第9話「あなたたちが失ったものの、正確な内訳」
宮廷医学会議から、七日が過ぎた。
私は辺境に戻り、いつものように研究所で仕事を続けていた。
けれど、王都では、私の証言を起点に、
静かに、しかし確実に、いくつもの決着が進んでいた。
* * *
一つ目の決着は、シャルロット・デュボワの処遇だった。
聖女認定は、正式に取り消された。
根拠は、シャルロットが「血の呪いに浄化が無効」と知りながら、
ローゼンハイン家に対し「私の力で治せる」と虚偽の主張をし、
私が置いていった秘薬の使用を止めさせたこと。
――結果、四人の一族を悪化させた責任、それが問われた。
彼女は聖女位を剥奪され、神官服も取り上げられた。
デュボワ男爵家は、王家への献納金を追徴され、
シャルロット本人は、地方の修道院で三年の奉仕労働を命じられた。
――修道院に向かう馬車の中で、彼女は
「私、ただ、あの人の隣に立ちたかっただけなのに」と、
繰り返し呟いていたそうだ。
私は、その報告を辺境で聞いて、少しだけ、目を伏せた。
彼女が、初めから邪悪な少女だったとは、私は、思わない。
ただ、自分の力量を超えた場所に立とうとして、
そこで見えなくなった真実が、あった。
それだけのことだ。
けれど――その「それだけ」で、いくつもの命が危険に晒された。
だから、彼女は、その代償を、これから三年かけて払う。
それが、正しい順序だ、と、私は思った。
* * *
二つ目の決着は、フェリクス・ローゼンハインの、廃嫡だった。
これは、事実上、ローゼンハイン家自身が下した決断だった。
当主レオンハルトは、王家に対し、自ら嘆願書を提出した。
『我が嫡男フェリクスは、
王国婚姻法の遵守を怠り、五年間伯爵家を支えた者を、
個人的感情のみによって切り捨てた。
その結果、家を、四人分の命の危機に陥れた。
一伯爵家の主として、私は、
この者に爵位を継承させる資格を、認めない。
廃嫡と、以後の伯爵位継承権の永久剥奪を、
王家に対し、伯爵レオンハルト・ローゼンハインとして、
正式に、要請する』
フェリクスは、廃嫡された。
伯爵家の遠縁――レオンハルト伯爵の傍系筋にあたる、
分別ある若い甥が、新たな継承者として指名された。
フェリクス本人は、伯爵家の別邸に幽居となり、
以後、公的な場に出ることは、原則として禁じられた。
――そして、王都の社交界で、彼の名は、
「五年支えた者を、粗末に扱った男」として、静かに語られるようになった。
* * *
三つ目の決着は、ローゼンハイン家と、辺境伯家の間で結ばれた、
新しい「秘薬供給契約」だった。
伯爵レオンハルトは、自ら辺境まで足を運んだ。
私と、ジーク様の父、辺境伯当主閣下との、三者面談。
場所は、ヴァルトハイム城の応接間。
真冬の午後、暖炉が静かに燃えている、その部屋で。
伯爵レオンハルトは、白髪の増えた頭を、深く、深く、下げた。
「レティシア嬢。改めて、詫び申し上げる。
亡き妻の遺言を守れなかった私の、非でございます。
息子の非は、私が父としての教育を怠った、私の非でございます。
――どうか、我が家の血を、途絶えさせないでほしい」
その頭下げは、あのダミアン子爵の「儀礼」とは、まるで違った。
地面に額をつけるように、深く、長く、彼は、頭を下げていた。
額に汗が浮くほど、彼は、そのまま、動かなかった。
――私は、静かに、頷いた。
「伯爵様。お顔を、お上げください」
* * *
契約書は、その日のうちに、作られた。
一、レティシア・エルフォードは、ローゼンハイン家に対し、
月に一度、秘薬を供給する。
二、その対価は、当該年度における王国相場の、五十倍とする。
三、供給の名義は、ヴァルトハイム辺境伯領薬草研究所とし、
レティシアが「調合者」として書類上、明記される。
四、ローゼンハイン家は、以後、レティシア・エルフォードに対し、
終生の敬意と、いかなる個人的接触も伴わない、
純粋な取引関係のみを保持する。
五、フェリクス本人からの、いかなる書簡・伝言・訪問も、
ヴァルトハイム辺境伯家が代理で受領し、
レティシア本人には、原則、届けない。
私は、その契約書に、静かに署名した。
インクが乾く前に、伯爵レオンハルトが、震える手で、
自分の署名を、契約書の右下に添えた。
「――ありがとう、レティシア嬢」
伯爵の目に、うっすらと、涙が浮かんでいた。
それは、息子への同情の涙ではなく、
亡き妻に、今夜、初めて胸を張って報告できる、
父としての、安堵の涙だった。
私は、その涙を、責めなかった。
彼は、ただ、私の五年間を、彼の代で、
やっと、正しい対価に変えて返してくれただけだった。
それは、正しい順序で、済まされるべき、正しい仕事だった。
そして――私も、心の中で、亡き先妻に、そっと報告した。
(奥様。あなたが守ろうとしたものは、
別のかたちで、ちゃんと、守り抜きました。
私は、あなたとの信義を、最後まで、裏切りませんでした)
* * *
伯爵が辺境を去った日の夕方、ジーク様が私の作業室に来た。
いつもと同じノック。いつもと同じ足音。
けれど、その日の彼の手には、小さな、深い青のビロードの箱があった。
「――レティシア」
彼は、机の上に、その箱を、そっと置いた。
蓋を開けると、中には、ひとつの指輪があった。
銀の台座に、透き通った、薄い水色の宝石。
その宝石の中で、うっすらと、銀色の結晶が光っていた。
「霜咲きの花の花弁を、樹脂で封じ込めた宝石だ」
ジーク様は、少し照れくさそうに言った。
「あんたが、この土地で、いちばん最初に、
膝をついて、触れた花。
――俺にとっては、あんたが辺境で初めて、
心から笑った瞬間の花でもある。だから」
「――ジーク様」
私は、その指輪を、そっと持ち上げた。
指先で、その水色の光が、震えた。
「あんたに、この土地で、生きてほしい。
俺の妻として。俺の、正式な、生涯の相棒として」
私は、涙で、返事ができなかった。
けれど、右手の薬指を、彼のほうへ、そっと差し出した。
ジーク様の硬い指先が、その指輪を、慎重に、慎重に、
私の指に、通した。
* * *
その夜、私は、辺境の空を、また仰いだ。
指輪が、月光の下で、うすい銀色に光っていた。
「――ジーク様」
隣に立つ彼に、私は、静かに、言った。
「私、五年間、気づかれない献身を、していました。
でも、もう、違います」
ジーク様が、私を見た。
「私の薬は、私を尊重する人にだけ、渡します。
私の笑顔は、私を、笑顔にしてくれる人のためだけに、使います。
――そして、私の一生は」
私は、彼のほうを見上げた。
「――あなたと、一緒に、使います」
ジーク様は、しばらく、何も言えなかった。
それから、彼らしくもなく、少しだけ、
かすれた声で、こう言った。
「……ありがとう。俺の、一生で、一番、幸運な言葉だ」
* * *
来週、辺境で、私たちの婚約披露式が、開かれる。
村の人たちも、騎士たちも、エルナも、アルベルト様も、
そして、王都から、私の父と母も、来てくれる。
――北の辺境の、いちばん寒い季節。
けれど、私の胸の中は、生まれて初めてと言っていいほど、
温かい季節を、迎えていた。




