06-04 ボルド
よくもこんな険しい土地に住む気になったものだ。祐介は手袋の指で防風眼鏡をぬぐいながら思った。崖、谷、岩、それしかない。風に吹き払われた雪の間から黒ずんだ地面がわずかにのぞいていて、全体に薄墨で描いた絵をおもわせる。かつて故郷を逃れて来たホージョ氏族たちは、人を拒むようなこの風景をどんな思いで見たのだろう。
ごつごつした環状山の麓をまわると、南向きの草地に幕舎がみえる。やっとさがしあてた。
ジムサル氏族の幕舎でホージョという名を聞いたとき、トゥムルが珍しく顔色をかえた。
「なにやら、わけありみたいだな」祐介は幕舎を離れてからたずねた。
「まあな」とトゥムルは渋い顔をした。「昔、ホージョはかなりの勢力を持つ大氏族だったんだ。それが四十年前、チャハルとの抗争に敗れて解体され、残党が東の山岳地帯に逃げこんだ。今でも連中はチャハルの悪口を子守歌がわりに育つそうだ」
「すごいな」祐介は感心した。「そういうことなら、ホージョの領域にはおれひとりで行こう」
「すまない。おれが顔をだすと、まとまる話もこわれてしまう」
「わかっているさ。おまえがいてくれなかったら、とてもここまで捜せなかった」
ホージョ氏族の領域の外で、祐介はトゥムルと別れた。
「ユースケ、無理はするなよ。おれはこの西の野営地で待っているからな」
「ああ、なるべくはやく戻ってくる」
祐介は馬首を東に向けた。これ以上話していては湿っぽくなる。
それからボルドの居所をつかむまで、六日もうろつきまわってしまった。
ゆっくりと幕舎に近づくと、大きな黒犬が激しく吠え立てた。遊牧民はみんな家畜を守るための犬を飼っている。こいつはトゥムルの両親が飼っている連中よりも獰猛そうだ。
幕舎から三十歳ほどの男がでてきて頭を叩くと、犬はようやく吠えるのをやめた。だが口の端からはまだ牙がのぞいている。
馬をおりた祐介は、防風眼鏡をはずして、じっと男を見た。男も無言でこちらを見ている。しばらく互いに値踏みをするように見つめ合ってから、祐介は〈高原語〉で声をかけた。
「おれはアキツという交易商です。あんたがボルドさんですか」
「そうだ。なにか用か」
「ジムサルの友人から聞いたんですが、いい馬を持っているそうですね。譲ってもらえませんか」
さりげなくジムサル氏族とのつながりを口にした。護符の代りくらいにはなるだろう。
ボルドはちょっと思案して、
「この山の中に放しているんだ。見るか」
「ええ、案内してください」
「支度するから待っていてくれ」
その時、幕舎の中から四、五歳くらいの男の子が出てきて、ボルドの足に抱きついた。
祐介はかがみこんで、男の子の肩に手をかけた。たとえ幼児でもガルダン族の頭に手を触れるのは大変な非礼となる。
「あんたの子ですか」
「そうだ。坊主、中に入っていろ」
「いいじゃないですか。あんたの用意ができるまでおれが相手をしています」
ボルドはためらったが、幕舎に入り、すぐに支度して出てきた。
「よし、行こう」
ふたりは同時に馬に乗った。
環状山の内側は平坦な盆地だった。三十頭ほどの馬が雪をかき分けて枯草を食んでいる。
「なるほど、いい馬がいますね」
「代金の話だが……」
「そうでした」
祐介は財布を取り出した。
「おっと」
財布を落とした。硬貨が雪にもぐる。
祐介は馬からおり、貨幣を拾い集めた。と、眼の隅にボルドの影が動く。瞬間、腰をひねって騎兵刀を抜きあげた。
「わっ」
右膝下を深く割られたボルドが、驚いた馬の上で、小銃を片手にしたまま体勢を直そうともがく。さすがに落馬はしない。
祐介は跳躍し、刀を振りおろした。銃口を向けようとしたボルドの右腕が飛び、こらえきれずに馬から落ちる。雪の上に鮮血が撒き散らされた。
祐介は抜き身を手に近づき、小銃をボルドの手の届かぬところまで蹴りとばした。
「息子を人質にしやがって」ボルドがうめいた。
「子供がそばにいなければ、あの場でおれを殺すつもりだっただろう。なぜだ」
ボルドは左手で右肩の下の斬り口を押さえた。雪がみるみる血で染まっていく。
「はやく答えろ。そのままだと長くはもたないぞ」
「どうせ殺す気だろ」
「正直に答えれば命はとらない」
脚と腕から流れる血はとまらない。ボルドはついに答えた。
「おれをさがしているやつがいると聞いてたからだ。おまえはキハラの刺客だろ」
キハラ――木原か。あの日、母さんが父さんに言った名だ。たしか追放された村の住人だ。祐介が二、三歳頃のことで、もちろん顔も憶えていない。大人たちの話題にのぼることもほとんどなく、どんな男なのかも分からない。今考えれば、大人たちはその名を口にするのを避けていたようでもある。
祐介はボルドの外套の飾り紐を抜きとり、出血の多い右の上腕を縛った。
「人違いだ。おれはキハラなど知らない」
「くそっ、なんてこった。頼む、脚の血も止めてくれ。それから女房を呼んできてくれ。早く!」
「事情を話してもらおうか」
「いったろ、人違いだったんだ。そのことは謝る。だから――」
祐介は冷ややかな眼で首をふった。
「おれはおまえの顔をしっかりとおぼえている。おまえは七年前、おれの村、おれの家を襲った連中の一人だ」
ボルドの顔が恐怖にゆがんだ。
「――生き残りがいたのか」
遊牧民は千頭の群れの中からでも自分の馬を見分けられる。ましてや人の顔なら一度会ったら忘れない。だがさすがに一目見ただけの十歳の子供と今の祐介を結びつけることはできなかったようだ。
「村の娘たちをどうした」
「知らない」
「とぼけているとすぐに血がなくなるぞ」
「本当だ。おれたちも襲われたんだ。女どころじゃなかった。信じてくれ」
嘘をついているような口調ではない。だが必死で芝居をしているのかもしれない。祐介は表情を変えず、
「ならば正直に話せ。なぜ村を襲ったのか、なぜキハラの刺客を警戒しなくてはならないのか」
ボルドはあきらめたように語りはじめた。
当時ボルドは傭兵の仕事にあぶれ、馬さえ売ってしまい、その日の飯代にも困っていた。名の通った傭兵団をのぞけば、たいていの傭兵は戦いが終わると似たようなものだ。
だから傭兵仲間から村を襲撃する話があったときも、飛びつくように乗った。雇い主の名前は秘密ということだったが、それがふつうなので、とくに気にならなかった。きちんと金さえ払ってくれればそれでいい。
ボルドたち四十人は、天山の南麓から窓のない筏に乗せられ、おろされたのは山中の巨大な岩壁にできた亀裂の前だった。四十頭の馬はすでに運ばれていた。彼らは馬に乗って亀裂に入り、長く狭い切通しを抜けて村を襲った。
新しい開拓村らしく、村人はおおむね若かった。おまけに豊かだった。高く売れる〈旧世界〉や天山連邦の製品、遊牧民なら見のがせぬ良馬がどの家にもある。村人は皆殺しにしろという命令だったが、娘たちをすぐに殺すのはもったいない。
存分に掠奪したボルドらは、谷の出口で雇い主とその部下の待伏せを受けた。彼らはボルドたちのような寄せ集めではなく、少数だが統制がとれていた。大半はその場で殺されたが、ボルドら数人だけはなんとか脱出した。しかし敵の追跡は執拗で、仲間はつぎつぎと殺され、ボルドはようやく故郷であるこのホージョの山地にたどりつき、以来ここに隠れているのだという。
「で、キハラという名はどこから出てきたんだ」
「一緒に雇われた仲間からだ」
「雇い主の名前は秘密じゃなかったのか」
ボルドは力なくせせら笑った。「傭兵の世界でそんな秘密が通るものか」
「娘たちはどうした」
「邪魔なんで村においてきた。殺しちゃいない。ほんとだ、信じてくれ」
信じたい。だがボルドらが殺さなかったとしても……。
木原が村人の皆殺しを命じたのも、傭兵たちを殺したのも、おそらく口封じのためだ。だったら、村に残された娘たちも生かしてはおかないだろう。ボルドのように逃げていれば別だが。
「もう、いいだろう……すっかり、話したぜ」
ボルドが息をきらしながらいった。かなり血が失われているようだ。
ためらっていた祐介は心を決めた。今訊かなければ、一生この疑問に取り憑かれるだろう。
「おまえら、娘を犯したんだな」
「あ、ああ……どうせ、殺すんなら……その前にと、おもって」
「そのなかに、おまえが襲った家の娘はいたか」
「……誰だって?」
もう意識が薄れかかっているようだ。
「気絶した娘を抱きあげようとした仲間が、男の子に腕を斬られたのをおぼえているか」
返事がない。祐介は脚の斬り口を踏みつけた。ボルドが弱々しい悲鳴をあげた。祐介は力をゆるめなかった。こいつらは父さんと母さんを殺し、姉さんを陵辱したのだ。
「……おぼえている」
もう一度訊かれて、ボルドは答えた。
「その気絶した娘だ。おまえはその娘を犯したのか」
「ああ」ボルドは何を思い出したのか、ぼんやりした顔にかすかな笑みをうかべた。「……きれいな……娘だった……からだも……」
「黙れ!」
祐介は刀を一閃させた。上腕を止血していた紐が切れ、また血が流れだした。だが先ほどの噴き出すような勢いはすでにない。
「約束だ、止めは刺さない。たすかるかどうかはおまえの体力と運しだいだ」
祐介はボルドの服で刃をぬぐって鞘に納め、貨幣を拾って財布にもどした。
馬に乗ろうとして、草地にいる種馬がさっきからじっとこちらを見ているのに気づいた。
はっとした。急いで近寄ると、種馬も寄ってくる。全身が黒い青毛で、額に白い線がある。この特徴は、もしかして――。
「カイザンか」
種馬は、そうだというように長い顔をこすりつける。祐介は太い頸をしっかりと抱いた。力強い心臓の鼓動が伝わってくる。七年前の岩間村がよみがえった。父さんや母さん、姉さんがいて、勉強の後は仲間たちと走りまわり、山に登り、水遊びをして、そんな平凡な幸せがいつまでもつづくと疑わなかったあの日々が。
滲んだ涙を寒風が刺し、つかのまの夢は消えた。祐介は惜しみながらカイザンの頸から手をはなした。考えてみれば、ボルドはおれの家を襲い、タケロウやカイザンを奪ったのだ。タケロウを手掛りに追っていけば、やがてカイザンに出会うのは充分に予想できたはずだ。
「行こう。これからはずっと一緒だ」
替馬の馬具を解いてカイザンにつけた。去勢された替馬は、本能で未去勢馬のカイザンについてくる。
ふと思い出して財布から最後の天山連邦発行の交易銀貨を取り出し、ボルドの腹の上に投げた。
「カイザンの飼料代だ。釣りはくれてやる」
幕舎を通る道を避けたのに、岡をくだる途中でむっつりした顔の女と、さっきの男の子に出くわした。父親が売ったと思ったのか、祐介がカイザンを引いているのを見ても何もいわない。
「とうちゃんは?」と男の子がたずねた。
「あっちにいるよ。かあちゃんと迎えにいってやりな」
男の子は、うん、とうなずき、
「さようなら」と小さな手をふった。
祐介は答えなかった。カイザンの手綱を引き、逃げるように馬を急がせた。




