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天馬ゆくところ  作者: 天ノ川清
 第十二章  ベセスタの旅立ち
55/55

12-02 ハンメルダール家の公女


「どうですか」

「へえ、それが学校の制服か」トゥムルは、誇らしげに手をひろげている少女に笑いかけた。「似合うじゃないか、桐花」

 桐花は嬉しそうに鏡の前でくるりとまわってみせた。紺色の毛織の上下に薄茶色の短い肩布(ケープ)、同色の帽子。簡素だがそれがかえって学校の格式の高さをひきたてている。

「祐介には、もうみせたのか」

「いえ、昨日の夕方にできてきたばかりなんです。見てもらうのはトゥムルさんがはじめて」

 桐花は来月からビスビューの全寮制女子校に入る。ベールヘーナ公女が保証人なので、身許についてはうるさい学校もすんなりと入学を許可した。それまではベセスタのベール家の世話になり、遅れている教科を勉強している。今日は隊商宿まで制服をみせに来たのだ。

「でも社長の傷、治ってよかったです。あの日、病院に呼ばれたときには、あたし、悪い夢をみているような気がして」

 あの驚きと恐怖は、きっと一生忘れられない。

 翌々日にはセウダから葉月が駆けつけてきた。葉月は芹沢、トゥムルから説明を聞いた時も少しも取り乱した様子がなく、

 ――さすがは社長の姉さんだ。

 と、後で社員たちが噂したほどだ。

 だが桐花は見てしまった。次の日の早朝、誰もいない病院の待合室の隅で、ひざまずいて祈っている葉月の姿を。気丈さの裏で、桐花よりずっと大きな不安に耐えていたのだ。

「祐介の意識がもどったのは、姉さんの魂が呼んだのかもしれないな」

 霊魂の存在を信じる遊牧民らしいトゥムルの言葉に、桐花もうなずいた。実際、祐介が気づいたのは葉月の祈りから半日もしないうちだった。つきっきりで介抱したかったが、実の姉をさしおいて出しゃばるわけにもいかない。しかも葉月がセウダに帰るとすぐに祐介も退院してしまった。

「腕と足の傷口だって、ふさがったばかりなんでしょう。もっと入院していなくちゃだめですよ」

 トゥムルは苦笑いを隠した。社長の祐介が退院しなければ隊商は出発できない。桐花の心配はわかるが、故郷から遠く離れている社員たちの苛立ちを考えれば、祐介としても病院でゆっくりしてはいられないところだ。

「ま、クルネール将軍と斬りあって命があっただけでも、めっけものだと思うことだな」

「そんなに強い相手だったんですか」

「芹沢の話では、傭兵の世界では知られた剣客だそうだ」

「無茶ですよ、そんな人と……。いくらみんなを逃がすためだからといって」

 桐花はあの日の恐怖がよみがえったように胸を抱いた。だがこの無茶のおかげで、今や祐介に対する社員たちの信頼は絶対といっていい。

「たぶんクルネールには、いきなり決着をつける気はなかったのだろう。もしそのつもりなら、もっと早く勝負を決めていたはずだ」

「じゃあ、なんで」

「闘いを楽しんだのじゃないか。まさか自分が負けるなんて思ってもいなかったのだろう。実際、祐介が殺されなかったのは運としかいいようがない」

 運とは(テングリ)の意志だ。勝てるはずのないユースケがクルネールを(たお)したのは、ユースケに何事かをなさせようとする天の意志にちがいない。

「でもこんな少ない損害で作戦が成功したのは、部長が敵を崩し、社長が追撃を食い止めたおかげなんでしょう。ベール家の人たちもそういっていました」

「おれはともかく、祐介の指揮がなければこうはうまくいかなかった。あいつの本領はこれだ。いくら剣の達人といったって、それで世の中が動かせるわけじゃない」

 イワマ交易もベール家私設軍も全員が高性能の防弾外套(シダル・パルト)と陶製甲冑を着ていたため、負傷者は多かったが、戦死はそれぞれ一人と三人ですんだ。桐花の言葉は誤ってはいない。

「だがな、桐花、ほかの人の前では『少ない損害』なんて口にしないほうがいい。戦死した者の家族や友達の気持も考えなくちゃな。それにハンメルダール軍の方は大きな損害をだしたんだ」

 作戦に参加したハンメルダール軍の戦死者は一割を大きくこえ、負傷者はその三倍にのぼる。責任を問われて総司令官ストレイは軍法会議に告発された。

 国軍総監ベールヘーナが再調査を命令じた結果、ある貴族が勝手に戦場を離脱――逃走したことが全軍崩潰の危機をまねいたことが判明し、公訴は棄却された。むしろストレイは戦線の立て直しに功績があったと認められ、ハンメルダール侯スタルノの名によって南部軍管区総督に任ぜられた。平民出の一代貴族としては異例の出世だ。

 とはいえ多くの仲間を失ったハンメルダール兵たちの表情は険しい。あまり浮かれては彼らの反感を買うことになる。

「そうでした。気をつけます」

 亡くなった社員は南方出身で、言葉を交わす機会もなかったが、同じ仲間だ。あたしったら、なんて無神経な……。

「そんなにしょげるな。そうだ、いくら全寮制でもビスビューの街を歩く服の一着くらいは必要だろう。入学祝いにおれが買ってやる」

「え、ほんとですか。嬉しい」

「その制服、祐介たちにはあとでみせればいいだろう。着替えておいで」

「はい」桐花は名残惜しそうに鏡をみた。「ところで社長は今日どちらへ」

「離宮だ。下のお姫さまに呼ばれたんだ」


「傷の具合はどうですか」と下のお姫さまがたずねた。

「斬られた神経はまだ完全につながっていませんが、あと一月も回復訓練をつづければ元通り動くようになるそうです」

 マルヴィーナ公女は思ったより元気で、祐介が訪れた時は図書室の窓辺の机で本を読んでいた。立ち上がったのを見ると四年前よりずっと背が高い。桐花といい勝負だ。だが記憶とは別人のように痩せていて、頬など骨が浮きでている。

「このたびは世話になりました。皆になりかわって礼をいいます」

 マルヴィーナは丁寧に頭をさげた。成長したなと祐介は思った。

「とくにセリザワに感謝の言葉を伝えてもらえますか」

「運営部長のセリザワですか」

「ええ。そなたの社員たちはよくやってくれました。でも彼の指揮がなかったら、乗せそこなった兵士がかなりでたでしょう」

 知らなかった。そういえば、あれから芹沢はひと皮むけたようにもみえる。風格がでた、といってもいい。

「お姉さまにも会えたそうですね。よかったわ」

「ありがとうございます」

 葉月はすでに四日前、白狼団の仕事が気がかりということで、

 ――北に戻る途中に寄ってちょうだい。白狼団のみんなにも紹介するわ。

 と言い残して、セウダに戻っていった。

 祐介にとっても、ここでしばらく姉と距離を置き、互いの関係を見つめ直す時間が必要だった。たぶん葉月も内心では同じ気持だったのではないか。

「マルヴィーナさまはいかがです。もう落着かれましたか」

「相変わらずだわ。あまり食べたくないの」

 机をはさんで腰をおろすと、くだけた口調になっていった。

「守備兵が渇き死にしたのは、なにもあなたの責任とはいえないでしょう」

「五百人以上よ。城内に埋葬できる場所がなく、城壁の外に投げだすしかなかったわ」

 マルヴィーナは言葉を切り、何かをこらえるように強く眼をつむった。やがて、

「それなのに、わたくしはそなたたちに救出されるまで、城内があそこまで悲惨な情況になっているのを知らなかった。わたくしと近衛女兵には優先的に水が割り当てられていたのにも気づかず、兵士の衰弱を戦意のなさゆえと決めつけていたわ」

「マルヴィーナさまお一人の飲む水を減らしたところで、その五百人をどうにかできたわけでもないでしょう」祐介は慰めた。「それに、あなたが城内の情況に気づかなかったのは、むしろお付きの方々の問題じゃないですか」

 利口な殿さまより、足りない殿さまの方が扱いやすい。それには現実から遠ざけておくにかぎる。

「姉上やわたくしの立場の者は、それを見抜けなくてはならないわ。そなたとて同じではないですか」

「そうですね。おっしゃる通りです」

 芹沢の活躍を知らなかったあたり、おれもお姫さまのことはいえない。

 マルヴィーナは話題をかえた。

「クルネール将軍と一騎打ちをして、勝ったそうですね」

 祐介は首をふった。「もしやつがはじめからわたしを殺す気だったら、とうに三枚におろされていました。馬のおかげで一太刀あびせることができただけです」

「天馬カイザンね」

 祐介が言い触らしたわけでもないのに、クルネール将軍がカイザンを〝天馬〟と讃えたことは、いつのまにか誰もが知っていた。

「すると、クルネール卿がそなたと旧知の仲だという噂は本当だったのね」

「この夏に一度、甲冑の商談で会っただけです」祐介はさりげなくかわした。

 マルヴィーナはわずかに小首をかしげたが、重ねてたずねることはせず、

「いずれにせよ、そなたを甘くみたのが命取りになったわけね。おかげで城も落ちずにすんだわ」

 補給が成功した二日後、アルブダール軍はスカーイッヒ城の包囲を解いて撤退していった。補給の阻止に失敗したのにくわえて総司令官の戦死で、同盟軍の救援が到着する前に城を落とす見込みがなくなったと判断したのだろう。引き揚げの機をのがせば、今度は逆にアルブダール軍がルエルグ渓谷の中に閉じこめられる。

「でも、どうして総司令官自らが、そなたたちを追ってきたのかしら。立場を考えれば、あまりに軽率ではないかしら」

「自分の手でわたしを始末するつもりだったようです。本人がそういっていました。人を戦わせるより、自分で戦うことに生きがいを感じていたのでしょう。総司令官の服を着ていても中身は戦士だったわけです」

 仇を討った後、胸にぽっかりと穴が空いてしまった。そうと認めたくはないが、偉大な先達(せんだつ)をこの手で失わせてしまったような気がする。おれは縦貫道を開くことしか考えていなかったが、やつはその後に築くべき世界の図面まで持っていた。敵としてであっても、生きていれば学ぶべきことがたくさんあったはずだ。

 いや、それは生き残った者の傲慢だ。祐介は自分を叱った。あの時カイザンが木原の馬に噛みつかなかったら、間違いなくおれの方が殺されていた。今こうして生きているのはおれの力ではない。勝った者が余裕をもって敵の死を惜しむのは、かえって相手を侮辱することになる。

「そなたも傭兵屋になれば、きっといい首領になれるわ。フェルデはそなたらと同じ敵の本営を攻めながら、あんなことになってしまった」

 彼らは、敵が驚きから立ち直ったところに飛びこみ、袋叩きにあった。祐介らが本営の混乱とみたのが、実はそれだった。モールベン隊二十六騎のうち生還できたのは八騎だけだったという。なかには祐介が彼らを罠に引っ張りこんだように言うむきもある。いい迷惑だ。

「そなたらの功績にはっきりした形で報いたいのだけれど、叙勲は国主の大権(たいけん)なので、わたくしや姉上の一存では決められないのです。しかも民間人の戦功を認めるのに反対する(やから)が政府内にいて、同調する者も少なくないとか」公女は形のよい唇の片端をわずかに吊り上げた。「いずれもビスビューから一歩も出なかった者たちよ」

 祐介はほほえんだ。先頭に立って反対しているのが誰かわかる気がする。

「お気づかいなく。会社が請けた仕事です。契約の報酬をいただいただけで充分です」

 正直なところ、交易屋が勲章をもらっても、さして意味はない。だがそうした形で感謝を表そうとするマルヴィーナの心は熱く胸に伝わってくる。

「それより、負傷したり殉職した者に何かマルヴィーナさまの気持のこもった言葉でもいただけたら、その方がみんな喜ぶと思います」

 マルヴィーナの顔が明るくなった。

「わかりました。そうします」

 そのあとマルヴィーナには珍しく、ためらう様子をみせて、

「実は、そなたに今日来てもらったのは、頼みがあるからです」

「なんでしょう。わたしでできることなら」

「わたくしをそなたの会社で雇ってほしいのです」

「それは……」祐介は絶句した。

「なんでもするわ。聞けばイワマ交易には十五、六の娘がいるとか。もう一人くらいいてもいいでしょう。むろん待遇はその娘と同じ――いや、新参になるから、もっと下でもかまいません」

「ちょっとお待ちください」祐介は手をあげた。

「やっぱり公女ではだめなのね」マルヴィーナは肩を落とした。

「それ以前の問題です。どこの隊商が、今のあなたのような半病人を雇うとお思いですか」祐介はあえてきつい言い方をした。

「――それもそうね」公女はこけた頬に手をやった。

「とにかくまず、わけをお聞かせください」


「要するに、世間知らずの自分に嫌気がさした、ということのようです」祐介は窓辺にたたずむベールヘーナに説明した。

 侯爵の執務室ということだが、大きな机をふくめた調度はいずれも実用本位で、部屋の主が実務型の人間であることをうかがわせる。華やかな装飾といえば机の脇の台に置かれた大きな磁器の置物だけだ。花園の噴水とそのまわりで戯れる子供たちが鮮やかな色彩と精緻な細工で造形された、ビスビュー磁器工房の名品である。

 祐介はそっと置物から目を離した。木原にしろ侯爵にしろ、おれの想像していた人物像と実像のあいだにはかなりの隔たりがあるようだ。世間を知らぬのはマルヴィーナ姫だけではなさそうだ。

「それで、ユースケはなんと答えたのです」

「来年の春、またわれわれが来る時までよくお考えくださいと」

「マルヴィーナは今、自分がなにを信じていいのかわからなくなっているのだわ」ベールヘーナは溜息をついた。「侯爵公女であることはあの子の誇りであり、行動の規範だった。まさかそのために飢渇に苦しむ人たちから水を奪うことになったとは……。あの子は責任感が強いから、それだけ苦しむことになるわ」

 公女は考えるように外を見た。

「でもマルヴィーナが悩んだ末に決めたことなら、わたくしはその力になるつもりです。あの子には自分の人生を歩いてほしい」

「それでよろしいのですか」祐介は思わずいった。「ベールヘーナさまご自身の人生はどうなさるのですか」

 ベールヘーナはふりかえった。

「父があぶないのです」静かな声でいった。「さきほど連絡が入りました。明朝、妹と一緒にビスビューに戻ります。しきたりに従えば爵位は兄が嗣ぐことになりますが、兄はとてもその責を(にな)える状態ではありません。となれば――」

「ベールヘーナさま」

 祐介は知っていた。このベールヘーナ公女こそ、同盟国主たちに働きかけて対アルブダール連合軍を結成させた功労者であることを。

 ――ハンメルダール健在。

 ベールヘーナがそのことを身をもって示さなければ、ハンメルダール侯国領は、アルブダール伯と他国主に嫁いだ姉公女たちによって山分けにされてしまうところだった。今や侯国の威信はこの二十一歳の娘の肩に事実上ささえられているのだ。

 公女はほほえんだ。

「わたくしはだいじょうぶ。これまで受身でしか生きてこられなかったけれど、これからはちがいます。わたくしもまたハンメルダール侯爵公女なのです」

 ふたりの眼が合った。

 ――一緒に来てわたくしを(たす)けて。

 公女の瞳がそういっている。行かなくてはならない。祐介は思った。会社も縦貫道の夢も捨てることになるが、ベールヘーナさまにはそれだけの恩義がある。

 いや、自分の心を飾りたてるな。おれはこの方のそばにいたいだけだ。それでいいじゃないか。

「ベールヘーナさま――」

「あら、雪」公女が窓の外を見てつぶやいた。

 魔法が解けた。祐介は中庭に眼をやった。どんよりとした曇り空だが、雪は見えない。

 ベールヘーナは外を見たままいった。

「もしもふたりとも、心のままに生きられるなら……。でもこの齢でわたくしたちは、あまりに多くのものを背負ってしまった」

「これをおぼえておいでですか」

 祐介は頸の紐をたぐって紅玉(ルビー)を引っぱりだした。

「それは――」

「あの日、ベールヘーナさまにいただいた耳飾りです。野営の檣楼(しょうろう)の上、地下遺跡の闇の底、星空の草原、雪の森林、どこでもこれに触れるだけであなたの(ぬく)もりを感じることができた。あなたの婚約を知ってすべてを忘れようとしたけれど、結局これを捨てることはできなかった。いつかふたりの道が交わらぬとも限らぬでしょう」

「ユースケも意外と少女趣味なのですね」

 ベールヘーナは祐介の掌にのせられた紅玉(ルビー)に指先をふれた。

「そうでしょうか」

「少女趣味です」

 祐介はベールヘーナの手を包み、そっと引いた。公女は祐介の肩に顔を埋めた。

「抱いて」ベールヘーナはささやいた。「もっと強く。わたくしもあなたの温もりがほしい。あなたの腕の力をおぼえていたい」

 祐介は公女の背にまわした腕に力をこめた。傷口に鋭い痛みが走る。だがそれがなんだ。今おれの腕のなかにいるのはまぎれもなく大人になったベールヘーナさまだ。胸の感触。かすかに伝わる心臓の鼓動。ほのかに甘い髪の香り。これを――この時をおれは何度夢に見ただろう。

 (たか)ぶる心を押し殺して祐介はそっとベールヘーナをはなした。

「おいとまします」

「お別れはいいません、あの日のように」

  公女はまっすぐ窓の外を向いた。

 祐介はベールヘーナの背にかかる髪を手にすくい、唇を押しあてた。冷たく滑らかな感触が頬をつつむ。かすかに震える手から髪がこぼれおちた。祐介は静かにさがり、黙って一礼して部屋を出た。厚い扉が閉まった。

 ベールヘーナは絹の手袋をぬぎ、指輪をみつめた。

「ユースケ……」

 涙が紅玉(ルビー)を鮮やかに染めあげた。


 警護隊に守られた四台の高級乗用筏(リムジン)が、早朝のルエルグ新道を運河に沿って北に進んでいく。

「桐花、あれではないの」

 マルヴィーナが窓の外を指さした。

「あっ、そうです。社長とトゥムルさんです。うしろにいるのは警備部の人たち。斬込隊の人たちもいる」

 桐花は体をひねり、朝の光をあびて後方に去っていく騎馬の一団を見つめた。

「気の毒だったわね、急な出発で。今も筏をとめられないの」

「いいんです。お別れは昨日してもらいましたから」

 といっても、隊商宿の食堂に社員を集めて挨拶しただけだ。どのみち隊商の出立が別れになるのは決まっていたことで、誰も急なことに驚きはしたものの、大げさな儀式めいたことはしなかった。なによりも桐花自身の別れは、その前に祐介とすませていた。

 離宮から戻った祐介に呼ばれ、あわてて着がえて行くと、

「それが学校の制服か。似合うよ、桐花」

 祐介はトゥムルと同じようなことを言って、桐花が翌早朝、二人の公女とともにビスビューへ移ることになったと告げた。

「すべてはベールヘーナさまにおまかせしてある。安心して勉強に励んでくれ」

 桐花は驚いた。心の準備はとうにできていたつもりだったが、こんな別れは考えていなかった。

「それから、姉さんの手紙の件だが」

「ごめんなさい、勝手なことをして」

「あやまることはない。感謝しているんだ。セウダから姉さんを呼んでくれたのも桐花の考えだそうだね。桐花の機転がなければ、もしかしてわたしは姉さんと会えずじまいになったかもしれない」

「社長、あたし――」

 さあ言うのよ、勇気を出して。桐花はそっと息を吸い、まっすぐ祐介の顔を見た。

「あたし、一生懸命勉強しますから」

 勇気がないんじゃないわ。桐花は胸の内で唇を噛んだ。あたしの大切な想いを、こんな時と場所で口にしたくないだけよ。


「それで、秋津はなんと?」

 マルヴィーナの声に、桐花は現実に戻った。

「おまえの後ろにはいつもわたしとイワマ交易がついている、なにかつらいことがあったらそれを思い出せって」桐花は眼をふせた。

 マルヴィーナはそっと視線を外に向け、

「秋津はビスビュー時代のことをそなたに話したかしら」

「いえ、社長はご自分のことはあまり……」

 公女はうなずいた。「そうね。秋津はそういう男の子だったわ」

 桐花は、はっとした。もしかして――。

「あの、公女さまは社長とは――その、親しくされていたのですか」

「マルヴィーナと呼んでかまわないわよ。いいえ、言葉を交わしたこともあまりなかったわ。それに――」公女は複雑な微笑をうかべて桐花をみた。「わたくしたち貴族が、愛する者同士で結ばれることはめったにないの」


「行ってしまったな」トゥムルは祐介を見た。「おまえも一緒に行けば、ハンメルダール侯国が手に入ったのに」

 祐介は黙って首をふり、カイザンの馬首を返した。

「帰るぞ、みんな」




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