10-07 アルブダール伯爵
アルブダール伯国軍がハンメルダールに向けて進発してから、すでに二カ月になろうとしている。伯国の首都エクスヘラードには、早くも秋の気配がただよっている。
アルブダール伯カルルは決心した。
鈴を鳴らし、書斎に入ってきた侍従に命じた。
「軍師をよべ」
電話で直接よんだほうが早いが、それでは国主の威厳をそこなう。
侍従は不幸にしてこの日、勘がうまく働かず、主人が三人いる軍事顧問官のうち誰をさしているのかわからなかった。破れかぶれで、
「クルネール卿でしょうか」と訊き返した。
伯爵は黙って机の上から紙挟みをとって投げつけた。紙が散って勢いは鈍ったが、それでも侍従の額がごつりと音をたて、血がにじんだ。どうやら正解だったらしい。
「かしこまりました」
侍従は一礼し、急いで部屋を出た。たずね返すとこうなるのはわかっていたが、間違った軍師を呼んで狂乱状態にさせるよりはましだ。主人の手元に文鎮がなかったのは運がよかった。
なんで余のまわりの人間はこうも愚物ばかりなのだ。伯爵はいらだった。軍師といったらモーラン・クルネールに決まっているではないか。少なくとも今の場合はそうだ。
ま、これくらいの愚かさは大目にみよう。余は肚が太いのだ。が、ランヌ司令官の無能ぶりは我慢できない。もう限界だ。
ランヌにあたえたのは二個軍団一万二千の兵だ。それがたちまちスカーイッヒ城でひっかかってしまった。いかに堅城とはいえ、相手はわずか三千足らずではないか。押さえの兵を残し、そのままハンメルダール領内へ侵攻するという策だってあったのだ。たしかに必ずスカーイッヒ城を落とせとは命令したが――臨機応変という言葉を知らんのか。
おかげで作戦計画は大きく遅れ、しかもまだ先が見えぬときている。さらに悪いのは、これまでスカーイッヒ山地を抜けてアルブダールにやってきた隊商が、山地を迂回するようになったことだ。おかげでアルブダール領に落ちるはずだった南北交易の利益が激減してしまった。むろんそれはハンメルダール側でも同じだが、あちらには南回廊交易もあり、わが国ほど大きな痛手にはならない。
これもみんなランヌのせいだ。伯爵は左手に拳を打ちつけた。城攻めにしても、最初の攻撃に全兵力を投入すればおそらく抜けたはずだ。敵は明らかに油断していた。だがランヌはもっぱら常備軍と新たに雇った徴募兵に攻撃させ、精鋭の親衛軍を予備にまわした。親衛軍の将校には知人やその息子が多く、危険にさらすのがしのびないからだという。
ふざけた事を! 伯爵は誰もいない壁に凄んでみせた。ふだん無駄飯をたらふく食わせているのは、こういう時にこそ先頭に立って突撃させるためではないか。
そもそもがランヌを総司令官にするのは、余は反対だった。だが母上が、
「わらわの一族で、これといった勲のないのはあの弟だけじゃ。ここらでひとつ手柄をたてさせておやりでないか」
と、あの冴えない叔父を押しつけたのだ。
以来、攻撃を加えること十数回。部下の進言にも耳を貸さず、芸のない正面攻撃だけで、兵を肉弾として城壁にぶつけている。損害は甚大で、しかも城は一向に落ちる気配がない。やがて冬の交易最盛期をむかえるというのに、膠着状態がこのままつづけば、侯国を奪取するどころか先にこちらが潰れてしまう。
「クルネール顧問官がおみえです」侍従が告げた。
クルネールが敬礼した。
「お召しにより、参上いたしました」
「軍師、そなただけが頼りだ」
台詞のわりにどこかそらぞらしい声だ。
「光栄です。なんなりとお申しつけください」と、こちらは誠意があふれている。
クルネールは伯爵よりやや年長で、四十になったばかりだ。
七年前、領内を跳梁した盗賊団の討伐をクルネールの率いる傭兵団が請負い、たちまち平らげてしまった。その手並みがあまりにもあざやかだったので、伯爵はクルネールとその部下を常雇いとした。収入の不安定な傭兵が夢にまで望む待遇である。以来、着々とクルネールは足場を固め、一昨年には正式な将軍に昇進すると同時に軍事顧問官に任命され、また一代貴族に列せられた。
家柄を誇る貴族たちのクルネールを見る眼は当然冷たく、
――彼はおのれの功名のために殿を利用しているのです。
と、しきりにアルブダール伯の耳に吹きこむ。
伯爵もそうかと思い、クルネールを遠ざけるが、門閥貴族たちの無能さに、またすぐこの成上がり貴族を用いざるをえなくなる。今回のハンメルダール侵攻作戦もそうだ。
もともとこの作戦の立案者はクルネールだった。ハンメルダール侯は老齢のうえ病床にあり、先は長くない。おまけに嗣子は麻薬中毒の廃人だ。
「領土を併合なさるなら今が絶好の機会です。評判の高い公女が正式に侯爵家を嗣ぎ、人心が安定してからでは手遅れとなります」
しかも夏場は隊商が旅を避ける季節であり、南北交易への影響も最小に抑えられる。
アルブダール伯も大いに乗り気になって、作戦は採用された。伯爵としては当然、総司令官にはクルネールを考えていたのだが、例によって門閥貴族たちが伯爵の母を動かし、例によって伯爵はその意見に従った。その結果がこのざまだ。
「余は今度こそ目がさめた」アルブダール伯は胸を張った。「重臣どもの意見に従ってランヌを司令官にしたが、やはり余の考えが正しかった。軍司令官にふさわしい者はそなたしかいない」
クルネールはうやうやしく頭をさげた。伯爵が重臣ではなく母親の意見に従ったのだということは、宮廷の者はみんな知っている。
「かたじけなさに言葉もございません。殿の信頼におこたえするためにも、小官の全ての力をなげうつ所存でございます」
「うむ、期待しておるぞ」伯爵は満足げにうなずいた。
屋敷に戻ったクルネールはただちに副官を部屋によんで、軍司令官に任ぜられたことを伝えた。
「殿さまもやっと、閣下のありがたみが理解できましたかね」
「なに、またすぐ忘れるさ」クルネールは笑った。
「ハンメルダール侯国を併合したら、さっそく岩間村の開発ですか」
「その前にアルブダール伯に国を譲ってもらう。そのためにも時々は貴族や伯爵に仕事をまかせ、せいぜい無能さを発揮してもらわなくてはな」
「あと、例の秋津ですが、北回廊に帰還せず、西宮からまたこちらに戻って来るという報告がはいっています」
「秋津か……」クルネールはつぶやいた。「あんな若者が現れるようになったんだ。西宮の時代も長くないな」
「老作りまでして敵地に会いに行かれたのは夏の初めでしたか。秋津が戻ってきたら、また白瀬として仲間に誘うおつもりですか」
クルネールはわずかに首をふった。「秋津という青年、思ったより熱い血が流れていた。つまりは若すぎるんだが、君のいうとおり、恨みを捨てて協力することはないだろう。それに一緒にいたトゥムルという若いのも、いい面構えをしていた。運営部長もかなりできる男のようだし、うかうかするととんでもない敵になりかねん」
「将来の禍根になるならば、やはり芽のうちに摘んでおくべきでしょう」
クルネールは返事をせず、黙って考えていた。ややあってうなずくと、
「だが刺客をはなつような姑息な手はつかいたくないな。できれば一対一の決闘で、わたしのこの手で始末をつけたいものだ」
ふと気づいたように副官の顔を見て笑った。
「秋津のことを考えると血が騒いでね。いずれ戦場で顔を合わせる機会もあるだろう。それまでは彼には手を出さぬようにしてくれ」
副官はうなずいた。傭兵時代からの部下だけに将軍の気持はよくわかる。冷静な計算を忘れぬ策士とみられているが、クルネールの本性は手強い敵との戦いに生きがいを覚える勝負師なのだ。
副官の脳裡に茶亭で会った秋津祐介の顔が浮かんだ。クルネールと色合いこそ異なるが、やはり強い存在感のある若者だった。将軍はああ言うが、どんな汚い手をつかっても今のうちに消しておくべきではないか。いっそ将軍には黙って……。
やれやれ、と副官はひそかに自嘲した。このあたりが閣下とわたしの器量の差か。
「では、ひきつづき秋津の動きから眼を離さぬようにしています」




