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結婚するしかないんじゃないの?  作者: 夜乃 凛


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 フォトアは捨てられて一人になった。

 ブリッジ家の者たちの間ではフォトアとエインセの噂をする者たちが最初は絶えなかったが、ブリッジ家の主であるエミールがそれを良しとしなかったため、フォトアが直接嫌味などの何かを言われることはなかった。

 むしろフォトアは愛されていた。彼女の性格の良さ故に。


 フォトアは傷つきながらも家の農業を手伝った。普段の日常である。

 手。汚れて、綺麗とは言い難い。だが、しっかりと生活を営んでいる者の手。それを持っているのがフォトア・ブリッジ。


 日々が流れていった。ある日フォトアは、畑を耕している農夫に、水と僅かながらの葡萄を籠に入れて持っていった。

 明るい空。日が差し続ける中でも農夫たちは作業をしている。

 フォトアは両手で重そうに籠を担いで運んでいた。

 一面の畑。美しい風景。

 それは人々の生活を支えるもの。

 それを支えるブリッジ家をフォトアは誇りに思っていた。

 日差しの中、努力し続ける一人の農夫の元にフォトアが近づいた。


「おや、フォトアお嬢様?おつかれさまです」


 農夫の男が笑顔を見せた。浅黒い顔つきと精悍な肉体が、農作業に慣れていることを示していた。


「こんにちは。あの、お水を持ってきました。少しですが、葡萄も……」


「そんな!!お嬢様は人が良すぎます……。私共などに、そこまで……」


「大切な家族ですから」


 フォトアは笑顔で語る。金の髪が綺麗に揺れる。

 家族。フォトアはもちろん家族の意味を知っている。血の繋がった者同士という意味だ。

 だが、彼女にとっては、彼女自身の大切な人々もまた、家族なのだ。


「……許せねぇなぁ」


「はい?」


「エインセの野郎ですよ。こんな優しいお嬢様を……」


「……エインセは、悪くありません。……私に魅力が無かったから」


 フォトアはエインセを責めなかった。

 責めたのは自分自身。

 自分が。

 自分が至っていなかったから。そうやって、自分を責めていた。

 しかし、フォトアは一人の人間だった。

 そこに秘める思いがあった。

 幸せになりたかった。

 ただそれだけの願い。


「お嬢様が嫌がるなら、エインセの話はしませんが……。しかしなぁ……」


 農夫は残念そうな表情を見せた。心配と、エインセに対する落胆が混じった、それでいて、人を思いやるような困った農夫の表情。

 何か考え込んでいる様子の農夫。そして農夫はおもむろに口を開いた。


「水と葡萄ありがとうございます。お嬢様、市場に行かれてみては?」


「とんでもないです。しかし、市場ですか?何故?」


「人に触れたほうがいいですよ。きっと、寂しい思いをなされているでしょう。なに、気晴らしですよ。お嬢様のことを悪く言うやつは俺が懲らしめます!!」


 農夫が白い歯を見せて笑った。腕まくりをしている。筋肉質な、頼りがいのありそうな腕。


「……ありがとうございます。あれ、おかしいですね、あれ……」


 フォトアは涙を流していた。涙は日光に照らされ美しく光った。

 人を裏切る者もいれば。

 人を愛してくれる人もいる。

 フォトアは人の優しさを噛みしめた。


「ありがとう、私の大切な家族様」


 フォトアは深くお辞儀をした。



 そのまた、とある日。フォトアは自室で休んでいた。

 白く柔らかなベッド。そこに横になっていた。壁は茶色。ほのかな香りのする木材で出来ていた。

 ぼんやりと壁を見たフォトア。本当に、ぼんやりと。

 部屋には茶色い机。机の上には、刺繍用具、紙、ペン、化粧品、恋文。恋文はエインセと交わした物であった。

 フォトアはベッドから起き上がり、四角い窓の横を通り机に近づいた。


 恋文を見る。ただ、紙の表側を見るだけ。読む気にはならなかった。

 読めるものか。

 少しの間フォトアは立ち尽くした。

 彼女は恋文を掴んでみた。読んでみようかと思った。しかし当然、フォトアはそれをくしゃくしゃにした。複雑な想いが混ざり合っていた。

 その紙をゴミ箱に捨てようと思ったが、恋文を掴んだその手はゴミ箱には行かず、くしゃくしゃになった恋文を、再び机の上に置いた。

 次いで化粧品を見た。


『人に触れたほうが良いですよ』


 農夫の言葉を思い出したフォトア。

 机に設置されている鏡をフォトアは見た。

 心労でフォトアの顔はひどく疲れて見えた。

 彼女は思った。お化粧をしようと。身なりを整えて市場に行こうと。新鮮な食べ物を買って、お父様やみんなに差し上げようと。


 フォトアは自分のことよりも他人のことを優先する癖があった。会話は相手を思い、人のためになることをし、人に優しくしていた。フォトア自身は、全然他人のことを考えているなどと思っていないのだが、周りの人間たちはフォトアの献身をよく見ていた。

 彼女は、根も表面上も優しいのだ。その長所にフォトアは自分で気がついていない。


 淡々と化粧をするフォトア。

 恋人を失った絶望を、ほんの少しだけ白粉で隠すように。


 フォトアは部屋を出た。緑色のドアを開けて希望の市場へと。

 フォトアは父のエミールと同じ家で暮らしている。フォトアに充てがわれた部屋は二階にあった。

 ゆっくりと二階の木の廊下を歩くフォトア。壁は白い。汚れ一つ見当たらないのは、使用人の優秀さといえよう。それがブリッジ家なのかもしれない。

 歩いて階段へ。赤い絨毯の階段を下へ、下へ。

 下に降りると大きな茶色い扉が見えた。玄関だ。フォトアは誰にも挨拶せずに家を出ようかと思っていたが、玄関の茶色い扉を開いた先に、とある老婆の姿が目の前に見えた。

 老婆が語る。


「おやお嬢様。お出かけですか?」


 老婆は黒い服装で身を包んでいる。軽いドレスのようなものだ。髪は真っ白だが、どこか気品を感じさせる。


「こんにちは。少し市場に行ってきます。シャレールはどこへ?」


 フォトアが笑顔で挨拶した。傷ついた偽りと、慈愛の笑顔。

 老婆の名前はシャレール。化粧をしたフォトアの笑顔は輝いていた。心の中は真っ暗だったが。

 老婆が答える。


「私はお隣さんの家に呼ばれまして……」


「お忙しいですね。いつもお疲れ様です」


 シャレールという老婆は、占い師をやっているのだ。占いをするのだが、占いを信じないという奇妙な占い師。占いより、現実的なアドバイスをする方が効果的だとシャレールが言っていたのを、ぼんやりとフォトアは思い出す。


 その時、黄金にも似た黄色い蝶がひらひらと舞い、フォトアの肩にそっと降り立った。 フォトアの金髪と、その蝶の輝きの組み合わせはよく似合った。


「あら、綺麗な蝶……」


 蝶を見つめるフォトア。

 その表情は優しかった。

 それを見ていたシャレールが語る。


「おやおや……黄金の蝶はですね、運命の人との縁を運んできます」


「縁?……あはは、それはないですよ。……だって運命なんて……ないのですから……」


 恋人に裏切られたフォトアは悲しそうに呟いた。


「お嬢様には必ず。必ずいい相手が現れます」


 シャレールが、老婆とは思えない力でフォトアの手を握った。


「必ず」


 シャレールは涙ぐんでいる。


「……ありがとう、シャレール。私、幸せ者ね」


 自分を心配してくれている人がいる。そう思ったフォトアはそう呟いた。

 空は明るい。青く白い雲が僅かに見え、鳥が飛んでいる。

 市場に出かけるには絶好の気候だった。

 運命の出会いにも、絶好の。

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