授業
「はい。じゃあ、授業を始めていこうと思います。とは言え、君は今日が初めての授業だからね。一番君の為になる授業を今日はしようか」
「君はって……」
レイは思わず隣へ視線を向けた。
そこには、先ほどから一度も目を覚ますことなく眠り続けている少女がいる。机に突っ伏したまま、微動だにしない。
銀色の髪が机の上に広がり、その隙間から小さな角と白い耳が覗いている。先ほど教室に入ったときからずっとこの調子だ。
授業が始まると言われても起きない。先生が目の前にいても起きない。
そもそも、先生に起こす気があるようにも見えない。
この教室、大丈夫なのか。そんな疑問を込めてアイザックを見る。
レイの視線から何を言いたいのか察したらしい。
アイザックは気怠そうに頭を掻いた。
「あぁ……。この学校ではね、学年とかないんだよ」
「学年が、ない?」
「うん。同じランクの人間が同じ授業を受ける。だから、年齢もバラバラ。入学した時期もバラバラ。まあ、実力が同じくらいなら一緒に授業を受ける、って考えてくれればいい」
アイザックはそう言いながら、眠っている少女へ視線を向ける。
「その子、名前はルナ・ドラグニカ。二年前からずっとこの調子だよ」
「二年……?」
「二年」
レイは思わず少女を二度見した。
どうやら聞き間違いではないらしい。
二年間、この少女は、この姿勢で寝続けているということなのだろうか。
さすがにそんなわけはないだろう。食事くらいはするはずだ。
……………するよね?
「おかげで先生もその子専属みたいにされちゃってね。新しい生徒は久しぶりだよ」
「はぁ……」
レイは何とも言えない返事をする。
二年間も一人の生徒を担当していた教師と、二年間ほとんど授業を受けていないらしい生徒。
そして今日、新しく入ってきた自分。何だろう。
この学校、思っていた以上に色々とおかしい。そもそも、教室に生徒が二人しかいない時点で普通ではない。
本気で教室の移動を願いたくなってきた。
「まあ、今は気にしなくていいよ」
アイザックは欠伸を噛み殺しながら言った。
「さて、雑談もほどほどに、授業を始めようか」
そう言うと、アイザックは黒板へ向かい、チョークを手に取ると、何やら書き始めた。
カツ、カツ、と乾いた音が教室に響く。
レイは椅子に座ったまま、その様子を眺める。
授業と言われても、ついさっきまで自分が異世界にいることすら理解できていなかった。
魔法が存在して、スライムを召喚して、自分はFランク。
現実として受け入れるには、あまりにも情報が多すぎる。
だからこそ、今の自分には知識が必要だった。
この世界のこと。この学校のこと。そして、自分が召喚したスライムのこと。
しばらくして、アイザックが黒板から離れた。
そこには、一匹のスライムの絵が描かれていた。その横には、いくつかの言葉が並んでいる。
『伸びる』
『溶かす』
『蓄える』
「スライムができることは色々ある」
アイザックがチョークを指で回しながら説明を始める。
「主に、伸びる、溶かす、蓄える。この三つ。もちろん個体差はあるけど、基本的にはこの辺りがスライムの代表的な能力だね」
レイは黒板を見る。
伸びる。確かに、さっき自分の足にまとわりついてきたときも、ぐにゃりと身体を変形させていた。
溶かす。これも使い方次第では強そうだ。いや、確実に強い。溶かせば勝てる。
蓄える。意味はまだよく分からないが、何かを内部に保存できるということなのだろう。
改めて考えると、意外と便利そうに思える。
この異世界を生き延びる希望が見えてきた。
「それだけ聞けば便利なものだけど、動きが遅い。その上、知能が低いから基本的にはいちいち命令を下さなければならない」
アイザックはそこで一度言葉を切った。
「このデメリットが、あまりにも大きい」
淡々とした説明だった。
だが、レイにはその意味がよく分かった。敵が目の前にいるて、自分へ向かってくる。
自分は避けなければならないし、同時に、スライムへ指示を出さなければならない。
――右へ行け。
――敵の足を狙え。
――伸びろ。
そんな命令をしながら、自分自身も戦わなければならない。
しかも、スライムは命令を出さなければ勝手に高度な判断をしてくれるわけではない。
希望は、閉ざされてしまった。
「……結構、難しいな」
思わず口から漏れた。
「うん。難しいよ」
アイザックはあっさり肯定した。
「スライムそのものが弱いわけじゃない。ただ、使いこなすために必要な能力が多いんだ」
敵の動きを読んで、自分が動き、尚且つスライムの位置を把握して、命令を出す。
更には敵の攻撃を避けながら、次の命令を考える。
それを同時にやらなければならない。
レイは想像してみる。
……無理に決まってる。少なくとも、今の自分には。
そもそもレイ自身、戦闘経験なんてほとんどない。
剣も使えないし、魔法も使えない。唯一使えると思った召喚したのはスライムは雑魚そのもの。
改めて考えると、よくここまで見事に何もないものだ。神様がいるならどれだけ嫌われていたというのか。
自分でも少し感心する。
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」
「え?」
「魔法の才能が全くなくても、身体能力だけでSランクまで上がった生徒もいるからね」
「……身体能力だけ?」
レイの耳が、その言葉を拾った。
「そう。今の序列六位の子だよ」
Sランク。それだけでも十分すごい。その上で序列六位。
そんな人物が、魔法の才能を持っていない?
レイは少しだけ目を見開いた。
「どうやって……?」
「元々、筋力がある種族だし。才能もあったんだろうね」
「……」
あまりにも単純な答えだった。
結局は、才能か。持つ者の話じゃないか。
だが、今のレイには、それでもありがたかった。
魔法が使えない、スライムしか召喚できない。
だが、身体能力なら今からでもなんとでもなる。
それなら、自分にも可能性があるはずだ。
もちろん、簡単ではないだろう。この世界には、自分より遥かに強い人間が大勢いる。
Fランクの自分を馬鹿にする人間もいる。
そもそも、皆鍛えてるんだから、鍛錬してここから本当にランクを上げられるのかすら分からない。
それでも、だ。何もできないと決めつけるには、まだ早い。
「……身体能力」
レイは小さく呟いた。
鍛えるしかない。少なくとも、それしか思いつかない。
この世界で生きていくためにも。そして、ここから抜け出すためにも。
レイは顔を上げた。
「ランクを上げるには、どうすればいいんですか?」
先ほどまで気怠そうにしていたアイザックが、少しだけ目を丸くした。
「へぇ」
「何ですか」
「いや。やる気になったんだなって」
「……そりゃ、Fランクのままじゃ困りますから」
「まあ、それもそうか」
アイザックは苦笑すると、黒板へ向き直った。
「基本的には二つだね」
新しい文字を書き始める。
「一つは、最低でも週一回受けることを義務付けられている任務をこなして、功績を立てること」
「任務?」
「そう。魔物の討伐だったり、護衛だったり、採取だったり。内容は色々。任務をこなしていけば、実績として評価される。ただ、Fだとそんな危険な任務も渡されないから、上がるのはほとんど不可能」
なるほど。
ただ学校で授業を受けているだけでは駄目らしい。
実際に外へ出て、仕事をこなす。それが評価につながる。が、それでもほぼ不可能。
「………もう一つは?」
「決闘」
「決闘……」
「自分より上のランク、あるいは上位の相手に勝つ。そうすればランクや順位を上げることができる」
ずいぶんと分かりやすい制度だった。
強いやつが上へ行く。弱いやつは下へ落ちる。なるほど、確かに実力主義だ。
この世界に来た時くらから何度も聞かされてきた言葉。
「さっきも言ってましたけど、ランク以外に順位もあるんですね」
「うん。実力主義だからね。同じランクの中でも順位があるよ」
アイザックは黒板を消すと、次に大きな三角形を描いた。
その中に線を引き、七つに区切っていく。
「分けられているランクは七つ。Fランクから上がって、E、D、C、B、A、S」
アイザックが一つずつ指差していく。
「基本はこれ。ただ、Sランクで序列一位になると、更に上。Zランクになる」
レイは黙って黒板を見る。
F、E、D、C、B、A、S、Z。
………………何でやねん。
何故Aの次がSなんだ。
いや、まだいい。百歩譲ってSまではいい。これはゲームや漫画に毒されたレイの脳がちゃんと受け入れている。
問題はその次だ。
何故Zなんだ。アルファベット順で前がいいのか、後ろがいいのか、どっちなんだ。
そもそも、初めに考えた人は何を食べてこんなの考え付いたんだ。
大体最近のランク付けは訳がわからない。
SSとか、SSSとか。
何で増えんねん。刻むな。
その内Zも刻むのではなかろうか。最近のランクはインフレが激しい。
さて、レイのどうでもいい心の文句はさておき、今のレイがやるべきことは決まった。
まず身体を鍛える。そして任務を受ける。
経験を積んで、スライムの使い方も覚える。
その上で、いつか上位の相手と決闘する。簡単な道ではない。むしろ、かなり険しいだろう。
それでも、目標ができた。
Fランクから抜け出すために、強くなる。
まずは、それでいい。千里の道も一歩から、だ。
そう考えた瞬間だった。
キンコンカンコーン。
教室にチャイムの音が響いた。
「……」
レイは思わず天井を見る。
どの世界でも、チャイムの音は同じらしい。異世界なのだから、もう少しくらい違ってもよくないか?
そんなことを考えていると、アイザックがチョークを置いた。
「さて、今日の授業はこれまで」
そう言って、アイザックは大きく伸びをする。
「何をやるのも基本自由だけど、問題だけは起こさないでね」
「はい」
「先生、ボーナス減っちゃうから」
「……そこですか」
「そこだよ」
妙に真剣な顔だった。
レイは少しだけ呆れた。この先生、本当に大丈夫なのだろうか。
だが、そんなことを考えているうちに、アイザックは教室の扉へ向かって歩き出していた。
「じゃあ、また次の授業で」
それだけ言い残し、アイザックは教室を出ていく。
扉が閉まる。
静かになった教室り残されたのは、レイと――未だに眠り続けているルナだけだった。
「……」
レイは自分の手を見る。
この世界に来てから、まだ何も分からない。
自分が何故ここへ来たのか。ミナモ・レイとは何者なのか。何故、自分は別人の姿になっているのか。
分からないことだらけだ。
けれど、一つだけ分かったことがある。
ここで生きていくには、強くならなければならない。
Fランクのままでは、何も変わらない。
だったら――。
「……鍛えるしかないよな」
誰に聞かせるでもなく、レイは呟いた。
まずは身体を鍛えて、任務を受ける。
スライムを使いこなして、そして、少しずつ上へ行く。
それが今のレイにできる、唯一の方法だった。




