第8話「宮廷医学会議、真実の朝」
アルストリア王国、宮廷医学会議場。
高い天井から差し込む光が、大理石の床にくっきりと十字を落としている。
円形の議場を、五段の階段状の傍聴席が囲み、
最奥には王家の紋章、その下に、国王ラウル陛下の玉座があった。
――私が二十歳になって、初めて足を踏み入れる場所だった。
* * *
議場の中央、証言台に立った私は、白衣の襟を整えた。
背後の傍聴席、正面から二列目の中央。
そこにジーク様が座っている。約束の通り、
私から一番よく見える、ちょうどその席に。
彼と目が合った。ジーク様は、ゆっくりと、頷いた。
――大丈夫だ、と、その目が言っていた。
私は深く息を吸って、口を開いた。
「宮廷医学会議、議長閣下、並びに諸卿。
元宮廷薬師、レティシア・エルフォードでございます。
本日は、ローゼンハイン伯爵家における
『原因不明の連続発熱』の症例につきまして、
私が知る限りの事実を、証言申し上げます」
* * *
私は、事前に用意した資料を、粛々と読み上げた。
ローゼンハイン家の「呪い体質」。
それが数百年前の魔物契約に端を発する、血の遺伝的病であること。
「呪い」という名で呼ばれてはいるが、
性質としては呪術ではなく、内因性の代謝異常であること。
浄化魔法では原理上、抑えられないこと。
私は五年間、その一族の秘薬を作り続けた。
朝三時に起き、湯を沸かし、辺境から輸入した乾燥花弁を煎じ、
「ハーブティー」として、当主一家に届けさせていた。
そのお茶は、一族の血を引く者たち――
当主、当主夫人、フェリクス、そして末娘アンナが、
毎朝欠かさず飲むよう、亡き先妻の代から
定められた慣習であった。
私が辞任した日から、正確に三日後――
最も体の小さい末娘アンナに、最初の兆しが現れた。
それから三日を経て、六日目には、当主夫人、フェリクスまでも
高熱と意識混濁に至った。
当主レオンハルト自身も、この頃から微熱を訴えていると聞く。
「浄化魔法は、これらの症状に、原理上、無効です。
私は、辺境の古文書に基づき、この学説を証明する
三十七例の症例記録と、四通の血液分析報告書を、
本日、議長閣下に提出いたします」
* * *
議場が、しん、と、静まり返った。
議長は目を伏せ、しばらく資料に指を這わせていた。
王家席で、国王ラウル陛下は、深く息を吐いた。
右隣の宰相が、額を押さえていた。
沈黙を破ったのは、傍聴席の一角――
王家の側近たちに囲まれて座っていた、シャルロットだった。
「――嘘です!」
彼女は、震える声で立ち上がった。
神官服の裾が、乱れて揺れていた。
「私、聖女です! 私の浄化が効かないなんて、そんな……
あの一族は、私が浄化して差し上げれば、必ず――!」
「シャルロット嬢」
議長が、静かに彼女を呼び止めた。
「あなたは、既にローゼンハイン家四名に対して、
十四日間、毎日浄化を試みた記録があります。
症状は、下がっていません。むしろ、悪化しています。
これは、事実です。あなたが今、否定しても、変わらぬ事実です」
シャルロットは、口を開けたまま、崩れるように椅子に座り込んだ。
* * *
議長は、王家席に一礼し、それから、私に向き直った。
「レティシア嬢。あなたの証言は、明晰であり、
提出された資料は、極めて詳細です。
――ひとつ、伺いたい」
「はい」
「なぜ、あなたは五年間、この事実を公にしなかったのですか。
秘薬の存在も、あなた一人が調合していたことも、
一度も、公式記録に残していない。なぜです?」
私は、少しだけ、俯いた。
それから、まっすぐに、議長を見た。
「――ローゼンハイン家の亡き先妻、フェリクス様のお母様が、
私に、頼んでいかれたからです」
議場が、静かに息を呑んだ。
「『この病を、家の中に留めてほしい』と、そうおっしゃいました。
一族が「呪われている」と広く知られることは、
御子息たちの婚姻にも、家の存続にも、深く関わる。
だから、どうか、秘してほしい、と。
私は、その約束を、五年、守り続けました」
私は、静かに顔を上げた。
「けれど――先の婚約破棄と、その後の伯爵家の対応をもって、
亡き先妻と私の間の『信義』は、伯爵家側から、
完全に解消されたと、私は判断しました。
本日、この場で全てを申し上げるのは、
亡き先妻への裏切りではなく、彼女が守ろうとした家を、
これ以上、無知のまま滅ぼさせないための、
私にできる最後の誠意です」
* * *
議場の空気が、明らかに、変わった。
私は、ローゼンハイン家を糾弾しに来た女ではなかった。
むしろ――最後の最後まで、亡き先妻の託を、守ろうとした女だった。
それが、その場にいる全員に、伝わっていた。
議長が、深く頷いた。
「よく、分かりました。エルフォード嬢。
あなたの誠実さと、専門家としての卓越に、
本会議は、深く敬意を表します」
そして、彼はゆっくりと国王陛下のほうを見た。
陛下は、玉座からゆっくりと立ち上がり、
議場の全員が息を呑む中、私に向かって、深く、頭を下げた。
「――エルフォード嬢」
低く、絞り出すような、けれど、はっきりとした声だった。
「王家として、あなたに深くお詫び申し上げる。
王太子と伯爵家の非礼、
そして、あなたの誠実な献身を五年間、
王家として一度も公式に認めなかったこと。
その全てを、私、ラウル・アルストリアが、
一国民として、詫びる」
議場の全員が、息を止めた。
王が、一薬師に、頭を下げた。
それは、この国の歴史で、記録される「初めて」の出来事だった。
* * *
私は、震える指を、白衣の裾できゅっと握った。
けれど、涙は、こらえた。
「陛下」
私は、深く一礼した。
「お言葉、確かに、頂戴いたしました。
――もう、十分でございます」
その場の何人かが、静かに、目元を拭った。
王家席の後ろで、シャルロットが、青ざめた顔で
自分の膝を、ぎゅっと握りしめていた。
* * *
議場を出る廊下は、長かった。
高い窓から差し込む光が、私の白衣を、金色に染めていた。
議場の外の待合の椅子で、ジーク様が立ち上がって、私を待っていた。
彼は何も言わずに、私の頬に、そっと手を当てた。
ざらりとした手のひらの温度が、
議場で張り詰めていた、私の中の細い糸を、
ゆっくりと、ほどいてくれた。
「――お疲れさま。帰ろう、俺たちの家に」
「はい」
私は、初めて、彼の胸に、額を預けた。
甲冑ではなく、礼服の布越しに、彼の鼓動が、聞こえた。
「……ジーク様。私、」
「うん」
「今日、五年間ずっと、誰にも見せられなかったものを、
全部、置いてきました。もう、私の中に、王都に置いてきた
荷物は、ひとつも、残っていません」
ジーク様は、少しだけ強く、私を抱きしめた。
「――よくやった」
低い、静かな、それだけの言葉が。
今日、私に届いた全ての言葉の中で、いちばん、深く沁みた。
そして――王都の空を、雪雲が、静かに流れていった。
私が五年間、置いてきたはずの重さは、
今日、この空の下で、正しく、私の背中から、離れていった。
* * *
その日の夕方、宮廷では、緊急の裁定会議が開かれた。
議題は、ふたつ。
一つ、聖女シャルロット・デュボワの「聖女」認定の取消。
二つ、ローゼンハイン伯爵家嫡男フェリクスの、正嫡としての資格の再審査。
――王都の権力の中枢で、
私が「置いてきた」ものが、今、静かに、
本来の重さを取り戻し始めていた。




