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天馬ゆくところ  作者: 天ノ川清
第六章 ガルダン高原騎行
22/55

06-02 ブルゲド・ハーン


「帰ってきたぞ! チャハルの世界だ」トゥムルが天に叫んだ。

「どうした、いきなり」

「今おれたちは、チャハル部の遊牧領域に入ったんだ」

「へえ」

 祐介はまわりの平原を見まわした。細長い草が冷たい風に立ち枯れて、どこまでも薄茶色の布を敷いたようにみえる。水分をたっぷり含んだ夏草よりも、こうなってからのほうが牧草としては向いている。

「どこが境界だ。目印なんて何もないぞ」

「あの天頂山(ボグドオーラ)の頂と、南西の地平にみえる二重隕石孔の中心を結んだ線だ」と指でさし示した。「この線の西、今まで旅してきたのはハミナ部の勢力圏だ」

「よくおれたちを通してくれたな。チャハル部とは仲がよくないんだろう」

 ハミナ部も四大部族の一つで、境界を接するチャハル部とはしばしば紛争をおこしている。だが祐介たちが途中で出会った小氏族の家族たちはいずれも親切にもてなしてくれ、敵意などはまるで感じられなかった。

「旅人はいいんだ。軍隊や家畜を無断で入れると戦いになるかもしれないが」

 そういってトゥムルは、風にふくまれるかすかな草の香りに酔ったような眼をした。

 祐介は羨望をおぼえた。

「故郷ってのはいいもんだよな。おれはもう七年も帰っていない」

 そうだ七年だ。葉月姉さんはもう二十二、長すぎる。おれだってこんなに変わってしまった。姉さんもきっと……。

 祐介は首をふった。考えたってしかたない。まずは姉さんをみつけることだ。


 四日後、トゥムルが馬をとめていった。

「ここがおれの一家の放牧地だ」

「へえ」

 祐介はあたりを見まわした。草が短く噛み切られ、あちこちに家畜の糞がころがっている。だが地平の果てまで幕舎(ゲル)はおろか、人馬の影すらない。

 トゥムルは馬からおり、爪先で牛の(バース)をつついた。

「五日前か。明日には追いつけるな」

 季節を追いながら家畜の群れと共に野営地を移動するガルダン族だが、家族ごとにその道筋は決まっており、たがいに割り込むことはない。来年またここへ放牧にくる頃には、この牛糞は乾燥して熱量の高い燃料となっている筈だ。

「つぎの野営地はこの南だ。明日の陽があるうちにユースケを家族に紹介できそうだ」

 トゥムルの言葉通り、翌日の夕方、祐介は低い岡の麓に遊牧民独特の円形の幕舎(ゲル)が六張り、陣を組んでいるのを見た。すべて毛氈(フェルト)張りで、ひときわ大きな幕舎を中心に、東西に二張りずつ、南に一張りだ。周囲には馬と牛と絨氈のような羊の群れが草を()んでいる。

 数頭の黒犬が吠えながら駆け寄ってきた。トゥムルが馬からおりて声をかけると、とたんに尻尾を激しく振って争うように脚にまつわりついた。

 幕舎群にはトゥムルの両親、次兄一家、そして下働きの男女たちがいた。祐介とともに帰ることは出発前に知らせておいたので、今日か明日かと待ちかねていたらしい。とくに両親の喜びは大きかった。

「ほかの家族の人たちは一緒じゃないのか」

 ひとしきり再会と歓迎の挨拶がすんだところで祐介はたずねた。四大部族のハーンにつながる家族の野営地にしては思ったより小さい。幕舎の五十も並ぶ堂々たる野営陣を想像していたのだ。

「上の兄貴や郎党たちは独立しているんだ」

 遊牧に最適な家畜の数があるので、人数もそれに応じて決まるのだという。

 これまで出会ったガルダン族と同様、彼らも男女を問わず貴金属の装飾品を身につけている。これについて祐介は、財産を運びやすい形にかえているのだろうと考え、トゥムルに(ただ)したことがある。彼は首をちょっとかしげ、

「それもあるが、やはり身を飾るためだな。おれたちの本当の財産は人だ。どれだけ多くの人が自分のために闘ってくれるか。はっきり権力といってもいい」

「なるほど」

 トゥムルがその齢で抜群の統率力をもっている理由がうなずける。

「ついでにいえば、一年中移動しているおれたち遊牧民と定住民とでは、財産に対する考えもちがう。おれたちにとって大きな家具や着きれないほどの服は邪魔物でしかない」

 それも理にかなっている。隊商だって商品以外の荷物は極力少なくしようと工夫している。


 夜になると、トゥムルの冒険譚を聴こうと、両親の幕舎(ゲル)には大人と子供たちが身動きできぬまでに押しかけてきた。キタン沙漠の遺跡で起きた叛乱事件については彼らも噂で知っていただけに、その当事者の話となれば、これは一言もききのがせない。

 期待は裏切られなかった。一同は眼と口を開けたまま息さえ忘れて、トゥムルの語る物語に聴き入った。おまけにトゥムルがまたこうした物語をききながら育っただけに、聴き手をとらえてはなさぬつぼを心得ている。

 地下遺跡での劣悪な環境と苛酷な労働についてのくだりでは、一同がそろって憤りの唸り声をあげた。祐介が自分の食糧が稼げぬのを承知でトゥムルたちの配電盤を修理した一件に話が及ぶと、一瞬座が静まりかえって、全員が祐介を注視した。とくにトゥムルの父親の眼が光った。さらに崩落事故での祐介の沈着さや叛乱の指揮ぶりをトゥムルが語ると、賛嘆の眼は尊敬のそれに変わった。これには祐介もさすがに照れた。

「その遺跡は、今どうなっている」と父親が訊いた。

「周辺の領主が軍をだし、コライ共和国と睨み合いになってますよ」とトゥムルは杯を干しながら答えた。

 みんなが呑んでいるのは高価な蒸留酒(シミンアルヒ)だ。物質的なものが財産でないとはいいながら、やはり有力氏族だけはある。旅の途中では、酸味がかった馬乳酒(アイラグ)にしかお目にかかれなかった。慣れぬ者が呑むと酔う前に腹をこわすという代物だ。牛乳からつくった酒はもっとひどく、もっぱら蒸留酒の原料に使われる。


 頃合いをみはからって、トゥムルが切り出した。

「父上、お願いがあります。ユースケのために力を貸してください」

 トゥムルにうながされて祐介は、これまでの経緯(いきさつ)を説明した。

「おれはブハラの博労に馬を売った人に会って、その馬をどこの誰から手に入れたかをたしかめたいのです」

 ガルダン族が犯人だと疑っているのではないことをはっきりさせるため、言葉に気をつかった。それでも話し終わると座は静まり返った。身に覚えがないわけではないのだ。

 実のところ、これまで小氏族の歓待を受けながらガルダン高原を旅してこられたのは、トゥムルが一緒だったからだ。祐介一人だったらたちまち馬と荷を奪われ、運が悪ければ殺されていたかもしれない。遊牧民にとっては掠奪も狩猟の一種にすぎない。

 だがガルダン族の旅人を襲えば、その氏族からの仕返しを覚悟しなくてはならない。彼らが敵対する氏族をも精一杯もてなす慣習は、果てしない復讐の連鎖を避ける知恵でもあるのだ。高原を旅する隊商が必ずガルダン族を道案内兼護衛に雇うのはそのためだ。

 ややあって父親がいった。

「さっそくチャハルから全ての氏族に問合せをだそう。手掛りがつかめるまでここにいるがいい」

 祐介はほっとした。

「よろしくお願いします」

「礼にはおよばん。トゥムルの恩人ならわしの倅も同じだ」


 チャハルとは氏族名であると同時に、ハウキ(ムレン)のほとりにある氏族発祥の地の名でもある。広く浅い河の上流には鳥や獣の豊富な森がどこまでも広がり、住民の重要な食料庫となっている。現在も氏族の本拠はここにおかれていて、通信施設もここにある。

 交易の拠点だというから、祐介は木造や石造りの市街を想像していたが、まるで違った。なだらかな起伏をもつ広大な草原に大小の幕舎(ゲル)がいくつも方陣を組んでおり、その中心にひときわ巨大な幕舎が張られている。たしかに石造りの建物はある。倉庫や発電施設などだ。が、それ以外は隊商の宿舎や市場まで、すべて毛氈(フェルト)の幕舎である。要するに野営地をずっと大規模にしたものといっていい。

「これが何十日かごとに、そっくり移動するのか」祐介は感心した。

「そうだ。手間はかかるが、街で暮らすより快適だぞ。それに清潔だし」とトゥムル。

「たしかにそうだな」

 陽当りと風通しのよい草原には、城壁に囲まれた都市のごみごみとした裏通りの不潔さはない。一見してガルダン族ではないとわかる服装の隊商をふくめ、かなりの人の姿が見えるのに、無窮の天と地の間にあっては、むしろ閑散としているようにさえ感じられる。

 寒風にもかかわらず、大柄な老人が数十人を従えて一行を出迎えた。その威厳と周囲の者の態度から、この老人がブルゲド・ハーンだとわかる。むろん祐介ではなく、弟――トゥムルの父親を迎えに出てきたのだ。

 ハーンはしばらく弟と笑顔で言葉をかわしてから祐介に顔を向けた。

「姉を捜しているそうだな」

「はい」

「ウルズイ」ハーンはふりかえって呼んだ。

「ここに」

 三十前後の男がすすみでた。

「情報担当の責任者だ。詳しい事はこのウルズイと相談するがよい」

 そう言ってハーンは弟と一緒に巨大幕舎に向かった。他の者もその後につづき、あとには祐介、トゥムル、ウルズイだけが残された。

「一緒に事務所まで来てくれ」とウルズイは祐介にいった。

 事務所となっている幕舎で、祐介は問い合せてもらいたいことを説明した。

「姉さんはあんたに似ているのかね」

 祐介は考えた。どちらかといえば葉月は母親似で、祐介は父親似なのだ。

「髪や眼の色はおれと同じですが、細かい点は……なにしろ七年も前のことなので。姉もまだ十五でした」

 ウルズイは思案して、

「襲撃したやつらを警戒させてはまずい。質問は馬にしぼったほうがいいだろう。電波の状態がよくなりしだい送信するが、通信機を持っていない小氏族にまで情報が届くには時間がかかる。それは理解してくれ」

「待ちますよ」

 祐介はいった。七年も待ったのだ。もうひと月やふた月、待てないことはない。




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