11-03 桐花の思い
祐介は息をするのも忘れ、記憶に刻まれたベールヘーナと見くらべた。こんなに背が高かったか。いや、体型が変わったのだ。面ざしも深みと落着きが感じられる。それも当然か。別れたときは十七歳になったばかりだったが、今は二十一だ。
斜め後ろの椅子に坐る警護官にも見覚えがある。かつてベールヘーナの招きでビスビューの将校会館を訪れた際、案内してくれた近衛女兵だ。たしかクローゲルといったか。二人の公女の身辺につくため女性の警護官が必要であるにせよ、選抜される数は多くない。クローゲルは高い階段を登ったらしい。
ふとベールヘーナと視線が合い、公女が眼だけで笑った。祐介はわずかに顎をひいた。瞬間、四年半の時が消え去った。
なるほど、これが指揮系統の混乱を避ける手品の種か。たしかにこれでベールヘーナさまに従う警護隊は、形の上では国軍の指揮下におかれることになる。となると、あとはおれたちイワマ交易とベール私兵の立場だが――。
ストレイの副官が進行役となって会議がはじまった。
皆がすでに承知している事項の確認がほとんどなので、会議はすみやかに進んだ。が、終了まぎわの祐介の一言に将校たちが猛反発した。
「きさまに最高指揮権をわたせだと。馬鹿も休み休みいえ」
「なにもあなたたちの戦い方に口をはさむつもりはありません」祐介はことさら穏やかにいった。「ただ作戦を続行するかどうかの判断は、わたしが下すといっているのです」
「きさまのような民間人になにがわかる。この作戦はなにがなんでも成功させねばならんのだ。中止など許さん」
「作戦の目的をお忘れなく。マルヴィーナさまと負傷兵を城から脱出させたところで、敵に――敵の包囲を突破できなければ何にもならないでしょう」
祐介は〝敵に殺されてしまったら〟といいかけて、とっさに言葉をかえた。
「それよりは中止して仕切り直すべきじゃないですか」
「だからといって、なぜきさまがその判断をするのだ。あくまでも司令官は――」近衛将校は公女に一礼した。「ベールヘーナ殿下であり、戦闘指揮官はストレイ閣下だ」
「それは承知しています。ですが補給物資とマルヴィーナさまたちを運ぶのはわたしの会社の社員と筏で、現場で指揮をとるのもわたしです」
ここにいる貴族たちは皆、祐介が数年前に宮殿の庭を掃除していたことを知っている。おまけに祐介は、この席でのおそらく最年少者だ。彼らの肥大した誇りは、そんな身分卑しい小僧のいいなりになることに堪えられないのだろう。
だが祐介もここで安易に妥協するわけにはいかない。炸裂弾の洗礼も浴びたことのない貴族のお坊っちゃまたちに、おれや社員の命をあずけられるか。
「あらためて申すまでもありませんが、この作戦を成功させたい気持はわたしたちもあなた方に劣りはしません」
「しかし――」
「そのくらいでよろしいでしょう」
それまで黙っていたベールヘーナが口をひらいた。
「アキツ社長のいうとおり、現場でマルヴィーナや負傷兵たちの命をあずかるのはイワマ交易です。大きな責任をまかせる以上、相応の権限もまた委ねるべきだと思います」
わかっていらっしゃる。祐介は嬉しかった。つまらぬ体面にこだわって目的を見失っている連中とはえらい違いだ。器の差というやつか。
「トゥロール卿、そなたの意見をきかせてください」
「総監殿下のおっしゃる通りと存じます」とストレイ。
ベールヘーナはうなずいた。
「では、皆の者もよろしいですね」
「御意」
会議は終わった。
桐花は胸に揺れる金の花をそっと握りしめた。
三日前からイワマ交易は、社長以下全員が郊外の演習場に泊まりこみ、スカーイッヒ城と周辺の地形にみたてた板塀や土嚢を相手に、ベール私兵と共同で予行演習を繰り返している。そのあいだ桐花も一緒に泊まりこんで軍の補給部の手伝いをしていた。それが今日の午後になって、桐花だけベール家のベセスタ別邸に移されたのだ。
作戦については何も教えてくれなかったけれど、今日離宮で最終の打合せがあったということは、今夜あたり決行なんだわ。あたしをこっちに移したのもそのためだ。
補給作戦にハンメルダール軍が何度も失敗しているのは聞いていたけれど、社長とトゥムルさんが笑っていたので心配などしなかった。
でも別邸に移ってあのふたりの魔力から離れたら、とたんに不安に胸がつぶれそうになった。
――半分はやられるんじゃないか。
と軍補給部の人たちのささやいていた言葉が、急に恐ろしい現実味をおびてきた。考えてみれば、あんなに準備に念を入れるなんて、本当はとても危険な仕事なんだわ。やっぱり社長に打ち明けるべきだっただろうか。
半月前だ。西宮から引き返して再びセウダに立ち寄った際、桐花はひとりで旧市街に白狼団の事務所兼宿舎をたずねた。以前女副長にごろつきどもからたすけてもらった礼を、遅ればせながら言いたかったのだ。夏の終りに西宮に戻る途中で寄ったときは、隊商は遅れた予定を取り戻そうと急いでいて、外出する時間などなかった。
宿舎は塀で囲まれた煉瓦造りの三階建で、中庭もあって、見ただけではごくふつうの独身者用の社宅とかわらない。もっと兵舎っぽい殺風景な施設を想像していたのだ。
受付に来意を告げると、副長はさいわい巡回から戻ってきたばかりということで、応接室に通された。
待つほどもなく副長が入ってきた。ちょっと凄みのある美しさは相変わらずで、帽子をかぶっていないほかは、以前と同じ服装だ。
「イワマ交易の沢井桐花さんだったわね。よくおぼえているわ」
桐花は丁寧に礼をのべた。
「あの翌日にでもうかがうつもりだったんですが、あいにく隊商の出立が予定より早まったもので、失礼してしまいました」
「お礼なんていいっていったのに」副長は手で椅子を勧めながらいった。
「そんなわけには――。社長からも怒られてしまいました」
お礼をしそびれて怒られたわけではないが、あたしを心配して怒ってくれたことには変わりない。
「あら、社長はそこまであなたの面倒をみるの」
「ええ、社長にはとてもお世話になっています」
言ったとたんにうつむいてしまった。顔が熱い。どうしよう、笑われるわ。
副長は笑わなかった。どころか真剣な眼で桐花をみつめた。
「あなた、祐介とはどんな関係?」
「関係なんて、まだ――」
いいかけて、言葉を呑んだ。そういえばこの人、挨拶のときから〈回廊語〉だ。この前はたしか〈森林語〉だったのに。
そうか、あれからあたしの――イワマ交易のことを調べたんだわ。社長の名前もそれで……。でも祐介だなんて。会社でも社長をそう呼んでいるのはトゥムル部長だけなのに。
頭の中を閃光がよぎった。心臓が激しく高鳴る。もしかして――。
「社長のお姉さんなんですか」
思わず口をついてでた言葉に自分で驚いた。まさかそんな……。
女副長はほほえんだ。
「頭のいい子は好きよ。そう、わたしは祐介の姉の秋津葉月よ」
「じゃあ、やっぱり社長のことは、あれから調べて……」
「いえ、その前から知っていたわ」
天山連邦に住む親友から、イワマ交易のことも弟が南に来ていることも連絡を受けていたのだと葉月は説明した。
「でも、わたしと会ったことは祐介には内緒にしてね」
「……はい」
祐介の驚き喜ぶ顔を想像していた桐花は意外に思った。そう頼まれれば話すわけにはいかないが、でもどうしてだろう。社長はあれほどお姉さんを捜しているのに。
「祐介のことを教えて。あなたが祐介と会ったのはいつなの」
桐花の話に耳を傾ける葉月の真剣な姿からは、弟に会いたいという気持が切なくなるほど伝わってくる。桐花は思い切ってたずねた。
「なぜ社長にお会いにならないんですか。社長は今このセウダにいるのに」
葉月は返事をためらった。しばらく言葉を探すように黙っていたが、やがて、
「会って、もしわたしの知っている祐介ではなかったら……」と、つぶやくようにいった。
あの時は理解できなかったが、今ならお姉さんの気持が少しはわかる気がする。再会した肉親に他人を感じるかもしれないという不安は、父と生き別れた桐花にもある。
でも娘を捨ててひとり逃げた父さんと社長はちがう。臆病になっているお姉さんのために何かあたしにできることはないだろうか。
いつのまにか部屋が薄暗くなっている。桐花は窓の外の夕暮れに眼を向けた。みんなはもう出発したのかしら。もしもあのふたりの身になにかあったら、あたしは……。
桐花は床にひざまずき、金の花を握った両手に額を押しあてた。




