に熱い幸福感が満ちてくる。

「祐介、がんばって」

 なつかしい声。頑張っているさ、祐介はつぶやいた。父さんや母さんがいなくなっても、しっかりと頑張って生きてきたんだ。ほめてよ、母さん。いつしか祐介の心は岩間村の日々に帰っていた。待って、どこに行くのさ。ぼくをもうひとりにしないで。


 祐介は目をさました。母の姿を眼でさがす。いない。やっぱりあれは夢だったのか。力なく(まぶた)をとじた。そんなことはわかっていたのに……。土のように重く冷たい孤独感が胸にのしかかる。祐介は現実から逃れるように、また眠りに落ちた。


 次に目をさました祐介の眼に映ったのは、寝台の横の椅子でまどろむ若い女だった。見覚えのある顔だが、誰だろう。

 頭の中を風が吹き抜けた。夢で見た母さんじゃないか。それではあれは夢ではなかったんだ。

 ふと女が切れ長の眼をあけた。祐介と女は黙って見つめあった。

 やがて祐介はつぶやくようにいった。

「姉さん、なんだろう」

 まちがいない。こんなに母さんにそっくりな人が他にいるものか。

 葉月は顔を寄せると、そっと両手で祐介の頬を包んだ。

「心配させて――ほんとに馬鹿なんだから」

「姉さん!」

 祐介は起き上がろうとして、頭を枕に落とした。

「だめよ、まだ安静にしてなくちゃ」

 祐介はかまわず、弱々しくもがいた。両腕がまるで丸太のようで、まったく動かない。

「姉さん姉さん!」

 葉月はそっと毛布をはぎ、弟が懸命に持ち上げようとする両手をとって、しっかりと握りしめた。

「姉さんだね。ほんとに葉月姉さんなんだね」

「ばかね、こんな大きな体になって、泣いたりして」

 そして姉弟は子供のように泣きだした。


「セウダで桐花をたすけた白狼団の副長というのは、姉さんだったのか」

 祐介が興奮するということで禁じられた付添いも、翌々日には許された。ふたたび看護についた葉月に、上体を起こせるようになった祐介は、この二日間考えていた疑問をぶつけた。

「クルネールの正体をあかす手紙を書いたのも、やはり姉さんだったんだね。桐花にあずけたんだろう」

「そうよ。どうやらあなたが気づいていないらしいので、助け船をだしたのよ」

「でも、なぜ木原のことを知っていたんだ」

香菜(カナ)が教えてくれたの」

 祐介は驚いた。「香菜って、安井の香菜姉さんか」

 安井家の長女で、たしか村が襲われた時は十八だったはずだ。ふたりはどうやってたすかったのだろう。知りたいが、姉には思い出したくない記憶かもしれない。

 たずねるのをためらっていると、葉月のほうから口をひらいた。

「わたしたちが野盗に連れていかれそうになったのは知っているかしら」

 祐介は黙ってうなずいた。

「村の大人たちはみんな殺されて、わたしたちが集会所の前に集められたときだったわ」

 連れだって西の森で狩猟をしていた村の若者たちが、異変に気づいて馬で駆け戻ってきたのだ。香菜の兄をふくむ少年らは、油断していた野盗たちに銃撃を浴びせて追い払った。

 ――今のうちだ。香菜、みんなを連れて逃げろ。

 ――わかったわ。あなたたち、早く乗って。

 娘たちのなかでいちばん年上だった香菜は、賊から奪い返した自走貨物筏に妹や葉月ら五人の少女を乗せ、急いで賊たちが現れたのと反対の北に向かった。

 聞きながら祐介はボルドとゴントの顔を思い出した。あいつら、口を合わせたように娘たちを見逃したようなことを言っていたが、逃げられたんじゃないか。

 しかしいくら不意をつかれたとはいえ、相手は傭兵くずれだ。戦闘の経験もなく、しかも防弾外套も着ていない少年たちが戦いを挑むのは自殺にひとしい。実際、北の丘の上まで逃れた葉月たちが村を見下ろすと、若者たちはみんな殺されていた。

「野盗がいなくなったら村に戻るつもりで、山陰に筏を隠し、香菜が双眼鏡で様子をうかがっていたのよ。そうしたら――」

 賊どもは一旦は立ち去ったが、しばらくすると別の数騎が現れて村の中を調べだした。どうやら死体を一体ずつ確認しているようだ。その首領らしき男が木原だったという。

「なぜそいつが木原だとわかったんだ」

「香菜は、まだ村にいた頃の木原を知っていたのよ」

 このままでは、賊はすぐに自分たちが逃げたのに気づいて追いかけてくる。香菜の言葉で娘たちは村に帰るのはあきらめ、そのまま北に向かった。

「村に移住してきたとき香菜はまだ四つだったけれど、北の麓へ出る道はおぼろげに憶えていたのよ。もっとも来たときと方角が逆なので、ちょっと迷ったけれど」

 北回廊に出た香菜は、葉月を助手に自走貨物筏を使って運送屋の下請を始めた。筏を売ればまとまった金が手に入るが、所詮はその金を食いつぶすまで悲惨な結末をのばすだけだ。それに娘たちにとってこの自走貨物筏は岩間村――殺された家族たちとをつなぐ最後の(よすが)でもある。手放したくない。

 いつしか祐介は胸のうちで香菜に頭を下げていた。当時十歳だった祐介にとって香菜はすでに立派な大人だったが、考えれば今のおれよりも年下だったのだ。地味で目立たぬ人だったが、そんな(しん)の強さを秘めていたとは。

「姉さんだけ南に来たのは、どうして」

「あなたの噂を耳にしたからよ」

 苦労はしたし、決して楽な暮しではないけれど、ようやく顧客もついて独立でき、小さな運送屋なりに仕事も忙しくなった頃だ。アキツ・ユースケという少年がキタン遺跡から坑夫たちを脱出させたという噂が流れてきたのだ。

「その子がビスビューの宮城や交易会社で働いていたというので、詳しいことを知りたいと思ったの」

 それに木原についても調べたい。

「いつ見つけられるかと怯えているより、こっちから相手の動きをさぐったほうが安心できるじゃない」

「南には、岩間村を通って?」

「もちろん」

 若い女にとって、西宮(ニシノミヤ)やゼウンガールをまわるひとり旅は危険が多い。その点、村を抜ける道ならすでに知っているし、注意すれば人目にもつかず、むしろ安全だ。距離が短く時間がかからぬ分、旅行費用もかからない。

「村に新しいお墓がたくさんあったわ。あれは――」

 祐介はうなずいた。「おれが埋葬したんだ」

「やっぱり。あのお墓を見て、祐介が生きているとわかったわ。それで、ほかに生き残った子供はいるの?」

「いや、おれだけだ」祐介はそっと眼をそらせていった。

「そう。覚悟はしていたけれど……」

 葉月は深い溜息をつき、祈るように眼をつむった。

 北回廊の運送屋の伝手(つて)と得意の語学力でハンメルダール侯国の運送屋に就職してからは、葉月は手をつくして木原についての情報を集めた。木原が村を出てから傭兵をしていたことは香菜が知っていたので、傭兵関係者に話を聞く機会が多く、白狼団の団長ともそうして知り合ったのだという。

「ただ、村を襲った野盗たちが今どうしているかが、まるでわからないのよ」葉月は無念そうにいった。「白狼団が使っている情報屋でも、お手上げだったわ」

「あいつらなら、もういない。みんな殺されたよ」

 祐介はあっさりと言って、姉の驚く顔を楽しんだ。おれにも教えられることはあるんだ。

「あなたが()ったの」葉月は半信半疑といった顔でたずねた。

「二人だけはね。残りは木原が始末した」

 正確にはふたりとも自滅したのだが、あえて訂正するつもりもない。

「木原が? あいつらの仲間じゃなかったの」

 祐介はボルドとゴントから訊きだしたことを説明した。葉月は思案する風だったが、やがて、

「すると木原の狙いは、やっぱり縦貫道の独占だったのね」

「姉さんも気づいていたのか」

「当たり前でしょう。村のことはわたしのほうが詳しいのよ。それに、あなたも木原と同じことを計画しているんでしょう」

 祐介は驚いた。「どうしてそれを」

「ばかね」と葉月は指で弟の額を突いた。「祐介が北と南に交易圏を広げようと頑張っているのはなぜ。考えれば、おのずと結論はみえてくるわ。あなたが木原を出し抜こうとしていることもね」

 祐介は黙りこんだ。鋭い推理だ。だが……。

「このことを、他に知っている人は?」

「香菜だけよ。今のわたしたちが縦貫道の共同開発をもちかけたところで、誰にも相手にされないわ。もっと悪くすると、利用されたあげく消されてしまう」

 おれはなにを心配してるんだ。祐介は自分を叱った。姉さんはおれなんかよりずっと大人なんだぞ。

 祐介は心に焼きついている十五歳の姉の残像をふり払い、

「だったら、十年前に村で何があったかわからないか。木原がいきなり村を襲ったのには、なにか原因があるはずなんだ。たとえば村で縦貫道の開発をすることに決まったとか」

「それについては香菜とも話したんだけれど……」葉月は記憶をたぐるように眼を細めた。「襲われる前――二、三カ月前か半年前かよくおぼえていないけれど、村の開発権を連邦に売るという話があって、村議会でずいぶんもめたそうよ。今考えると、縦貫道を開発する権利のことだったみたいね」

 祐介はうなずいた。「それで筋が通る。どうやってかわからないが、木原はその話を知ったんだ。縦貫道の秘密が連邦に漏れる前に、村ごと封印してしまったんだろう」

「だったら木原は、なぜわたしたちや、あなたのように地下室に隠れていた子供を見逃したのかしら。縦貫道についての情報が漏れる危険は、すべて除きたかったはずなのに」

「ゴントの話から推測すると、やつはたぶん見逃すほかなかったのだと思う」

 木原が傭兵稼業で鍛え上げた精強な部下を持っていながら、わざわざゴントらのようなごろつきを雇って村を襲わせたのは、自分たちの手を汚したくなかったからだ。もし将来この一件が表沙汰になったら、

 ――村人を女子供まで皆殺しにしたクズどもは、おれたちが退治した。

 と主張する筋書だ。ただ、ゴントらが娘を逃がしてしまったのは、木原の大きな誤算だったにちがいない。

 村に入って死体を確かめた木原は、娘と子供だけでなく、ゴントやボルドらの死体がないことにも気づき、即断を迫られたはずだ。縦貫道の秘密を知っているかもしれぬ娘たちを追うか。岩間村の所在と襲撃の真相を知っているゴントらを追うか。

「木原は将来の危険の大きさを考え、ゴントたちを追跡することにしたんだろう」

 葉月はしかし納得しなかった。

「それがわかっていて、あなたはなぜ本名を名乗っていたの。しかも村の名前を社名にしたりして。あなたが生きていると知って、木原が刺客を送ってきたらどうするつもりだったの」

「本名や村の名前を使ったのは、姉さんに気づいてもらいたかったからだ。もし木原が手をだしてきたら、こちらから捜す手間がはぶけたところだ」

 葉月の眼の光が強くなった。

「すると、仇を討つつもりだったのね」

「当然だろう。父さんや母さんの墓を掘りながら、おれが何を考えていたと思うんだ」

「あなた一人の力でなにができるというのよ。返り討ちになるとは考えなかったの」

「一人じゃないさ。トゥムルもいるし、イワマ交易もついている」

 祐介は胸を張った。だが意図とは逆に、姉の顔には怯えの色がうかんだ。

「じゃあ、わたしの手紙はあなたをけしかけたことになるわね」

 葉月はそっと自分の胸を抱いた。警告のつもりで書いた手紙が、弟を木原との戦いに踏み切らせ、結果として瀕死の重傷を負わせてしまったのだ。

 祐介は姉の考えを打ち消した。

「まちがわないでくれ。おれは姉さんの手紙で命拾いをしたんだ。もしクルネールの正体に気づかずにいたら、今ごろおれはベセスタを占領した木原に殺されていたかもしれない。少なくともイワマ交易はつぶされていた」

「でも……」

「『でも』は無しだ。いずれにせよ、決めたのはおれなんだ」祐介は強い口調でいった。

 葉月はじっと祐介を見つめた。やがて、

「そうね。あなたはもう立派な大人なんだものね。本当はあなたが変わっているのが不安で会うのが怖かった。でも、人間なら変わるのが当たり前なのよね。恐れてはいけなかったんだわ」

 祐介は黙っていた。姉の述懐は、今の自身の気持でもあった。


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