教室
そんな視線に晒されながら、学内地図を頼りに教室を探すこと二十分。
ようやく辿り着いたそこは、まさに廃墟と言って差し支えない風貌だった。
まず目についたのは、入口の扉。ペンキはところどころ剥がれ落ち、木材が剥き出しになっている。しかも、あちこちがささくれている。
これ、下手に触ったら普通に怪我するんじゃないか?
レイは扉を見つめながら、そんなことを考えた。
次に窓。割れている。一枚だけではなく、廊下から見える範囲だけでも、何枚もの窓ガラスが割れたままになっている。
これからここが自分の学舎になると思うと、胃が痛くなってきた。
学校というものは、もっとこう……青春とか、友情とか、そういうものがある場所ではなかっただろうか。
少なくとも、レイが知っている学校というものは、こんな廃墟ではない。
恐る恐る建物の中へ入る。
すると、中は外から見た以上に陰鬱としていた。
廊下には誰もいない。聞こえてくるのは、風が割れた窓から吹き抜ける音くらいだ。
壁も薄汚れているし、床もところどころ傷んでいる。何年も使われていない建物だと言われても、レイなら信じてしまいそうだった。
そんな廊下を歩きながら、近くにあった教室を何気なく覗いてみる。
すると、そこには数人の生徒がいた。誰も喋っていない。皆、俯いている。
机も椅子もボロボロだが、それでも一応、規則正しく並べられているようだ。
その光景を見て、レイは思った。
――何だこれ……。
学校というより、むしろ牢獄に近いのではなかろうか。
そんな感想を抱きながら、レイは腹を押さえた。
………マジでここでこれから生活するのか。
Fランクだから?こんな場所なの?
だとしたら、さっきの「人権がない」という言葉は冗談でも何でもなかったらしい。
そう考えながら、さらに廊下を進む。
そして、ようやく、自分の教室へと辿り着いた。
教室の扉の上には看板が掛けられている。
だが、文字は掠れていて、ほとんど読めない。
辛うじて分かるのは、それが誰かの名前らしいということくらいだ。
「……あれ?」
そこで、レイは眉を顰めた。
今更と言えば、あまりにも今更な疑問だった。だが、思えば最初から疑問に思うべきだったのだ。
何故、自分はこの世界の言葉が分かる?
そして、何故この世界の文字まで読めるのか。
レイは今まで、それを当たり前のこととして受け入れていた。だが、よく考えてみればおかしい。
耳に入ってくる言葉は、日本語とは明らかに違う。発音も違うし、イントネーションも違う。
それなのに、意味だけはすんなりと頭の中へ入ってくる。
文字だってそうだ。今、目の前にある看板の文字。
レイには何が書かれているのか、正確には分からない。それでも、それが「名前」を表しているものだということだけは何となく理解できる。
「……何でだ?」
考える。
考える。
そして――。
レイは大きく息を吐いた。
まあ、分からないものは分からない。
難しい問題が出てきたら、少しだけ考えて、それでも分からなければ解説を見る。
それがレイの中にいる少年だった。
残念なことに今は解説がない。おそらくこれからもないだろう。
ならば、後回しだ。今すぐ考えても答えが出ないものを延々と考えるより、目の前の問題を片付けたほうがいい。
そう結論付けると、レイは扉に手を掛けた。
ガラリ。
扉を開ける。
中を見た瞬間、レイは思わず目を丸くした。
予想以上にガランとしていた。先ほど廊下から覗いた教室には、生徒がいないにもかかわらず、ボロボロの机がきちんと並んでいた。
しかし、この教室は違う。机がない。
正確には、二つしかない。………たった二つだ。
そして、その片方には一人の少女が座っていた。
………訂正しよう。
座っているという表現も少し違う。少女は机に突っ伏して、気持ちよさそうに眠っていた。
銀色の髪が机の上へと垂れ、その顔の大部分を隠している。
「……」
レイは無言のまま、残されたもう一つの席へ腰を下ろした。
そして、何となく少女を見る。規則正しい寝息を立てて、完全に眠っている。
近づいても起きる様子はない。
そして、髪の隙間から何か白いものが突き出している。
「……ん?」
レイは目を凝らす。
耳。……いや、違う。耳にしては、位置がおかしい。
何より、人間の耳ではない。もっと硬い何か。
綺麗な銀の髪に覆われた、細長い突起。
言葉で表すならば、『角』というのが正しいだろうか。
それが銀髪の隙間からぴょこんと飛び出している。
「…………」
レイは言葉が詰まった。本能が告げている。
こいつ、人間じゃない。
そう理解した瞬間、何故か妙な感情が湧き上がってきた。
……………綺麗だ。
銀色の髪。整った顔立ち。
そして、角の下から覗く白い耳。
異世界に来てからというもの、何もかもが理解不能だった。
だが、目の前の少女だけは違う。理解できないのは間違いない。なのにどうしようもなく、目を奪われる。
特に、その銀色の髪。触ってみたい。どんな感触なのだろう。柔らかいのだろうか。それとも、意外とさらさらしているのだろうか。
気付けば、レイの手がゆっくりと少女へ伸びていた。
あと少し。もう少しで髪に触れる。
「って、何考えてんだ俺!」
寸前で我に返った。
レイは慌てて自分の腕を掴み、そのまま引っ込める。
危ない。何をしているんだ、俺は………?
ただ眠っている女の子に、勝手に触ろうとしていた。
それではただのセクハラだ。そもそも、寝ている女の子に触るなんて、人としてどうかしている。
「……落ち着け、俺」
レイは自分に言い聞かせるように呟く。
深呼吸。
一度。
二度。
そして三度目に、ゆっくりと、そして大きく息を吐いた。
………よし。落ち着いた。
そう思った、その時だった。
ガラガラガラッ。
教室の前の扉が、突然音を立てて開いた。
「うおっ」
レイが思わず肩を跳ねさせる。
入ってきたのは、一人の男だった。
無精髭を生やして、髪は寝癖だらけ。服は洗濯しているのか、していないのか。少なくとも、清潔感という言葉とは縁がなさそうなボロ着を羽織っている。
そして何より猫背だった。
男は眠そうな目で教室を見渡す。レイと、机に突っ伏して眠っている少女。
二人を確認すると、特に何かを言うでもなく、教卓へ向かった。
「……誰だ?」
レイが警戒しながら男を見る。
男はその声が聞こえたのか、面倒くさそうにこちらへ顔を向けた。
「ん?」
数秒。男はレイを眺める。
妙な間が辛い。レイは苦笑いとも見える愛想笑いを男に向ける。
「……ああ、新入りか」
そう言うと、男は黒板の前へ立った。
そして、近くに置いてあったチョークを手に取る。
キュッ。
黒板を引っ掻く音が教室に響いた。
男は適当に文字を書き殴っていく。その文字を見て、レイは目を細めた。やはり、読める。
自分には理解できない文字のはずなのに、その意味だけは頭に浮かんでくる。
書き終えると、男は振り返った。
「えー、今日から君の担任もすることになったアイザック・ザックレーです」
欠伸を噛み殺しながら、男は続ける。
「よろしく」
「……」
レイは言葉を失った。
これが担任………?
担任という存在について、レイはもう少しこう……威厳のある人物を想像していた。
しかし目の前にいる男からは、威厳の「い」の字すら感じられない。
むしろ、今にも家に帰って寝そうだ。
そして何より、この男の登場によって、レイは一つの疑問を抱いた。
この教室は、生徒は二人で、そして担任が一人。
これがFランクの教室ということなのだろうか?いや、だとしても他と比べるとあまりにも異質である。
レイは教室を見回した。ボロボロの机、割れた窓、剥がれたペンキ。
そして、銀髪の少女。
………………。
レイは静かに目を閉じた。考えないことにした。考えたら、胃が痛くなる。
だから今は、この異世界生活について考えるのは、後回しにすることにした。




