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十三 慟哭 ①

 十日後、リベラは司教座の執務室に足を踏みいれていた。目の前のアルトベッリは、落ち着いた手つきで執務室の扉を開ける。この日は前後に予定がない旨を確認していたため、時間を気がねするような素振りはなかった。

「ようこそお越しくださいました、どうぞ」

「よろしいでしょうか。では失礼します」

 勧められるまま椅子に腰かけ、様々な資料を詰めこんだ鞄を足下に置いた。絨毯の毛がたわみ、大きく沈む。

「リベラ神父、今日はどのようなご用件でしょう」

 二週間まえに電話をしたときと同じく、大した不信感や警戒感は抱いていない。ただ休養中の身でありながらわざわざ面会を求めたことから、何らかの意図を察しているらしい。リベラはいつもは交わす時候の挨拶を省き、単刀直入に話を切りだした。

「先日のお電話と同様、ロマーノ神父についてお話をしたくお伺いいたしました」

「その件は、引きつづき検邪聖省の管轄にあります。あなた自身もまだお疲れでしょう」

「まったく本調子に戻ったと言えば嘘にはなります。しかし検邪聖省の手にあっても、例の件について回復に成功したというお話は未だに伺っておりません。またロマーノ神父の執りおこなった儀式において、少なくとも私の見落としていた看過できない事実が確認され、そしてそれが被術者であるあの娘さんを治療するのに大きな助けになるのではないかと考えましたので、ご報告に参りました」

 仕草を窺うに、アルトベッリは相変わらず柔らかい物腰を崩さずにいながら、何となく緊張しているのがそこかしこに見てとれた。都合の悪いことを口にされるのではと予感しているようでもある。とはいえメイヴを快方に向かわせる手がかりと言われては無下に退けるわけにはいかないのか、すぐに元の余裕を取りもどし改めて腰を椅子の上に据えた。

「あの娘さんを治療できるというのなら、お聞きしましょう」

「では」

 返事を受け、リベラは鞄を開いて中から資料を取りだした。メモ帳のほかにノート、様々な本や冊子、テープレコーダーまである。そのうちまずはメモ帳を開き、記載されている事柄を一つひとつ目で追った。

「葬儀が終わったあと、ロマーノ神父が儀式の最中に聞きなれない言葉を発したことはご報告したかと思います。その際、私はあれはドイツ語ではなかったかと申しあげましたが、やはり予想どおりでした」

「それは確かですか」

「間違いありません。私が告解を行っていた方がドイツ語を喋れたのですが、その方に少しご質問したところ、私の記憶にある響きとまったく同じ言葉を聞かせてくれました」

「ちなみに、何という言葉ですか」

「〝Wer ist da? 〟です。お前は何だ、という意味です。対話の当初に発した言葉ですし、直後のやりとりと照らし合わせても筋が通ります」

「しかし証拠がありません」

「あります。椦邪聖省が回収したテープに録音されているはずです」

「あれが外部への持ち出し禁止になっていることは、前にお話ししましたが」

「確認すべきだと思いませんか。椦邪聖省も気づいているでしょう。何しろロマーノ神父の履歴には、ドイツ語の会話ができるとはどこにも書かれていないのですから。気づいていなければ指摘すべきです」

 アルトベッリは少しのあいだ口を噤んだ。ロマーノの履歴にその記述がないことは、電話でも確認した。無視できないのは当然でも、不自然なまでに表情に変化がない。長らく師弟の間柄にあってさえそれを知らなかったとすれば、少しは驚いてもよさそうなはずなのにである。

「事実だとすれば確かめたいところではあります。しかし、いまテープを再確認するのは難しいでしょう。記憶だけでは証拠にはなりません。また、それが娘さんを治療するのと、どういった関わりがあるのでしょうか」

「はい。順を追ってご説明いたしますと、ロマーノ神父がドイツ語を理解できた可能性が高いことに思いあたったとき、私は不審に思いました。なぜそれを隠していたのか。普通に考えれば隠す必要はありません。より多くの言語に通じていれば、その分だけ沢山の文献に当たることができます。神学の論文や書物には、ドイツ語で書かれたものもありますから」

「ええ、確かに」

「それから、今際の際のやりとりも気になりました。相手がロマーノ神父の縁者を装い、ある種の誘惑をかけたように聞こえたのです。そこで何か我々にも隠していた秘密があったのではないかと探ってみたところ、手がかりが見つかりました。これです。お分かりになりますか」

 リベラは資料の中から箱を手に取り、テーブルの上に置いた。ロマーノの部屋から見つかった、あの古びた小箱である。蓋を開けると、アルトベッリは不思議そうに一点を凝視した。

「いいえ。何でしょう」

「羊膜です。人のものです。内科の医師に確認を取りましたから間違いはありません。私はそれを知ったとき、奇妙に思いました。出産の際に排出される羊膜は、大抵その場で捨てられてしまいますので。しかしイタリアでは、というより正しくは比較的最近になってイタリアの一部となった地域では特別な意味をもっていたようです。通常、人が母親の胎内から出てくるとき羊膜は大なり小なり破れていますが、希に破れていないこともあり、フリウリではそうして生まれてきた者をベナンダンティという祈祷師にするそうです。毎年、斎の日の木曜日に人々の夢に入りこみ、茴香をもって悪霊を祓うベナンダンティという祈祷師に。むろん我々の教えに基づくものではなく、キリスト教ではない土着の信仰に由来する風習です。すでに失われた伝統ではありますが、トリエステの文書館に古い異端審問の記録が残されています」

 リベラはこの十日間、教会を離れてイタリア各地を飛びまわっていた。アルトベッリの前で開いてみせたノートには、トリエステの文書館で写しとった古文書が張りつけられている。それだけではない。しばらく手に触れまいとした民族学、歴史学の学会誌を読みかえし、虱潰しにベナンダンティに関する記述がないかを徹底的に調べつくした。トリエステに資料があるという情報も、そこから手に入れたのである。以前、コノリー親子が信仰する魔女宗の真偽について問われた際、民族学者としての知識が役に立った。それはこのときも同様だったが、書物を漁るリベラの心情は大きく違っていた。かつてのような苦々しさや、忌々しさは微塵も感じていなかった。

「しかし羊膜を取っておいたからといって、ロマーノ神父のものだと断言できますか。そのうえベナンダンティでしたか、それだとも言い切れないでしょう」

 アルトベッリはベナンダンティの名を耳にして、一段と顔を強ばらせた。リベラは強い確信を得る。いま眼前に座っているロマーノの師、もう一人の育ての親といってもよい人物は、はじめから全てを知っている。それでも首を縦には振らないのを見、次にはあの記者がフィレンツェの国立中央図書館で探しあてたのと同じ、古い新聞記事の写しを指ししめした。

「いいえ。確実に関わりがあると断言できるのです」

 過去にプルフェロで起こった事件の顛末を突きつけるように、記事を一字一句たがわず読みあげる。だめ押しとばかりに箱の蓋を裏返してみせた。

「そのときの子供の名前がロマーノ・バルトロッティ。証拠に、羊膜をしまっていた箱の蓋にも裏に同じ姓が記されています。名の方は消されていますが、これだけでもほぼ間違いありません」

 それでも、なおアルトベッリは食いさがる。リベラの話が初耳であるならば、バルトロッティと名が記されているのを目にして驚くはずなのにそうした色を見せない。あからさまに真実を覆いかくそうとする。

「それはあなたの推測ではありませんか。同姓同名の可能性もあるでしょう。だいいちベナンダンディの伝統は廃れたのではありませんか。羊膜を取っておいたからといって、ロマーノ神父がそうだとは限らないでしょう」

「いちど途絶えたベナンダンティの伝統も、甦った可能性があるのです。現にコノリー親子の信仰している魔女宗は、古代の土着信仰を復活させる動きの中から生まれたものです。そこで私は現地に伺いました。当時の新聞記事で名前も分かっています。もしかすると母親がその土地に留まっているのではと思いまして」

 リベラはフィレンツェ、トリエステの他にプルフェロにまで足を運んでいた。移動のみならず行く先々での事実確認は多大な労力を伴ったが、疑問を晴らすためとあらば苦とは思わなかった。話を続ける傍ら、そのときのことを思いかえす。筆舌に尽くしがたい秘密を親友である自分にさえ押し隠してきたロマーノの心情を慮ると、いかにアルトベッリが相手といえどこれらの事実を口にするのは忍びない。しかし真相を質すために必要なのだ。リベラは重い唇を開いた。

「案の定、母親はプルフェロに留まっていました。よそへ引っ越そうにも受け入れ先がなく、どうにか周囲の方々を頼って暮らしていました。プルフェロではドイツ語しか使えない方も多く、親戚の方に通訳いただきながらではありましたが、筋の通ったお話もできました。結果、私の考えが推測ではなく、事実であることが確認できました。当時七歳であったロマーノは父親とともに村を出て行方不明。私が何も言わなくても、左のこめかみに切り傷の痕があると証言までしてくれました。古い、まだ修練院を出たばかりのときの写真を見せると傷の形から息子で間違いない、この小箱も自分が渡したものだと仰いました。また当時、そして今もなおベナンダンティを自称しているのもアイルランドにおける魔女宗を知ったことがきっかけで、かつてフリウリで受け継がれ、いちど失われた伝統を取りもどすためだと。このやりとりは記録もしてあります。その場に立ちあってくださった証人もいるので、疑われるなら大司教の方で再確認していただいても結構です。ロマーノ神父……パオロが養子に取られて義理のお父さまに育てられたというのは、僧籍に入るまでの経歴を隠すための偽りですね。大司教、修練院に入ったときからあなたとパオロは師弟の関係にありました。ご存じだったはずです」

 アルトベッリはそこで観念したらしく、大きく息をついた。もっとも、具体的に何をどう覚ったかまでは読みとれない。深く俯いて足元に目を落とし、沈んだ声で小さく呟く。

「どうして分かったのです。きっかけは何ですか」

 リベラは問われるままに〈ストリラ・ディ・トルエ〉紙の切り抜きと、ロマーノの所持していたノートをテーブルの上に広げた。後者にはメイヴの治療に関する所見が記されている。

「〈聖なる厩〉教会の皆さんに頼まれてパオロの遺品を整理したところ、このようなメモが見つかりまして。私はおかしいと思ったのです。最初は被術者がキリスト教徒ではない事実を踏まえ、従来の方法に囚われず儀式を行うべしと書かれているのに、あとになって取り消すように上から何重にも線が引かれていたのですから。実際パオロはそのメモのとおり、従来の典礼に則って治療に臨みました。これは途中で何かあったに違いないと思い、それらしきものに当たってみた結果、見事に当たりました。この新聞報道です」

 アルトベッリは切り抜きを手元に置き、まじまじと見つめる。表情から険しさは消えていた。ぼんやり遠くを眺めるような目つきだった。

「私も記者の方にお会いして、どのような経緯で本番の儀式を行う前に情報を手に入れたかをお訊きしたのです。すると会社に寄せられた匿名の投書にしたがって記事を書いたとのお答えをいただきました。おまけにパオロも新聞報道に至った経緯を問いただすため、記者の方と会っていたというではありませんか。パオロは気づいていたのです。これが教皇庁か教会関係者のうち、かなり強硬な保守派の仕業だということを」

 もしこれらの話を否定されたのなら、もしくは真偽が疑われたのであれば、リベラはすぐさま記者に素性を明かしたうえで連絡を入れ、今この場で実物の当初を突きつけて事実を再確認するつもりでいた。あるいは一切を認めようとしない場合、真相を報道させると揺さぶりをかけるつもりでいた。だがそれには及ばない。すでにアルトベッリは全てを認めている。

「なるほど」

 そう短く言ったきり、しばらく黙る。息子同然であったロマーノへ強い圧力がかけられていたというのに、驚いたり、あるいは怒るような仕草はつゆも見せない。

「保守派がここまでするとは。証拠はありませんが、間違いないでしょう。教皇猊下のご意志を曲げて、試みを止めようとしたのですね。もっとも当てが外れたようですけれども。それに考えようによっては、ある意味において成功といっていいかも知れません。この件について別の妨害行為をはたらいた疑いで、すでに内応者が処分されています。同一人物であるかどうかは分かりませんが、改めて追求するよう教皇庁に進言します。処分自体は公になされませんが、人事で誰の目にも明らかになるでしょう。パオロ、可哀想に。結局は教会内部の争いの犠牲になってしまいました。こんなはずではなかったのです」

お読みいただきまして,感想と評価をいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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