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天馬ゆくところ  作者: 天ノ川清
第十章  ベセスタの夏
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10-03 桐花の旅

「もしかして、わたしのせいかもしれない」祐介は渋い顔でいった。

「どういうことですか」堀田が訊いた。

「軍需局長はビタリスだったんだ。わたしもうっかりしていた。品質と価格に自信があったから、それ以外の条件まで考慮にいれなかった」

 部長たちは黙って聞いている。祐介はつづけた。

「ビタリスは財務卿アールドベンの子分だ。わたしはこのアールドベンの息子のアニルとはすこしばかり因縁がある」

 祐介は、かつてのビスビュー宮城時代の出来事を説明した。

「つまり、そのアールドベンは、倅の意趣晴らしのためなら兵士が死んでもかまわないというのですか」堀田が呆れたようにいった。

「そういう男なんだよ。結果として戦争に負けるかもしれないというところまで頭がまわらないんだろう。みんなには迷惑をかけてしまった」

 商品が売れなければ資金が回収できない。給料も払えなくなる。最悪の場合、倒産もありうる。

「だいじょうぶ。理由がわかったからには、手はいくらもある」芹沢がいつもの落着いた口調に戻っていった。

「いざとなればアルブダール伯に売りこんだっていいですしね」と植木。

 祐介はうなった。「それはやりたくないなあ。今後も南回廊を利用することを考えれば、ここでハンメルダール侯国を敵にまわすのは得策じゃない」

 なによりもベールヘーナに石を投げつけるような真似はしたくない。

「今、ハンメルダールには傭兵がたくさん集まってきています。彼らに売ったらどうです」と堀田。

「傭兵か――」芹沢が腕を組んだ。「連中は仕事の前には金を持ってないからな。かといって、つけでは売れないし」

 みんな笑った。戦死した客は金を払ってくれない。

「あの……」

 紅茶を給仕していた桐花が、遠慮がちに口をはさんだ。

「お金のありそうな傭兵部隊なら、あたしも一つ知っています」

 幹部たちは、ほう、といった顔で桐花を見た。

 袖をまくりあげた桐花の作業服の胸元には、細い弾性硝子の鎖につるされて小さな金細工の花が揺れている。

 クルガン領での戦闘で傷を負った隊商夫たちを、桐花はつきっきりで世話をした。このダイヤモンド薄膜で被覆された薄い金の花は、その献身的な看護に対して稲城たち負傷者が贈った記念の頸飾りである。裏に〈回廊語〉で『われらの天使に』と小さく刻まれている。

 桐花にとっても、この看護の経験は大きな転機になったようだ。人の役に立っている、隊商に受け容れられた、という実感が自信となったのだろう。おどおどした態度が消え、表情が明るくなった――だけではない。これまで細長い体を恥じるように背をかがめていたのが、堂々と胸を張るようになり、木の枝のような体の線も見違えるように丸みをおびてきた。

「ま、そこに坐って」

 祐介は、大人の社員に対するように声をかけ、椅子をすすめた。

「詳しく話してくれないか」


 ほとんどの北出身社員と同様、桐花も天山山脈の南に来たのは初めてだった。山と森を見慣れた眼には、どちらを向いても地平線という広さには畏怖すら覚えた。

 どこまでも平坦な草原、岩ばかりの荒野、川に沿って帯のようにつづく果樹園、細い給水管を網のようにめぐらせた広大な節水農地、そして島のように点在する城壁都市。そこには北回廊の古い町並みのような重厚さはないが、湿った上着を脱いだような軽さと明るさがある。

 どの街の市場にも季節の野菜や見たこともない果物が山積みにされていて、北では庶民が口にすることのできない高級果実さえ、ごくふつうに売られている。桐花も瓜や干葡萄を口にして、その甘さに驚いた。昼夜の大きな気温差が果実の糖度を高めるのだという。

 だが農産物以外の工業製品となると種類も少なく、仕上がりも粗くて、見た目にも品質が悪そうだ。それに北とちがって買物をするたびに釣りの小銭に不自由する。貨幣の流通量が少ないのは経済規模が小さいからだ、と芹沢部長が教えてくれた。やはり歴史の厚みの差なのだろうか。

 それだけに南には、手つかずの世界が待っているような、そんな可能性のようなものを感じる。天山山脈の壁さえなければ、きっと爆発するように発展するだろうと桐花にも想像がつく。

 隊商が地平の彼方にハンメルダール侯国の西の玄関口であるセウダの城壁を望んだとき、季節は初夏を迎えていた。白く輝く空に万年雪をいただく天山(テングリオーラ)の山肌は青く染まり、草原は小さなユリ科の花で一面に白くおおわれている。大気までが香っている。トゥムル部長の話では、この草は馬の大好物だが、放っておくと食べすぎて動けなくなるので、草から離しておくのに苦労するのだという。

 入社したての頃は、トゥムルを怖い人だと思っていた。本物のガルダン族を見るのは初めてだが、お(はなし)に登場する遊牧民の悪役ぶりは胸にしっかりと刻まれている。言葉が通じないのも、何を考えているかわからず不気味だ。

 ただトゥムルが社長の親友というのが、お噺とそぐわない。理性に欠けた野蛮人に、社長があれほどの信頼を寄せるだろうか。

 やがてトゥムルの〈回廊語〉が上達し、少しずつ話ができるようになると、思っていたのとはまるで違う奥の深い人だとわかってきた。刃物のような厳しさと、包むような大らかさを()わせもつ人。そうよ、社長の親友が腕っぷしだけの男のわけないじゃないの。

 それに南では遊牧民がさほど珍しくないようだ。草原地帯も東になるほど〈高原語〉の地名が多いそうだし、こちらで採用した社員のなかには〈高原語〉を話す人までいる。

 遊牧民が北で大虐殺をしたという〝歴史〟も、なんだか怪しくなった。新しく加わったガルダン族たちは〝殺戮者〟という評判をむしろ喜んでいるようなのだ。トゥムル部長にたずねると、遊牧民にとって狩猟と戦闘は同じで、昔は獲物の数を自慢するように殺した敵の数を誇ったのだという。虐殺の噂も、その出所(でどころ)はあるいは部長の先祖たちの法螺話かもしれない。

 セウダは厚い岩の内城に囲まれた旧市街を中心に、煉瓦の外城に守られた新市街が二重に取りかこんでいる。城外には畑や果樹園が広がり、小さな村も点在している。北の都市も城を中心にしてはいるが、このように街全体を幾重にも囲む城壁は見たことがない。社長の説明では、こうした城壁の最大の目的は騎兵の突進を防ぐことにあり、北の城壁ほど高く築く必要はないのだという。北では梯子の届かない高さが必要だ。

 博識な芹沢部長、体験に裏打ちされたトゥムル部長、洞察力に富んだ社長。誰の話も面白いし、とても勉強になる。三人ともきっといい先生になれるわ。

 イワマ交易は新市街の交易地区に宿をとった。このあたりは隊商宿がならび、隣接した市場には補給物資を扱う店や倉庫も多い。

 翌日の昼すぎ、桐花は仕事を終えた佐々木やその部下たちと連れだって旧市街を見物にでかけた。もっと南の草原地帯では、日中の暑さと強風を避けて夜間に移動するのがふつうだそうだが、朝夕をのぞいて風の穏やかな回廊地帯では、通過する町や村の生活に合わせて夜は休止する隊商が多い。イワマ交易もそうだ。

 アルブダール伯との戦争をあてこんで各地から人や物資が流れこみ、通りは祭日のような賑わいだ。立派な身なりの男女が金の匂いをふりまきながら高級乗用筏(リムジン)に乗りこむ横で、傭兵の口を求めてやって来たとおぼしい浪人が、ほころびた肩布(ケープ)でつぎだらけの服をおおい、飢えた眼を光らせている。

「すごい人の数ね。眼がまわりそう。まごまごしていたら、はぐれちゃいそうだわ」

「お手々をつないであげようか」と佐々木の部下がいった。

「てめえが桐花の手をとったら、人さらいと間違われるぞ」

 佐々木が笑った。二メートル近い巨体と凶悪な面構えに似ず、真面目で親切な男だ。〈草原語〉が話せるので、一同の案内役をしている。桐花も秋から勉強をはじめ、今では簡単な買物くらいはひとりでできる。

 こんな街を社長とふたりで歩けたら楽しいだろうな。桐花は思った。でも無理ね。社長は今朝、陽の出る前からトゥムル部長たちと馬の訓練にでかけ、帰って朝食をとると、今度は芹沢部長と出ていってしまった。昨夜もみんなより早く帰ってきて部屋で何か調べていたようだ。いったいいつ眠るのかしら。

 社長はあたしのことをどう思っているのだろう。胸の中には、まだ蜂屋さんのいっていた昔の恋人がすんでいるのかしら。どんな女の人だろう。きっときれいなひとなんだろうな。

 桐花は胸元の金の花に触れた。以前なら、

 ――こんなのっぽで可愛くない()、社長が相手にしてくれっこない。

 と考えたところだ。でもこの頃は背の高いことにも引け目を感じることがなくなった。あたしはあたしだと、居直ったみたいだ。今はまだ自信がないけれど、もうすこし大人になったら、きっと社長に思いの(たけ)を伝える勇気だって持てる。

 官庁や事務所の多い表通りを裏に入ると、華やかな飾り窓の並ぶ商店街にでた。通りを行く人々の服装もくだけて明るい。さすが織物業が盛んな土地だけはある。さらに裏通りに入ると、商店も若者向きで庶民的になった。桐花にはこちらのほうが楽しい。

 交易従業者組合の口座には、給料の貯えのほかに去年の交易の賞与が入っている。たいした額ではないが、こうした繁華街を歩く服の一着くらいなら買える。桐花は窓に飾られた服に目移りしたまま時のたつのを忘れた。

 気がついたら、佐々木たちとはぐれていた。

 あまり心配はしなかった。まだ明るいし、なんといってもこの人通りだ。もうしばらく店をひやかしていこう。

 歩くうちに飲食店が目につくようになった。夕食の支度にかかる時刻になったのに気づき、帰ろうとしたが、通りを間違えたらしく、歓楽街――それも家族向けでない――に踏みこんでしまった。あわてて元の通りに戻ろうと人の波をかきわけていくうちに、道に迷ってしまった。

「おっと、誰かをさがしているなら、おれが手伝ってやるぜ」

 派手な肩布(ケープ)をわざとだらしなくまとった若い男が前をふさいだ。今セウダには傭兵や徴募兵志願のあぶれ者がかなり入りこんでいる。こいつもその一人だろうか。

 無視して横をすり抜けようとしたが、そちらにも三人の仲間が手をひろげている。いずれもどこかくずれた感じで、下卑た笑みをうかべている。

 去年加賀の部下たちに襲われた恐怖がよみがえった。あれ以来、隙をみせぬよう気をつけてきたのに、わざわざ自分から危険な場所に飛びこんでしまった。

「どいてください」思わず鋭い声になった。

 男は血相を変えた。「なんだと。ひとがせっかく親切にいってやっているのに」

 いきなり桐花の腕をとった。

「ちょっとこっちへこい。目上の者にたいする礼儀を教えてやる」

 窓がやたら小さくて看板もない建物に引っ張っていく。いつの間にか周囲には通行人がいなくなっている。

「やめて! はなしてっ」

 桐花は作業服を着てこなかったのを後悔した。たとえ洗いざらしだろうと、社名の入った戸外用の作業服を着ていれば、一目で交易会社の社員だとわかる。いかに女に飢えたケダモノでも、野盗との実戦経験を積んだ隊商夫たちを敵にまわすほど向こう見ずではないはずだ。

「みっともない真似はおよし!」

 鞭を打つような女の声が響いた。



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