魔王というイキモノ2
もひもひと上唇を器用に動かしながら巨大羊こと魔王はどんどんと灰色のモヤモヤを飲み込んでいく。
その背中で私とフィカルは座ってそれを見ていた。毛足の長い絨毯のような魔王の背中はじっと座っているとほのかに温かいので、巨大な丘のように見えるそれが生きているのだと実感した。
魔王がもひもひ食べる度に顔を上下させているけれど、ちょっとした一戸建てくらいの大きさの顔が動いているので迫力がある。顔だけでアズマオオリュウくらいのサイズがあるのだ。近いと大きすぎてどんな生き物なのかわかりにくいけれど、頭や背中を覆う紫色の細い毛がくるくると巻いているので羊で良いようだ。
グガァークピーと高鼾をかいているのはスーだった。飛んでは休んでを間断なく何日も続けたので流石に疲れていたのだろう。鞍を外してもらったスーは野生を忘れてデロンと横たわり眠っている。時々足や尻尾がピクピク動いているので夢を見ているようだった。
子ヤギは跳ねながら近寄ってきて私に頭をぐりぐりと押し付けては周囲を跳ね回っている。非常に元気だった。
「私てっきり魔王ってヒトっぽい形をしてると思い込んでたよ……」
まさかトラキアス山の頂上にあるカルデラにすっぽり入るサイズの羊だとは。しかも喋る羊である。メェメェ鳴かれるだけよりコミュニケーションが出来るのは助かるけれど、色々と理解が追いついていなかった。
フィカルは山中で拾った果物を割って半分を私に食べさせようとしている。グレープフルーツくらいのサイズの瓜っぽいそれは表面が固いけれど中の果肉は水分が多い。ナイフで果肉を細かく切るとフルーツジュースのようになって美味しいのだ。爽やかな甘味で喉を潤すと、フィカルは携帯用の鍋にスパイスに漬け込んだ肉や乾燥させた植物を入れて炭を取り出している。私は慌てて果肉を飲み込んだ。
「待ってフィカル。流石に魔王の背中では火を使ったらやばいでしょ」
朝食のスープを作ろうとしていたフィカルは「そう?」と言うように首を傾げる。首元から尻尾まで私が走ったら確実に脇腹が痛くなるだろうほどの大きさがあるとはいえ、背中で火を付けられたら熱いと思う。ツボの上であればお灸のように感じるだろうか。
キルリスさんから差し入れしてもらった荷物をガサガサとあさって、私は折りたたまれた紙を取り出した。
「これの! 出番が! 今……!」
ばばーんと掲げてみせた誰でも使える紙製の簡易コンロは、キルリスさんの部下であるナキナさんが差し入れの中に加えてくれたらしい。スーが簡単に炎を出してくれるので今までは使う機会がなかったけれど、今こそ真価を発揮するのではないだろうか。
若干ふかふかする魔王の毛の上でまず厚めの革袋を敷いて、その上に魔術陣が描かれている紙を敷く。それから材料を入れた鍋をそっと置くと、時間を置かずに鍋はくつくつと音を立て始めた。おおぉ、と思わず声を出す。自分が魔法使いになったようでちょっとテンションが上がる道具である。
今朝はこの山頂を目指してすぐに出発したのでドライフルーツくらいしか口にしていなかった。物足りなさを訴えていた胃に温かいスープが滲みる。途中で起き上がったスーは自分の餌を狩りに一度飛び立ち、小さな獲物を食べたのかすぐに戻ってきて再び丸くなった。ベエベエとねだってきた子ヤギは分けたお肉を食べてまた遊びに行ってしまう。
日も高く上って皆が満足した頃には、魔王も黒い魔力をすっかり食べ終わっていた。
「変わったもんだったなぁ。相変わらず人間は色々なことをしてるようだなぁ」
「あの、アレ、食べちゃって大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫。僕はこういう時のためにいるようなもんだからなぁ」
魔王とはこの世界で異質とされるようなものや、過剰になってしまった魔力などを食べることによって一種の中和のようなことを出来る存在だと教えてくれた。この世界にあふれる魔力というのは質量保存の法則が働いていないらしく、何かの折に多くの魔力が噴き出すことがある。それが世界に影響を与える前に取り込むのが魔王だそうだ。
「知りませんでした。あの、でもこの前は、魔王が動き出して魔物が増えたって……」
「そうそう。流石に暑くてね〜ほら僕、羊だから」
「暑い……んですか?」
「そうそう。毛が伸びすぎると重いし邪魔だし暑いし痒くてねぇ、流石にイライラしちゃうんだよなぁ」
「えっ? 毛?」
この世界の余計に溢れる魔力や異物を食べて過ごしていると、少しずつ毛が伸びるらしい。自然に抜け替わることがないので、どんどん伸びる毛は魔王の機嫌を悪くし、不快さに身動ぎすると魔力を濃縮した毛が揺れる。その濃い魔力の揺らぎが魔獣や魔草に影響を与えてしまうのではないか、と魔王はのんきに教えてくれた。
「フィカルに刈って貰ってすごく楽になったから、50年振りくらいに安眠出来たんだよぉ」
「……魔王討伐って、毛刈りのことなの?」
フィカルはこっくりと頷いて私の中の何かをガラガラと壊した。この足元に生えているくるくるの毛が繊維状の魔石であり、魔王を大人しくすると手に入るものなのだ。もっこもこのお化けのようになっていた魔王をフィカルは数日かけて毛刈りしたらしい。丁寧に刈ってくれたのでとてもスッキリしたと魔王はとても満足そうだった。
「僕は寿命がないようなもんだからねぇ。生き物には殺せないだろうなぁ」
歴史上、何人もの勇者がここへと辿り着き、もはや広大と形容しても良い羊の毛を刈り平和を取り戻してきたのだという。
討伐じゃないじゃん、と心のなかでツッコんだものの、魔獣被害が増えて深刻な時に「毛刈り行く人〜?」と募集してもモチベーションがいまいち上がらなさそうだ。ここまでの道のりが厳しいことは確かなので、毛刈りだからと気軽な気持ちで大勢が挑戦しても怪我人が増えそうだし、「魔王毛刈り隊」より「魔王討伐隊」の方が勇者っぽい。そういう政治的判断から討伐と名乗っているのかもしれなかった。
それにしても、この実態をロランツさん達は知っているのだろうか。帰ったら話してこの微妙なガッカリ感を分かち合いたい。
「それにしても星石が壊れちゃうとはなぁ。人間の争いは本当に面白いなぁ」
「あ、その星石なんですけど、元に戻したりすることは出来ないんですか?」
「ん? 出来るよ?」
「お、教えてください!!」
またもや重要なことをあっさりと肯定してくれた魔王に意気込むと、大きな目を細めて魔王は鼻先を上げて少し迷うような声を出す。
「ん〜〜、僕は教えても良いんだけど、君達が後悔しそうだけどなぁ」




