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行き倒れも出来ないこんな異世界じゃ  作者: 夏野 夜子
魔王もしくは世界の危機編

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北西にそびえる山1

 魔獣が襲ってくるのが楽しみに思えてくるほど退屈な何日かを過ごすと、目の前の山がどんどんと大きくなっていった。富士山のようにバランスよく大地から独立しているトラキアス山は非常に巨大で、裾野がびっくりするほど広がっている。右側、つまり北の方の輪郭は上半分ほどを白く雪化粧をしていたけれど空気が乾いているせいかその範囲は狭く、あとは全体的にくすんだ色をしていた。この世界は植物がとてもカラフルだけれど、北西地方は環境のせいか全体的に彩度が低い。常に雲があって空気がくらいせいかもしれない。


「ベエェー」

「おはよう、子ヤギちゃん」


 じわじわと距離を縮めた子ヤギちゃんは、抱えるほどの大きさがあるジャマキノコを縦に裂いたものであれば端を持って直接食べさせられるくらいまで近寄ってくれるようになった。それでも野生のためか身動きすれば逃げてしまう子ヤギちゃんは、今は単独で付いてきている。


「親のところに帰った方がいいよ〜でも今更一人で帰すのも危ないよね……」


 羽が生えたヤギの群れがスーを追わなくなったのは、昨日のお昼くらいの出来事だった。私達がどこまでも北西に行ってしまうので、縄張りを離れすぎるのを恐れたのか、ついてくるのに飽きてしまったのか、私達が出発してもヤギ集団がついてくる気配がなかったのである。

 さよなら移動動物園……と心の中で別れを告げたものの、次の休憩中に聞き慣れたベエェーが追いかけてきたのだ。ぴょんぴょんと跳ねて付いてきたのは白い子ヤギが1匹だけ。出発する頃になっても他のヤギは姿を現すことがなかった。

 それ以降、ゆっくりした速度のスーに追いつけないながらも、子ヤギは必死に飛び跳ねて私達に付いてきているのだった。


「……まさかこの子ヤギが魔王だったりしないよね?」


 物語でよくあるではないか、途中で味方になった奴が実は……という展開が。ふと不安になって隣に立つフィカルを見上げる。無毒な魔草を絞って水分を出していたフィカルはふるふると首を振ったので安心した。最初は近寄ると神経質に睨んでいたスーも今ではちら見するだけになっているので、上唇を器用に動かしてジャマキノコを食んでいる子ヤギはどうやらあんまり危険な魔獣ではなさそうだった。


 これから魔王に会いに行くというのに子ヤギを連れて行っても良いのだろうかという心配をしつつも、スーはとうとうトラキアス山の麓にまで辿り着いた。

 ごろごろとした岩があったり、沼や森などがあちこちに点在する。地面が緩やかな斜面になっている以外には、これまでの風景とそう変化はないように感じた。しかし暫く飛んでいると、魔獣が襲い掛かってこなくなったことに気が付いたのだ。環境がそれほど住みにくくなったようには見られない、それどころか今まで見ていたよりも安全な動植物が多いように見える。私が知っているよりも少し変わった動物たちには、トルテアの森でも見られるような種類のものもいた。



「この水は飲める」

「え? そうなの?」


 来た道を振り返ると随分登ったと感じられるくらいに取った休憩では、フィカルが湧き水を指差してそう教えてくれた。前に来た時に飲んだといい、スーもガブガブと喉を潤している。水樽が空になってきていたので非常にありがたいことだったが、ここ数日は自然に見る液体といえば謎のボコボコした泡が浮いていたり蛍光色だったりしたので驚きだ。

 斜面に立って下を見下ろすと、風景がくすんだ色をしている。その中で灰色のモヤモヤが少しずつこちらへと近付いてきているのだ。反対に頂上の方を見ると、それよりも明らかに鮮やかだった。


「魔獣の王様の住んでる場所なのに、周りよりも安全なんだね……」


 清らかに流れている水は、どうして麓であんな色になるのだろう。

 驚きはしたものの、旅は楽になったので良かった。洗濯や体を拭うのに遠慮なく水を使えるし、モヤモヤが近付き過ぎないくらいの時間なら体を伸ばして眠ることも出来た。思いっきり頭を洗えるということがこれほど素晴らしいとは知らなかった。いや、知っていた。こんな不自由な気持ち、短期間で2度も味わうとは知らなかった。


 火を使ってとれたてのお肉で温かい料理を食べ、エコノミー症候群に怯えつつ座席で眠ることなく、清潔な衣服に着替えられる。それだけで随分と楽観的な気分になれたので、衣食住は大事なのだと実感した。

 今ならフィカルの抱き付き攻撃もスリスリもすんすんも大きな心で受け止められる。キスも、軽いものであれば全然オッケーだ。むしろどんと来いだ。こんな状況ではあるものの、フィカルと私はお互いを特別だと伝え合ったばかりなのである。うきうきするのも当然のことだろう。


 汚れや匂いを気にして微妙に拒み気味だった私が無抵抗になったので、フィカルも無表情ではあるものの機嫌が良さそうだった。スーも私とフィカルの機嫌を察知してますます楽しそうである。子ヤギもぴょんぴょんしている。

 都会に揉まれて塞ぎ込んだアルプスの少女が山に帰ってきたように晴れ晴れとした気持ちで、私はトラキアス山の頂上を目指すことが出来た。






ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/12/19)

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