状況整理
さて、改めて状況を整理してみよう。
少年、改めミナモ・レイは、壇上で長々と話している初老の男の話を聞き流しながら、隣でプルプルと身体を震わせているスライムに視線を落とした。半透明の青い身体。
大きさはレイの膝下くらいだろうか。特に目や鼻といった器官は見当たらない。それでも何となくこちらを見ているような気がする。
そして、先ほどからレイの足に身体を擦り付けている。
可愛いじゃないか。
……いや、今はそこじゃない。
と、言うかであるが、誰も初老の男の話を聞いていない。
周囲を見渡してみれば、欠伸をしている者。隣の人間と小声で話している者。露骨に眠そうな顔をしている者。中には堂々と腕を組んで目を閉じている者までいる。
悲しきかな。異世界であっても、こういう長ったらしい話を聞かされる時間が苦痛なのは変わらないらしい。
妙なところで親近感を覚える。
話を変えよう。
ミナモ・レイ。三月七日生まれの十七歳。エイト村出身。
今のところ、これが彼に与えられた情報である。
……………与えられた、という表現も少し違うかもしれない。
何しろレイ自身が知っている自分の情報とは、何一つとして一致していなかったのだから。
名前も違う。誕生日も違う。年齢も違う。出身地も違う。
そして何より顔が違う。
最初こそ夢だと思っていた。
変な場所にいるし、知らない人間に囲まれている。知らない名前を呼ばれるし、魔法まで使える。
そんなもの、夢以外に何がある。
だが、頬をつねれば普通に痛かった。そして、召喚したスライムは今も隣にいる。
認めよう。夢ではない。……………たぶん。
この期に及んで「たぶん」を付けてしまうあたり、レイ自身もまだ現実として認め切れていないのだろう。
とはいえ、現実だろうが夢だろうが、今のレイにできることは限られている。
だから、とりあえず受け入れた。俺はミナモ・レイ。三月七日生まれ。十七歳。エイト村出身。
違います、などと言っても意味がない。
そもそも「じゃあ君は誰なんだ」と聞かれても困る。レイ自身が、自分が何者なのか分からないのだから。
ならば、今はミナモ・レイとして振る舞うしかない。
そのほうが楽だ。そう割り切ったところで、再び壇上へ視線を向ける。
先ほどまで「誰も話を聞いていない」と思っていたが、実のところレイも初老の男の話を完全に聞き流しているわけではない。
重要そうな部分だけは、ちゃんと耳に入れていた。
「えー、皆さんは、現在我がバッハライヘン帝国が、魔王の軍勢と戦争状態となっています」
魔王。その単語だけで、何となく異世界らしさを感じる。
しかし、男の口調は至って真面目だった。
「そんな中、魔王を倒すための勇者を集め、競わせ、育む。それがこの学園の存在意義です。これから皆さんは切磋琢磨して、より高いランクを目指すことでしょう」
勇者。魔王。学園……………。
ありふれた設定の単語が次々と出てくる。
しかし、レイが気になったのは、その中でも一つだった。
ランク。
どうやら、この学園では生徒の実力によってランク付けがなされているらしい。
最初のランク付けは、召喚したものが何なのか。どんな魔法が使えるのか。魔法の威力はどれほどなのか。身体能力はどれほどなのか。
それらを総合的に判断して決定される。
レイはスライムという弱いモンスターしか召喚できなかった。
つまり、魔法も大したものは使えない。身体能力も、どうやら特別高いわけではない。だからFランクというわけだ。
周囲から聞こえてくる声が、その現実を嫌でも実感させてくる。
「おい、あれが例のスライムしか召喚できないFランクだぞ」
「マジ? 他のFランクでも、まだ攻撃に使える魔法が使えるぞ」
「じゃあ最弱じゃん」
「最弱確定だな」
クスクスという笑い声。面白半分に向けられる視線。
わざと聞こえるように話しているのだろう。
自分ではない自分に言われているはずなのに、何故か胸がムカムカしてくる。
別に、自分はミナモ・レイではない。そう思っていた。そう思っていたというのに。
自分のことを笑われているように感じる。
ムカつく。何故、ここまで言われなければならない。
スライムを召喚した。それだけだ。まだ何もしていない。誰かに迷惑をかけたわけでもない。それなのに、最弱だの、才能がないだのと好き勝手に言われる。
みんな違ってみんないいという言葉を知らんのか。
しかし、ここで言い返したところでどうなる。
周囲を見渡す。誰もレイを庇おうとはしない。
むしろ、当然のこととして受け入れているようだった。
………なるほど。どうやら、この世界ではこれが普通らしい。
Fランクを見下す。それが、この学園では当たり前。つまり、これが常識なのだ。
Fが居なくなったってその上が見下されるだけだろうに。
そんなことを考えていると、壇上の初老の男がさらに衝撃的なことを口にした。
「そして、残念ながらFランクとなってしまった皆さん」
男は一度言葉を区切った。まるで本当に残念そうな顔をしている。
だが、次の言葉は容赦がなかった。
「残念ながら、即刻の自主退学をお勧めします」
周囲を見渡せば、ちらほらと暗い顔の人たちがいる。………受け入れているようだ。
これもまた、この学園では当たり前なのだろう。
「この学園では、実力があるものこそが正義なのです。Fランクの皆様は才能というものがない。よって、この学園において君たちに人権というものがあまり無い」
人権。
その言葉を、学校側の人間が堂々と口にしてしまうのか。
レイは思わず眉をひそめた。
「最低限の衣食住だけは保証しますが、本当に、最低限。覚悟が無ければ、今後の生活は辛いものとなるでしょう」
随分とはっきり言うものだ。
普通なら、もう少し言葉を選ぶだろう。だが、ここではそれすら必要ないらしい。
強い奴が偉い。
弱い奴に価値はない。
その考えが、学園全体に染み付いている。そしてレイは、今まさにその最下層にいる。
とはいえ、とレイは考える。退学したとして、一体どうすればいい。帰る場所がない。いや、あるのだろう。
この身体の持ち主であるミナモ・レイには故郷があり、エイト村という帰る場所がある。
しかし、レイにはそこがどこにあるのか分からない。
地図を渡されて見つけたとして、そもそも、自分の家すら分からない。
家がわかったところで彼の知り合いと話が噛み合わなければ、性格だって違うかもしれない。そんな状態で親を親と扱うのも難しい。
退学したところで、野垂れ死ぬ未来しか見えない。
ならば、取るべきは一つ。この学園に残るしかない。少なくとも、衣食住は保証されるらしい。
レイの足元では、先ほど召喚したスライムがプルプルと身体を震わせている。
まるで「大丈夫だよ」とでも言っているように、レイの脚へ身体を擦り付けている。
……こいつだけは、味方なのだろうか。
そう考えると、少しだけ心強い。
いや、待て、と改めて考える。
スライム一匹だけを頼りに異世界で生きていくって、どういう状況だ。
レイはそっとスライムを見下ろした。
スライムはプルプルしている。
レイもプルプルしたくなった。漏らすわけじゃない。泣きたくなっただけ。
「それでは、各生徒の皆さんは教室への移動をお願いします」
どうやら話は終わったらしい。
ぞろぞろと、生徒たちが移動を始める。
それに倣うようにレイもそれに続いて歩き出した。
とりあえず、今までに手に入れられた情報を整理しよう。
この国、バッハライヘン帝国は魔王の軍勢と戦争状態にある。
そして、この学園は魔王を倒すための勇者を育成する場所。
実力主義で、ランク制度があり、Fランクにはほぼ人権がない。
そして、自分はFランク。
俺は身を守る力もない。魔王と戦争中の国にいて、戦闘能力もない。おまけに帰る場所も分からない。
…………これ、普通に死ぬんじゃないか?詰みやんけ。
レイの額に嫌な汗が浮かぶ。
本当、どないすんねん。
集会が行われていた運動場を出る。
すると、今度は様々な視線がレイへと突き刺さってきた。
廊下を歩く上級生らしき生徒たち。窓からこちらを眺めている生徒。すれ違いざまに視線を向けてくる者。
その多くが、レイではなく、もっと別の誰かを探しているように見えた。
新入生の中から、これから頭角を現す有望株でも探しているのだろう。
そう考えれば、レイには関係のない視線だ。
自分はFランク。誰かの期待を集めるような存在ではない。
だから、気にする必要はない。
「アイツだろ?」
「え?」
レイの耳に、そんな声が届いた。
「例のスライムしか召喚できなかった奴」
「ああ、あれか」
「何日で辞めると思う?」
嫌な予感がする。
「賭けようぜ。俺、三日」
「いや、一週間は持つだろ」
「お前、あいつの顔見たか? 完全に何も分かってない顔してたぞ」
「じゃあ五日」
「俺は三日だな」
……。
レイは無言で前を向いた。
……………訂正しよう。
どうやら、新たなFランクの生徒をバカにしにきたようだ。
バリバリ、レイに関係がある視線だった。
レイはため息を吐きながら、手元の学内地図へ視線を落とした。
まずは教室へ行かなければならない。今の自分にできることなど、それくらいしかない。
地図を見る。自分の教室は、どうやら校舎の端にあるらしい。
Fランクだから端なのか。それとも偶然なのか。判断する材料はない。(たぶんそうだとは思うけど)
ただ一つだけ分かることがある。
この学園で、自分が歓迎されていない。
それだけは、嫌というほど理解できた。
レイは再び歩き出した。
その後ろを、スライムがプルプルと跳ねながらついてくる。
「……お前だけは、俺についてきてくれるんだな」
返事はない。
ただ、スライムがレイの足にぴたりと身体を寄せた。
レイは少しだけ笑った。
異世界に来てしまった。自分ではない誰かになってしまった。
魔王と戦争中の国にいる。Fランクで、周囲からは最弱と笑われている。
帰る場所も分からない。頼れる人間もいない。
そんな中で。少なくとも一匹だけは、自分のそばにいる。
……………まあ、それだけでも、今はいいか。
レイはそう思いながら、教室へと向かった。




