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三  奸計 ①

 遡って同じ年の二月、その母娘は忙しいながらも平穏な暮らしを営んでいた。住居はアスティの市街地にあるマンションの一角を占める、服飾店〈ケルズ〉。母であるキアラ・コノリーが店を取りしきる店舗兼住居だった。商品の幾つかには植物が絡みついたような珍しい装飾が施され、その多くに高額の値札がつけられている。キアラは衣服の修繕などの仕事に従事しながら、美的感覚の錬磨や知識、技術の習得に励み、最近になって服飾のデザイナー業をはじめていた。評判は上々、イタリア国内でも徐々に注目を集めつつある。アイルランド移民という経歴を全面に押しだした、ケルト文化を思わせる意匠が新鮮に受けとめられたのだ。おかげで客足は順調に伸び、当初は苦しかった店の経営も軌道に乗るようになってきていた。

 しかも店には、商品のほか客を引きつける目玉が二つもあった。ひとつは店主のキアラ本人であり、三十六歳ながら波打つ金髪と碧の瞳が特徴の誰もが認める美しい容姿が人々の目を惹きつけていた。快活な性格で人受けもよく、雑誌や新聞にもたびたび取材記事が掲載されており、地元ではちょっとした有名人でもあった。ただキアラはデザイナー業が忙しく、ここ一か月はなかなか店頭に顔を出せないでいる。この日の朝も前日の作業が深夜に及んだせいで、寝間着のまま部屋を出て眠たげに瞼をこすりリビングに足を運んでいた。

 そしてその先では店のもうひとつの目玉である娘のメイヴが、ちょうどテーブルに皿を置いてコーヒーを淹れようとしていた。容姿は母のキアラと瓜ふたつと言えるほど似通っており、身体つきにはまだ十五歳という年齢相応の未成熟さを残る一方、肌は透けるように白く、ところどころがこれから女らしく目吹こうとする間際の、この年頃の娘だけが放つ眩いばかりの美しさを備えている。長い髪は窓から差しこむ冬の朝日を受け、金色に輝いていた。

「お母さん、おはよう。もうすぐ朝食の用意ができるわ」

 娘の少女らしい澄んだ高い声に、キアラは心地よい目覚めをおぼえる。メイヴは気立てもよく、何も言われずとも母親より早く起床を済ませ、ほとんど毎朝のように朝食を用意していた。時間も規則ただしく、掛け時計に目をやると前日、前々日と同様に七時十五分を指している。

「おはよう、メイヴ。今日もありがとう」

「いただきましょう。お母さん」

「ええ。そうしましょう」

 棚から出したブリオッシュをメイヴが皿に載せるのを待ち、キアラは椅子に腰かけた。そうして主食と飲み物を交互に口に運ぶ間、眠りから覚めた頭でいつものように仕事の段取りを考える。衣服のデザインの依頼を三つ抱えているが、数日前から睡眠時間を削っているのに思うように作業が進んでいない。うち二つは翌日と翌々日に約束の期日が迫っている。他に必要な店の仕事もあり、このままでは到底終わりそうになかった。キアラは黙々と食事を続け、コーヒーの最後の一滴を喉に流しこんでから口を開いた。

「メイヴ、家の掃除が終わったら、今日も店番をお願いね。時間は午後の二時から六時まで。それ以外は家事と修繕をしておいてちょうだい」

「分かったわ。でもいつまで続くの」

「あと一週間したら少しは落ち着くから、もう少し我慢して」

「お母さんが出られないなら仕方ないけど、それが終わったら店番の時間を短くしてくれないかしら。その代わり裁縫のお仕事はもっとたくさん出来るようにするから。お願い」

 メイヴには中学校を卒業したあと、これまで九か月弱にわたり店の手伝いをさせていた。はじめに接客を、次いで服の修繕をそれぞれ懇切丁寧に教えたのである。その甲斐もあってか、先月あたりから客の少ない時間帯には両方を同時にこなすなど、すでに店の貴重な労働力となっていた。

 だがキアラは、ただの手伝いで娘に店番をさせているのではない。何しろずば抜けた美貌の持ち主である娘は、もはや自身に代わる店の目玉なのだ。いくらデザイナー業が順調でも家賃は安くはなく、離婚した夫からの養育費も支払いが遅れる月があり、店の売り上げや貯蓄は多ければ多いほどありがたい。店番をさせるだけで仕事を運んでくる自慢の看板娘を、人目につかない店の奥に引っ込めるなどもっての他だった。にも関わらず当人には自覚がないらしく、キアラはこれを機会に言って聞かせようとする。

「悪いけど駄目よ。あなたが中学校を出て店番をするようになってから、お客さんもずいぶん増えたのよ。しばらくは続けてもらうわ」

「前はあんなに多くなかったの」

「そうよ。去年の春と秋では、お客さんの数が違うのに気づかないの。特にあなたと同じか、少し上くらいの男の子がよく来るでしょ」

「ちょっと、そんなことのために私を店に置くの」

「そう、あなたが目的よ。おかげで高校生くらいの子が、よく服の直しに来るようになったわ。この間なんか、ジャコモって言ったかしら、同じ服に二度も穴あけてここに来てた」

「そんなの、お客さんに悪いわ」

「悪くないわよ。だってその子が勝手に服を破ったんだから」

「それに困るわ。私、男の人あんまり得意じゃないし」

 メイヴは容姿こそ母親によく似ていたものの、社交性に関してはまったく正反対だった。かなりの人見知りで、キアラがこういった類の話を振るといつも顔を曇らせるのである。この日も困った様子で食事の手を止めていた。小さい頃からここアスティで暮らしているのに、男たちにかけられる挨拶がわりの軟派な口説き文句が苦手なのだ。もっとも開放的なイタリア娘とは対照的な大人しい態度が、近所の若者の間で評判にもなっている。

「やっぱり中学校のことで嫌になってるの」

「ええ。やっぱり信仰がどうとか、教会の話で嫌な目に遭ったから」

 ただ、そのように育ったのには理由があった。母娘の宗教が原因である。二人はイタリアに住んでいながらカトリックではなく、アイルランド移民の多くが属している国教会でもなかった。それどころか一見すると何の変哲もないこの部屋には、よその家なら必ず置いてある聖書や十字架の類がどこにもないのである。

 母娘はキリスト教徒に言わせればまったくの異教徒である、俗に言うドルイド教の流れをくむ魔女宗(ウィッカ)の信者だった。祈りを捧げる対象もケルトの女神であり、その機会も年に八回開かれる信者同士の集会に限られる。したがってメイヴはほとんど全てがカトリックで占められる周りの子どもたちと話が合わず、小学校でも中学校でも奇異の目で見られ、一時は毎日のようにいじめに遭っては泣いて学校から帰ってきたものだった。

「だったら今度の集会に出るのは止めてもいいのよ。あなたがそんな調子じゃ悪いわ」

 そのためキアラは、いちど二人してカトリックに改宗しようとしたことがある。まだアイルランドにいたとき周囲の薦めで魔女宗に入信はしたが、果たして娘の幸せを犠牲にしてまで信仰を貫くべきかと迷っての提案だった。ところが気が弱いくせに妙に頑固なところのあるメイヴは、それを拒んで何とか中学校の卒業まで乗りきった。イタリア国内にもきわめて少数ながらアイルランド移民による魔女宗の共同体(コミュニティ)があり、もしかすると心情的に彼らと離れたくなかっただけかも知れない。

「いいえ、私はそんなつもりで言ったんじゃないの。嫌なことをされたのが男子からの方が多かったから、何となく苦手なだけなの」

「そういうことなの。でもね、小さい頃はちょっとくらい引っ込み思案でも良かったけど、いつまでもそんな調子じゃ困るわ。こっちの仕事が暇な時はたまにだったら店番を休んでもいいから、そろそろ男の子とお付きあいする方法を覚えなさい」

 キアラの願う娘の幸せには、健全な異性関係も含まれている。さすがに結婚は早すぎるが、程度は別にして十五ともなれば恋愛のひとつやふたつは経験していても悪くはない。若い頃に異性から遠ざけられたキアラ自身が、相手の性格を見抜けず不幸な結婚生活を送っただけに、なおのこと娘には同じ轍を踏んでほしくないとの願いがあった。

「毎日、朝ご飯を用意してもらってるのにごめんなさい。でも、あなたを困らせようとして言ってるわけじゃないのよ。それじゃ、ごちそうさま」

 自ら話をしておきながら気まずくなり、キアラはそそくさと席を立つ。メイヴはやもすると理不尽とも受けとれる小言を言われたのに、俯きこそすれ悪態ひとつついていない。どうやら娘なりに忠告を耳に入れているようだった。その様子を尻目にリビングの扉を閉め、クローゼットを開けて適当にそのうちの一着を取りあげる。相当に着古したそれは裾がひどくよれていたが、構うことはない。人に会う機会も少ないからだ。キアラは迷いなく寝間着を床に落とした。

お読みいただきまして,感想と評価をいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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