三 奸計 ③
翌日の午後、ジャコモはトリノの中心市街地にいた。顔や髪型こそメイヴに逢うときと変わりないものの、服装は大きく違い上下とも汚れた作業着。路地の出入り口で左手に空のビール瓶を握り、前後左右に目をやっては右手で唇の煙草に手を添える。それからうまそうに煙を肺に吸いこむと吸いがらを忌々しそうに放りだし、路上で踏みつぶすなりポケットからガムを取りだした。メイヴに普段の生活を覚られぬよう、努めて噛むようにしている匂いの強いものだった。
しばらくしてそこへスーツ姿の壮年男性が、慌ただしげにひとり路地を駆けぬけようとする。きっちりと撫でつけられた髪や身なりから、裕福な紳士であることが分かる。ジャコモはその紳士が目の前を通り抜けるのを見とめ、路地の反対側に向かって声をかけた。
「ジョバンニ」
するとジョバンニと呼ばれた、大柄で体格のよい男が紳士の行く手を阻む。ジャコモも後ろから追いかけ、二人して前後を塞ぐ。路地は人が二人ならぶ幅もないほど狭い。
「財布を出せ」
震えながら首を横に振る紳士に向かって、ジャコモは掌を広げた。わずかな隙間を縫って逃げだそうとするのを先んじて足を踏みだし、ジョバンニが後ろから肩に手をやり無理矢理に振りむかせて拳や膝で顔、腹を強かに打ちすえる。紳士はすぐに踞り、みずからスーツに手を入れて財布を差しだした。ジャコモは黙ってそれを受けとると、中から紙幣だけを抜きとってポケットに捻じこむ。続いて紳士の身なりを上から見おろし、おもむろに左手を指さした。
「指輪と時計も出せ」
どちらも宝石の埋めこまれた高級品だった。紳士はこれだけは取られまいと再び逃げだそうとするも、やはりジャコモが右手で襟を掴んで否応なく立ちあがらせ、ジョバンニが刃渡りの長いナイフを抜き、時計か、もしくは腕ごと切りおとすべく刃を手首に当てる。
「止めろ」
ジャコモに事を大きくするつもりはなかった。襟を掴んだまま左手のビール瓶を振りかぶり、頭を思いきり殴りつける。辺りに硝子の破片が飛びちった。気を失った紳士がなお手を握りしめていると、今度は肘を壁に叩きつけて骨を砕く。そうしてようやく力の抜けた腕から指輪と時計をむしり取り、足早にその場を去る。実に慣れた手つきだった。
二人はその後も何気ない体を装い、通行人の多い表通りを歩く。のみならず人ごみに紛れて目につかないのをいいことに、収穫物をそれぞれ品定めしてあたかも自分のもののように堂々と身につけた。ジョバンニはそのうちの一つである時計を腕に嵌め、まじまじと覗きこみながら不機嫌に呟く。
「今日の獲物はあいつだけか。しけてんな」
「そう怒るな。実入りはそれなりに良さそうだろ」
指輪を財布にしまったジャコモが通りの向こうに目をやると、その先では痩せた背の高い男が通行人とぶつかっていた。男と仲間であるジャコモは、それが不注意から来る単なる接触ではなく、スリをはたらく常套の手口であることを知っている。男の方もジャコモに気づき、器用に通行人を避けて近づいてきた。
「遅かったな。こっちは暇つぶしに大変だったんだぜ。もう帰るぞ」
「そうしよう、リカルド。今日は終わりにする」
合流したリカルドもこの日の出来に不満らしく、しきりにジョバンニと愚痴を言いあう。しかもいわゆる収穫についてに留まらず、他に鬱屈があるようだ。
「それにしても面白くなかったぜ。本業もそうだけど、女に声かけても寄ってこねえ」
「俺たちもだ。裏道で張ってても汚ねえ親爺が来ただけでよ」
「そっちの方の獲物は、路地裏になんか近づかねえしな」
「かといって無理に行っても、下手こいたら足がついちまう」
対照的にジャコモには、特段にその手の不満はなかった。恵まれた容姿のおかげで、常に一ダースの女性と適当な関係を続けることができている。ただそれにも飽きてある種の余興を画策しており、二人の不平不満を聞いて頃合いと判断し脇の方を指した。
「その話なら、こっちでしようぜ」
三人は、ちょうど行きつけのバルに差しかかったところだった。裏通りにあるうえ治安の乱れたスラムに面しているだけあって、まだ夕方にも関わらずがらの悪い客がたむろしている。ジャコモは店内でも端の方に席をとり、マスターに「いつもの」と頼んで三人分のカンパリソーダをカウンター越しに受けとった。
「お前ら最近、女に困ってるみたいだな」
三人に渡しざま話を振るとまずリカルドが、続いてジョバンニが食いついてきた。
「何だ。いい話でもあんのか」
「あるなら聞かせてくれよ」
どうやら二人ともよほど飢えていると見え、揃って飲み物に手もつけず身を乗りだしてくる。店はただでさえ狭いのに理由もなく大声を出す薬物中毒者のような男が居あわせているため喧しく、一応の常識がある客は顔を寄せあって話をしている。仮に密談をしたところで怪しむ者はおらず、声もそう遠くまで届きそうにない。周りに他の知り合いがいないのを確かめ、ジャコモは話を切りだした。
「ここからだと少し遠いが、アスティに服屋があるんだ。ケルズって言ってな。さいきん注目されてるデザイナーがやってる店だ。知ってるか」
リカルドは割のいい金もうけの手段を探すべく、こまめに新聞や雑誌に目を通していた。グラスに掌を添えたまま、ケルズの名を出しただけで小さく首を縦に振る。
「アイルランド移民の、名前はコノリーとか言ったっけ。だけど歳が」
「店主のデザイナー本人じゃねえよ。店番やってるその娘だ」
「上玉か」
「そりゃもう。割と歳いってるデザイナーの方でさえまんざらじゃねえくらいだ。写真は見たことあるだろ。その若いときを思いうかべりゃいい。ちなみにそのメイヴっていう娘は十五」
そこでジョバンニが生唾を呑みこんで口を開く。女性関係の派手なジャコモが、二つ返事で上玉と答えるほどの容姿の持ち主である。普段からつるんでいる仲間だけに、間違いはなかろうと判断したのだろう。
「でも、どうやって近づいたんだ。だいたい何でアスティでその娘を見つけられたんだ」
「親父の命令で行かされてる下積みの現場が、こっちからアスティの郊外に変わったのがきっかけさ。帰り道に服屋があって、そこに奥手そうなその上玉、メイヴがいたんだ。俺がトリノ大の学生だなんてフカシこいたら信じやがってよ。何でも怪しいカルトみたいな宗教に入ってて、学校でいじめられてたせいで男が苦手だったんだとよ。馬鹿な女は楽なもんだ、もうすぐにでも落とせそうだぜ。おまけにアスティは行って間もないおかげで、足がついてねえどころかこっちでの俺の顔も知られちゃいねえ。それにいま勤めてるアスティの仕事先も来週には終わりだ。今度はクーネオに移るから、仮に一悶着おこしたところで捕まる心配もねえってわけだ」
ジャコモは名前以外、メイヴに対し姓を含め経歴の全てを偽っていた。スコットランド移民の二世、ヨーロッパでも屈指の学力を誇るトリノ大に籍を置き、郊外の下宿先からキャンパスに通っているというのはまったくの嘘で、せいぜい事実といえばアスティに足を運んでいる点くらいである。本当は生まれも育ちもイタリアの、近隣の街アルバに工場を構える工業会社の跡取り息子であり、高校を卒業したあと家業を継ぐためよその現場へ見習いに行き、勤務先が再度変わったところでメイヴに出会い余興を思いついたのである。
しかも偽ったのは経歴だけではない。これまでの女遊びに飽きたため、メイヴを弄ぶべく性格や言動まで丸きり猫を被ったのである。実際のジャコモは小さい頃から素行が悪く、暇を見つけては同郷のジョバンニとリカルドを連れて窃盗や恐喝を繰りかえし、時おり強盗や強姦まではたらいていた。現にトリノやクーネオでは悪名が知れわたっており、警察が目をつけはじめたという噂まで耳にしている。犯罪癖のあるジャコモにとって、まだ素性の知れていないアスティは魅力的な土地でもあった。
もっとも、そうまでして手元に引きよせた上玉を何故ものにしないのか。当然のように湧く疑問を、ジョバンニはすかさず投げかけた。
「でもそんなおいしい話を、何でわざわざ俺たちに」
ジャコモは手元のグラスを傾け、酒を一口だけ喉に流し乾きを潤した。次いで何気なく左右を見回し、姿勢はそのままで声をいちだんと低く潜める。何かを企むときの、いつもの癖だった。
「デザイナーやってる母親が厳しくてな、門限を夕方に決めて遅らせようとしやがらねえ。男を避けてきたせいで時間きっちりに帰るし、それとなくモーテルに連れこもうとしてもうまく逃げられちまう。そこで俺が目をつけたのは、そいつが母娘ともども入ってるカルトの集会さ。はじめは俺ひとりでものにするつもりだったが、こうまで身持ちが固いとは思わなかった。向こうが来ねえなら、こっちから乗りこむまでだろ。スコットランド移民だって嘘八百もすぐに信じやがって、入っていいかどうか考えるって言ってよ。今度の集会はもうすぐ、春分の三月二十四日だそうだ」
「おい、待てよ。その集会に何人くるんだ」
「今度のはだいたい十人だってよ。場合によってはそれより少ないときもあるそうだ。十人ったって女と年寄りだけだし、店はちょっとした裏通りにある。邪魔な奴を除けとくのも、色々やりやすい。仮に後で俺たちのとこへ文句を言いに来ても、カルトに入ってるって事実はこっちが握ってる。世間じゃ知られてないようだし、そこをゆすりのネタにすりゃいい」
どのようにしてメイヴの家で目的を果たすか、ジャコモは事後処理まではっきり頭の中に描いていた。いかにも自信ありげな声色を耳にし、リカルドも期待を寄せる。ただ計画どおり事が進むか不安もあるようだった。
「で、俺たちもそこに行けるのか」
「はっきり名前は出しちゃいねえが、お前たちのことも言い含んである。一応、弟がいるってことにしてな。ま、それもあの世間知らずが首を縦に振ればの話だが」
「仮に行けたとしてだ。その場にいるのが十人じゃ、ちょっと多くねえか」
「たしかにな。おそらく近いうちに電話がかかってくる。その辺も含めて、さりげなく訊いてみるとするか。やれそうだったらお前らにもすぐに連絡するから、明日、明後日あたりは夕方あたり空けとけ。いつでも電話に出られるようにしろ」
「いい返事を待ってるぜ」
「ああ。じゃあ、ここらで前祝いといこうか」
ジャコモは二人とともにグラスを掲げ、残りを一気に飲みほし代わりを要求する。そしてつまみを口に放りこみながら、メイヴから報せを受けたあとのやりとりを思案した。集会の参加者が多かったときはどうすべきか、予定を変更しその日に何もしなかった場合は大人しく手を引くか否か、最後の詰めに余念がなかった。だがそれは杞憂に終わる。早くも翌日にメイヴからジャコモら三人が集会に参加できる旨と、急な欠席が相次いだためコノリー親子を除いて集会に参加するのはそのほか五人のみとの報が、さも嬉しげにもたらされたのである。
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