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第十話 「戦闘と迷子」

 我は学習した。

 この世界では、戦う前にまず、弁えておかなければならない事がある。

 この身体には元の世界にはあった、尻尾が無い。

 鋼よりも硬い鱗に覆われた、強靭にして俊敏な尻尾が無い。それはつまり、手足に続く武器である尻尾が使えないということで、太い尾で向かい来る敵を薙ぎ払うことも、叩き潰すこともできない、ということだ。

 その意味では、手足に鋭い爪が無いのも困りものだった。しかしそれは、無名としても剣があれば用は足りる。長さの分間合いが稼げてむしろ有利ととれるのかもしれない。

 また一つ、元の世界ではその身の延長のように、我が意志に従って自在に操れていた自然の力が使えない。

 夜の森で試してみたところ、火も風も水も大地も、この世界にとって我が存在など毛先ほどの価値も無いかのように、見向きもしなかった。時が過ぎればなんとかなりそうな気もするが、しばらくは念動力の類で攻撃を加えることも、防ぐこともできそうにない。

 ここでは、それらを念頭に、戦わなければならない。

 右から迫る炎の玉を、我は見えない障壁----ではなく、手にした剣で打ち払う。

 斜め後ろから剣で向かい来る新手の一人、平たいトカゲ顔の兵士を尻尾で叩く----のではなく、余裕をもって振り返り、斬り掛かる刃を剣で受け、押し流す。

 間合い深く入り込んだ相手を、つい足蹴にしてしまうのはご愛嬌だ。そういう剣技でもない限り、記憶にある勇者はそんな不格好な真似はしていないから、真っ当な剣士ならばしないのではないか。実際、視界の端でもう一人の新手、黒い肌で大きな耳の兵士に向かって行ったミリリアが、ぎょっと目を剥いたのが見えた。

 思い掛けない追撃に、トカゲは「ぐえ」と背後に数歩よろめいた。

 逆に反動でやや体勢の崩れた我を、左からカエルが、後ろから大鬼が襲った。

 次に、気をつけておかなければならない事がある。

 この身体の現在の腕力、脚力、体力----それから身体の頑強さのようなものまで全て。元の身体のそれと比べると、遥かに、見る影も無く、見劣りする、という事実。

 今の蹴りにしても、あまり効果があったようには見えない。鱗の無い腹とはいえそこは硬い鎧で守られていて、トカゲは直ぐに立ち直った。これが元の世界なら----そもそも争いにさえなっていないだろうが、金属板の鎧ごと粉砕し、それだけで勝敗は決していた。

 そんな弱まった身体の力に反して、戦況を把握する視野の広さや認識力、頭の回転は、元の能力とほとんど変わっていなかった。

 それが厄介だ。

 現在の身体で対応できること以上のものが『見えて』しまう。

 感覚が捉えられても、身体は反応できない。

 その齟齬が大きな隙を呼び----結果、転ぶ。

 だから背後の死角から狙われていると分かるこんな状況でも、無理な体勢のまま咄嗟に回避してはいけない。

 一呼吸おく。

 それで充分だ。

 その間に、力の流れに沿って上げた足を地面に戻し、体勢を整え、

 そして一つ一つ手順を追うように片付けていく。

 先に来たのはカエル。その剣を受ける。

 次の大鬼の拳は、受ける気にはならない。

 脇に避けようにもそこにはトカゲがいて、既に剣を構えている。

 しかし背後から攻撃される心配は無い。

 そのさらに向こうに、ミリリアが跳ねるようにやって来るのが見えた。

 それでもそこに隙間が無いのは変わらない。

 仕方ないのでカエルを突き崩す。

 視界の端で大鬼の拳が振り下ろされる寸前、

 カエルの猛攻に押されている----と見せ掛けていた我は、カエルが刃を戻したほんの僅かな隙を見計らって押し返すと、

 さっと振り返り巨大な拳を避けた。

 そのまま踏み込む。

 鎧の無い脇腹を目掛けて、剣を走らせる。

 正直、頭で考えながら戦う性質(たち)ではないから、箱の中に押し込められているようで気持ちが悪い。それでも今は辛抱するほかない。それも得意な分野ではないのだが。

「ぎゃあ!」

 大鬼は声を上げて蹌踉けた。----が、倒れはしなかった。

 脇に回り込む我を、怒りに燃えた三つの目が睨む。

 その瞬間。

「!」

 全身が鎖に捕われたように動かなくなった。

「シェロナ様っ!」

 舐めた真似を。

 これがこやつ特有の魔力か。

 この程度の眼力で、我を縛れるとでも思ったか。

 などと、翡翠の眼差し険しく思うものの、

 どれだけ力を込めても体はうんともすんとも動かない。

 硬く握り込まれた拳。筋肉の盛り上がる腕、肩。加えて巨漢の全身で押し潰そうとする一撃が、目前に迫る。

 どずぅッ!

 地響きが中庭を揺るがし、

 砂埃が舞った。

「----目力で拘束するのなら、最低でも、相手を石化させるくらいの気概を見せろ」

 砂埃から跳び出し、後ろを取る。

 巨大な拳が直撃する、そのほんの僅か前に拘束が解けたのだ。

 もともと長続きしないものだったのか、我が弾き飛ばしたのかどうかは知らない。我はこれまでに似たような能力を持つ幻獣(ケモノ)どもと何度となく渡り合ってきたのだ。その一瞬を逃すはずがない。

 必殺の一撃を外された大鬼の背は、がら空きだった。

 黒い三つ編みの垂れる大きな背を、一刀に斬り伏せる。

 大鬼はもう一度地響きを立て、砕けた石畳の上に崩れ落ちた。

 我は直ぐさま、岩肌のカエルに向かう。

 カエルはぎくりと身を震わせてから逃げ腰の剣で受けた。

 怯んだ相手ほど与し易いものはない。こちらの気勢に負けたカエルの手から、剣を弾き飛ばす。開いた胴に体当たり気味の足蹴り。仰向けに転がったカエルの無防備な喉に目掛けて、我は体重を乗せた肘を落とす。表面は岩のようでも、内部の構造に大差は無い。充分な力が加われば、それは内にまで達して苦しいに違いないはずだ。

 カエルは口から呻きと共にか細い炎を吐き出して、動かなくなった。

 ……少々、こちらの肘も痛かったが。

 カエルの傍らに膝を立てて体を起こすと、我の耳に高く澄んだ裂帛の気合いが届いた。

 振り返って見れば、そこではミリリアがちょうどトカゲの姿の兵士を討ち取るところだった。そのトカゲは、早々に黒肌の兵士を倒したミリリアのすばやい剣技に翻弄され、こちらに手が出せなくなっていたのだ。

 膝を付いたトカゲが前のめりに倒れる。二股の尻尾が反動で跳ね上がり、力を失って芝の上に落ちる。

 そうして、

 中庭に立っているのは、我とミリリアの二人だけになった。

 静けさに、我はそっと息を抜く。

 いつまた増援が来るか分からないが----いま直ぐではなさそうだ。

 とりあえず一段落付いたと見て取って、肩で荒い呼吸を繰り返すミリリアが、息を整える暇もなく馬車----をどういうわけか改造した代物に、跳ねるように駆けて行った。

 あの娘のことだ。大方あの中に王女がいるとでも思い込んで、兵士にもかまわず向かっていったのだろう。ミリリアが扉を開け放ち、目に見えて肩を落とす。

 それを尻目に、我は手にした己の剣に目を落とした。

「ふむ」

 ----これでは弱い、か。

 我は刃に沿って視線を上げ、小首を傾げる。

 手を抜いたわけではないが、独りで試すだけでは分からない現在の己の力の上限を、量るつもりで剣を振るってみたのだ。あの森での失敗は大いに反省させられた。故に今度は慎重に、控え目に。しかしこれではまだ余力があった。もう少し踏み込んでも平気だろう。なかなか加減が難しい。少しずつ、擦り合わせる。

 いつかのように手の平に視線を落とし、なんとなく開閉を繰り返す。

 拳を握り締めたところで、我は顔を上げた。

「----さて」

 ミリリアが身軽に側にやって来る。

 丸い青の瞳で下から真っ直ぐ我の顔を見上げてから、深く頭を下げた。

「ありがとうございました。

 本当に助かりました。

 ……情けない、かぎりです」

 背の三つ編みを跳ねさせて形の良い頭頂を上げると、娘は眉を寄せ、肩をすぼめて項垂れた。我はその様子にちらりとだけ視線をやって、中庭に点々と倒れる兵士どもを見渡した。

 その中の一人に目を付ける。

 今し方ミリリアが倒したトカゲだ。

 全身を鱗に守られたこやつならば、ミリリアに斬られてもそう深手にはなっていないだろう。ぐったりと力無く横たわる様は自由に動けそうもなかったが、寝言のように唸って尻尾の先を弱々しく捩っている。

 我はその傍らに膝を付き、うつ伏せに転がるトカゲの体を返して胸ぐらを掴んだ。

「なにをしているのですか?」

 後を付いて来たミリリアが、不思議そうにのぞき込むのにもかまわず。

 我はトカゲの兵士を激しく揺さぶった。

「起きろ」

 ついでに軽い平手をその横面にくれてやる。

「ぐえ? ゲ?」

 するとトカゲは横開きする瞼を瞬かせて目を覚ました。

 気が付いた途端「ぎゃっ」と声を上げ、逃れようとする。しかし我が押さえ付けるまでもなく動かなくなった。致命傷ではないものの、ミリリアの剣筋は丁寧にツボを捉えている。さっきの今では動けるはずがない。

 体を走り抜ける痛みに呻くトカゲは、それでもギッと我を睨んだ。

「なんだ! なんのマネだ人間!」

「嫌われ者の隊長は、どこにいる」

 抵抗できないと分かって声を張り上げるトカゲを静かに見据えて、我は言った。剣の切っ先を見えるようにその鼻先に突き付ける。ミリリアが息を呑む気配がした。トカゲは目の前にある刃の先端に思わず目を向けてしまってから、訝しく片目を細める。

 偶々見掛けたミリリアをわざわざ助けにきたのは、つまりこういう理由(わけ)だった。

 この中庭には、いかにも思わせぶりな馬車があった。罠に見えなくもないが、まさか侵入を予見していたわけでもあるまい。その怪しい馬車に引き寄せられた侵入者のミリリアと、そこにいた兵士が交戦し始めたことは偶然だったのだろう。しかし中庭は目立つ。直ぐに上の者に報せが行くはずだ。

 そうなれば、魔物共の長が直接侵入者を捕らえる為に、この場に姿を現すかもしれない。中庭に面したどこかの窓から、戦いを観察するとも考えられた。それを見極めようと、我は直ぐに手を出さず、身を潜めて中庭周辺の様子を窺っていたのだ。

 残念ながら、それらしい者の姿は見受けられなかったが。子供にしか見えないミリリアを餌にして、他にもいるだろう仲間を誘き寄せようという算段なのか。

 ならば乗ってやる。

 それは我も同じ考えだ。

 奴らが〈勇者〉という存在を知っているのかは分からない。しかし仲間の窮地を救いに我が身を顧みず来たとなれば、それは魔物が思い描く英雄像に近いに違いない。我を人間の中でも重要な人物と思わせられれば、隊長が出てくる可能性は高くなる。

 結果として、それも不発だった。

 まあ良い。それもまた考慮の内だ。

 こうして、蹴散らした兵士から居場所を聞き出せばいい。

 トカゲは「ケッ」と吐き捨て、平らな顔に沿って切れ込みを入れたような口の端から、赤い舌をチロチロと伸び縮みさせた。

「聞かれたってしゃべるか!

 バカにすんな人間!

 たいちょおだあ? なんでそんなこと聞きたがる!

 どうせおまえたちの目当てなんて、王女か人質だろ!」

「……」

 先の割れた舌が嘲るように出入りする様は、目障りだった。その舌を掴んで引き千切りたい衝動に駆られる。が、それは自重して眉を寄せるに止める。話が続かなくなる。

 我は殊更音を立てて剣を握り直した。

 かちゃりと鳴る刃に、トカゲがまた目を泳がせる。

「我は勇者だ。

 この城を取り返しに来た。

 おまえたちの長に会うのは当然だ」

「ゆ、ゆうしゃあ〜?

 勇者って、あの勇者か?

 マジだったのか。あれもただの気にしィじゃなかったんだな」

「あの、でも。これでは勇者というより、ちょっと悪者っぽいですよ。

 もう少し穏便に……」

「重ねては問わぬ。答えろ」

 胸ぐらを掴み直す。助けを求めてあちらこちらへ視線を飛ばすトカゲが、身を縮めて慌てた。それを我は冷めた瞳を細めて見下ろす。

 その時----、

 気配だ。

 胸騒ぎよりも確かな感覚に顔を上げる。

 刹那、


 体が弾き飛ばされた。


 城の壁に激突する。

 濃い緑の植え込みに落ちる。

 小娘の悲鳴を聞いた気がしたが、石壁に強かに全身を打ち付け、細い枝々の中に埋もれてそれどころではなかった。

 動けない。

 息が詰まる。

 顔に降り掛かるのは、砕けた石の欠片か。

「----寸前で防御したか。

 さすがは〈勇者〉、と言ったところか……」

 さっきまでは無かった声が、霞の中にある耳に届いた。

 低く抑えた、それでいてざらりと耳に障る不吉な響き。

 我は枝葉に身を預けたまま、詰まった喉を解すように咳をする。

 顎を引くのも億劫に……声のする方を見遣った。

 倒れるトカゲ。

 身構えるミリリア。

 その中間に、それはいた。

 恐らく、我を弾き飛ばした反動から後ろに跳ね返って、音も無く着地したのだろう。それは優雅とも見えるしなやかな動きで体を起こした。

 その顔には、仮面があった。

 厳めしく口を横に引いた憤怒の形相。上下に生える尖った牙は金に塗られ、隆々と波打つ頬の、深い焦げ茶の地色に良く栄える。鬼の面だ。質感は木か。

 それが獣を思わせる頭の下半分----少し前へ出た鼻面を覆う。面の無い部分もほとんどが頭巾のような布で覆われていて、その表情は強く光る金の瞳でしか分からない。

 鬼の面の次に目立って見える頭の上の大きな三角耳が、神経質に忙しなく動いた。

「----数日前のことだ。ここから程近い人間の土地で、大きな魔力の動きがあった。

 やはり勇者を召喚していたか」

 仮面の陰でくぐもった低い声が言う。

「……」

 確かに。薄い色の短い毛で覆われた体は細身で背も高く、鎧を着ていてさえひょろっとして見える。しかしあれは----野獣のそれだ。巨漢の大鬼の盛り上がった筋肉とは質が違う。柔軟でバネのある筋肉が無駄無く全身を包む。森林や岩山をすばやく、そしてしなやかに駆け回る獣を思わせた。

 どこからわいたのか。

 我は身を横たわらせたまま視線だけで先を追う。

 さっきまで我がいた場所。いま奴がいる場所。

 直線で結んだ先の上方を見れば、そこには壁のない回廊がある。

 こことは真反対の奥まった位置にある三階のその場所から、己の脚力だけで瞬時に距離を詰め、その勢いに任せて我を蹴り飛ばした、ということか。

 前評判は著しく低かったが、それは人格に限ったことらしい。

 我は口を出さず、ただ正面の相手を見据える。

 自らの頭の天辺----耳の先よりも長く延びる細い尻尾が、大きく弧を描き緩やかにくねる。鬼の仮面の隊長は、悠然と腕を組んでみせた。

「貴様が所望したとおり、私がこの部隊の長ドルギヌスだ。

 貴様は殺さぬ。勇者というのは、一度に一人ずつしか呼べぬようだからな。

 捕らえて王女と共に大魔王様へ献上してくれる」

 笑った、のか。

 強いてゆっくりさせた勿体ぶった話し方をする。どこまでも静かな落ち着いた口調に、ほんの微かだが喜色が混じった。その声も耳にしこりのように引っ掛かって、胸をざわつかせる。

 ドルギヌスが片手を挙げ、手首で合図を送ると、中庭の両辺からまた新たに二人ずつ兵士が現れた。取り囲むには少ないが、壁の向こうに伏兵がいないとも限らない。

「…………」

 我は少しばかり青みの強くなった翠玉の瞳を細めてから、とりあえず身を起こした。

 いつの間にか手放していた剣を茂みの中に見付け拾う。体のあちこちに付いた葉くずを払う。立ち上がる。体を伸ばす。支障はない。枝で引っ掻いた擦り傷が無数についているくらいだ。

 少々唐突だったものの、隊長が現れたことは我にとっても思惑通りだった。

 ならば、やることは決まっている。

 増えた魔物の兵士を警戒して注意深く距離を測るミリリアが、こちらにも心配そうな視線を寄越していた。かまわず我は、毛の先に残った葉を摘んで捨てる。それから剣の重みを確かめて、仰々しい言動が鼻につく魔物と対峙する。

 と、ドルギヌスが耳を動かし首を傾げた。頭巾のせいでそこだけらんらんと光って見える金の瞳が、疑問を露に細くなる。

「貴様、人間か?

 なんだ、その角は」

 ----またそれか。

 いちいち答えるのも煩わしい。我は息を抜いて顔を背ける。

 それがどうしたというのか。

 ドルギヌスは我の仕草を目で追って、目の端を歪めた。それから強いて鼻先で笑ってみせる。ゆらりと長い尻尾が波を打った。実際に目にすると、あの見張り共の愚痴もうなずける気がした。

「別の世界から召喚される〈勇者〉というのは、なにも人間に限ったものではない、ということか。

 異世界とはいっても、我らの方に属する生物には違いあるまい。事情はどうあれ、人間に与するとは。魔族の風上にも置けぬ輩め。恥を知れ」

 視線だけを戻す。

 厳めしくも恐ろしげな仮面の下に隠された表情は分からない。しかしその声には嫌悪がはっきりと滲み出ていた。語気が荒くなる。両の眼もまた、雄弁に心の内を物語った。

 その言葉は、

 まるで我に響かない。

 ため息が零れる。

「こちらの考えなど知らぬ。

 我は我の欲するまま動く、それだけだ」

「なんだと」

「御託はいい。

 おまえを討てば、それで終わる」

 ----至極、簡単。

 手の中の刃を返し、地を蹴った。

 大上段からの全体重をかけた一振り。

 ぎぃんっ!

 それは予想通り、この城を占拠した魔物共の大将ドルギヌスに、難なく受け止められた。まるで構えなど取っていなかったにも関わらず、いつの間にか細かな装飾の入った鞘から剣を抜き放って、待ち構えるかのように防がれている。

 間近に睨み合う金の瞳が嘲る形に歪む。

「恥知らずの上、野蛮か。

 手順も弁えていないとは。底も知れるというものだな」

 我は思わず口の端を上げて笑った。

 そんなモノが分かるのならば、こちらが教えてほしいくらいだ。

 一瞬の攻防。

 一拍遅れて、ドルギヌスと共にやって来た兵士共が事態に気付き、気色ばむ。それらと睨み合っていたミリリアもまた我に返って視線を彷徨わせる。こちらに加勢したいができない。その板挟みに剣先が心許なく揺れる。

 我と剣を合わせたままのドルギヌスが、そちらを見もせずに言った。

「かまわぬ。手を出すな。そこでじっとしていろ。

 否、そこの小さな人間が妙な動きをせぬよう見張っておけ」

 変わらず腰の座った口調で指示を出す。

 余裕ぶっていられるのは、我の力量を把握しているからか。先程の戦いを、やはりどこからか見物でもしていたのだろう。しかし。

 ----もう少し、強くいく。

 呼吸を見計らって、我はドルギヌスを切り崩した。

 意外さに三角耳が後ろに二歩、蹌踉ける。

 それを追って、我は畳み掛けるように前へ出た。

 前よりも、踏み込む足に自重を乗せる。

 剣をすばやく振るい、刃を返す。斬り裂く腕に力を込める。

 少しくらい無理な姿勢だろうと、気にせず次の行動に移る。

 相手の切っ先も、見える限りぎりぎりでかわす。

 つっ……と、ドルギヌスの反撃の刃が弧を描いて、我の服を浅く斬った。

 先程よりも確実に力を増した我が剣に、魔物の隊長は敏感に気付いて驚いた様子を見せたが、しかしそれも始めだけだった。ドルギヌスは直ぐに持ち直し、攻撃に転じる。

「なんだその剣術は!

 自己流なのが見え見えだぞ!

 そんな代物で私に敵うと思うな!」

「……ちっ!」

 苛烈な剣戟を加えながらも、ドルギヌスは嘲笑し、それまでよりも早口に、やや上ずった声で言う。

 我は退かざるをえない。

 ----こいつ……。

 口先ばかりではない。

 大鬼やカエル共とは比べ物にならない。

 強い----。

 我が守勢にまわる他ないのだ。こちらの世界に来てからもう何度も味わった新鮮な驚きと共に、その事実が胸に沁みた。顔を歪める。

 特に強靭な足腰は、単純な腕力で言えば大鬼に劣るものの、剣を合わせた時には大地を相手にしているかのようにびくとも動かない。かと思えば、ミリリア以上に軽々と宙を舞い、視界から消える。そして息をつかせず脇に滑り込み、背後を取る。まるで曲芸師のようだった。

 それらが歳月をかけて熟成させた堂々たる剣技で振るわれるのだ。剣術など習ったことのない我では、その技量において及ぶはずがない。

 この体は本当に使えない。

 しかし----。

 我は力任せに、その剣を薙ぎ払った。

 ----まだだ。

「!」

 ドルギヌスは堪らず剣を弾かれる。

 足は一歩も動かないが、それが逆に好都合だ。

 我はそのまま、崩れる体ごと仮面の隊長にぶちあたった。

 これは支えきれるものではない。

 避ける隙も余裕も与えなかった。

 両者諸共になって倒れ込む。

 そこで、

 ドルギヌスは両足に更なる力を籠め、跳んだ。

 後ろにあった、城の壁面に向かって。

「!」

 それは、見えていた。

 どれだけこやつが速かろうと、元のままの我が感覚から逃れられはしない。

 ぎりぎりでの回避も、予想通りではあった。

 ただし、その方向が予想外だった。

 無理矢理に脚力を使って脇か背にでも回り込むのかと思えば、真後ろにある壁の二階部分にまで跳び上がり、それを地面の代わりに着地している。

 追撃の心積もりをしていた我は、奴がいなくなった分の地面に芝を擦りながら足を踏ん張り、それを振り仰いだ。

 ドルギヌスが頭上の壁で膝を深く折り曲げる。

 そこに指先を付けたのは、ほんの一瞬。

 かき消えるかのように音も無く壁を蹴り、突撃する。

 跳躍の勢いとドルギヌス自身の体重。

 そんなものが合成された一閃が、迎え撃つ両腕にのしかかる。

 ----受けきれない……!

 両の足が土を抉る。

 剣が重みを支えきれず体勢ごと崩される。

 ドルギヌスは止まらなかった。

 合わせていた刃を支点に、蹌踉けた我の頭上を軽々と越えて身をひるがえす。

 背後に降り立つと一呼吸も置かず、斬り込む。

 我とて、そのまま背中を斬らせてはやらない。

 吠え、上体を捻り、なんとかその刃を防いだ。

 体勢が悪い。一手、一手と重い剣撃に足が下がらされる。

 これは----、本当に----、

 捌ききれない。

 あと数歩。それで壁に追い込まれる。

 まだいける、だろうか?

 体の底から力を振り絞る。

「うらあッ!」

 甘い一撃----それもほんの僅かな差でしかない一撃を見極め、弾き返して体の位置を入れ替える。息が上がる。これがいま出せる上限ぎりぎりの力だ。これ以上は、恐らく現在の器にある容量を超える。出せるかどうかすら定かではない。

 ドルギヌスは壁を背負ってなお、崩れなかった。

 続けて打ち込む我が剣を、一歩も退かず受け流してみせる。

 その剣捌きには、ここにきてやっと余裕が失せつつあるようにも見えた、が。

 仮面で覆われた表情は、なにも読み取れない。

 ギチィッ!

 そしてもう何度目か。

 打ち合った刃が擦れ、力が拮抗する。

 三角耳の脚力は、こんな鍔迫り合いでも威力を発揮する。どれだけ押しても刃を支える足腰はぶれない。既に息が上がっている我の方が分が悪い。

 上背のある金の瞳と、刃を挟んで睨み合う。

 競り負けてたまるものかという心境だった。

 取るに足りない意地だ。

 力を抜いて一度距離を取り、別の手を考えた方が幾分利口だろう。

 しかしここで打ち崩せれば、その先に勝機が見えるのも確かだった。

 なによりここで退く気になれない。

 絶対に退いてはならない。

 それはもう、獣としての本能に近い。意地だ。

 それが分かっているのか、ドルギヌスもまた退こうとしなかった。

 刃と刃が耳障りな音を奏でる。

 もっと、もっと、

 もう少し。

 あとほんの少しでいい。

 力が出せれば----!

 我は吠えた。

 腕に、全身に、力を込める。

 そして、


 ぴし……っ!


 雷に、胸を打たれたかのような衝撃があった。

 陶器の花瓶にひびが入れば、きっとこんな感覚を味わうのではないか。

 痛みというより痺れに似たなにかに力が抜ける。

 為す術無く、我は大地に膝を付いた。

 それはほんの僅かな時。

 しかし充分な時だ。

 不意に消えた力に、ドルギヌスの剣が流される。その刃が膝を付く我の肩を掠めた。たたらを踏んだ魔物の大将が、事態に追い付けないながらも我を取り押さえるのに、手間はかからなかった。

 利き腕を捻り上げられ、

 体を地に押し付けられる。

 背の上には重み。

 ため息が出た。

「…………またか」

 地面を間近に見るのはこれで三度目だ。

 我ながら嫌になる。

 理由は分かっている。

 器が負荷に耐えられなかった。それだけだ。

 注がれる力が器の容量を超えた。逃げ場のない水は溢れることもできず、その水圧で器を壊す。感覚として分かった。今はひびが入った程度、といったところか。逆に言えば、ひびが入っただけでこれだけの痛手を被る、ということだ。

 ほんの一時切り離され、途切れた感覚。

 体に走った痺れは未だ残っていて、思うように動かせない。

「何が起こったのか知らぬが、自滅か。

 勇者というのも、なにかしら不備があるらしい」

 頭上から降り掛かる言葉が、実体の重みをもってのしかかる。

 前の二回とは原因が違うのだから、という慰めも通用しない。

 より、悪い。

 またも……まざまざと思い知らされる。

 我は、負けた。

 首筋に、冷たい刃がひたりと当たった。

「……余裕だな。

 おっと動くな。

 殺さぬとは言ったが、五体満足である必要はない。

 まして人間の仲間などな」

 何を勘違いしているのか、ドルギヌスは面白くなさそうに鼻を鳴らした。そして我から気が逸れたのが分かる。ミリリアがこの有り様に、考え無しに飛び出そうとでもしたのだろう。どうでもいい。離れた場所で、息を詰まらせる気配がする。

 ドルギヌスがまた我を見下ろした。明らかに優位に立っていながら、言動には苛立ちが見える。

「いけ好かない奴だ。

 貴様の立場を理解しているか?

 そうだな----」

「!」

 ぐいと上体を引き上げられる。

 掴まれたのは、頭にある角だ。

 力任せに引かれ、喉が仰け反った。

「大魔王様にお届けする前に、まずはこの目障りな角、へし折ってくれる」

「……」

 ざらりとした不快な声に、愉悦が混じる。

 我は瞳を横へ----角を握る手の先へと、静かに滑らせた。

「----手を、放せ」

 ドルギヌスを見据える。

 その瞳の色は、

 凍てつく吹雪も時を止める、

 薄青をしていた。




     ▽ ▽ ▽


 ----迷った。

 暗い廊下を独りとぼとぼと歩きながら、ルトランスは途方に暮れていた。

 とても信じられないことだが、ありえないことにルートは道に迷っていた。

 そんな馬鹿なと思う一方で、そりゃしかたないよ、とも思っていた。

 ルートはあれから今までずっと、小さな少女の姿を探して城内を彷徨っていたのだ。笛の音がすればそこにいるのではないかと駆け付け、当然魔物と遭遇する。戦う。撒く。そしてまた探す、の繰り返しだ。

 その過程で、自分の居場所を見失ったとしても、無理のないことだろう。

 ルートは途中からその事実に気付いていたが、無視して捜索を続けた。

 それでも少女は見付からない。

 ……もう、帰っちゃうか。

 そんな誘惑が、ルトランスの脳裏を過る。

 もう、充分ではないか。

 ルートが本来守るべき勇者のシェロナは、今頃盗賊の親分と一緒に城外へ逃げおおせているはずだ。見付けられなかったミリリアだって、あれだけ一般の人間も丁重に扱う魔物の隊長だ。きっと悪いようにはしないだろう。うん。きっとそうに違いない。

 ----都合のいい解釈だ。分かっている。

 分かっていながら、ルートはそう思い込むことに決めた。決めた。

 ルートは充分にやったのだ。

 これ以上は職務を超える。

 きっちりやることはやった。言い訳は立つ。あの勇者なら結果以外は目に入らないだろうが、なに、ルートの報告すべき相手はメリダスだ。問題ない。

 なにより----これ以上は命に関わる。死ぬ。マジで死ぬ。

 そんな予感に背中をびしびしと突つかれる。早くこの場を離れろと、数々の修羅場で磨いてきた直感がそう訴えている。これ以上はヤバい。ルトランスにとって、そっちの方が遥かに重要だった。

「----」

 そんな事柄を踏まえて。

 ルートは結論を下した。

「よし、逃げよう」

 そうと決まれば行動は迅速に。

 恐らく四方の門は、侵入者を逃がさない為に守りが固められているだろう。入ってきた地下の隠し通路を利用するのが良策だ。ここまで地下へ下りた記憶はないから、そこは手薄のはずだった。

 迷子になっていたのではなかったかって?

 そんなもの、本気になれば幾らでも見当をつけられる。ルートは半年前に世界が魔物の襲撃を受ける以前から戦場に身を置いているのだ。それくらいできなくて、これまで生き延びてこれはしない。容易いことだ。

 ルートはいつもの癖で、杖を腕に沿ってくるりと回す。そうして景気をつけてから、いつの間にか止めていた足を反転させた。

 色の判別も付かない暗い廊下に、上方にある小さな窓からほのかな光が差し込む。物の形さえ定かではないが、壁に手を付いてしまえば歩くのには困らない。もし魔物に見付かって戦闘にでもなれば、ルートは遠慮なく光を点す気でいた。

 こんな場所では、目ではなく耳と肌に神経を集中させる。

 その耳が、どこからか、微かな足音を拾った。

「----!」

 ルートは考える間もなく手近な物陰に身を隠した。面倒なのは、人間とは違って魔物は暗がりが通用しないことだ。

 一応、杖を胸の前に引き上げて備える。息は詰めるのではなく細く吐き出す。呪文を唱えれば聞かれてしまうのだけが惜しい。

 廊下の先を横切って行ったのは、アルドだった。

 警戒した様子で足音を殺し、急いでいる。知った顔に、一度は「なんだ……」と胸を撫で下ろして力を抜いたルートだったが、その違和感に顔を上げた。

 慌てて後を追う。忍び足には盗賊以上に自信があった。

 アルドの背を、杖で軽く突つく。

「あの」

「!」

 アルドは勢い振り返った。

 ちょっと跳び退いて身構えまでする。いきなり殴り掛かってこなかったのは、ルートに敵意がなかったからか。声を上げなかったのはさすがだ。

 悪いことをしたかな。

 ちらりと考える。

 しかし振り返っても意味のないことだ。いちいち謝るのも面倒だった。

 ルートは手を広げて、落ち着くよう促した。

「なんだ。魔法使いの兄ちゃんか」

 アルドは目に見えてほっと息を抜く。

 ルートは小さくうなずいた。

 悠長にしている場合ではないので、単刀直入に聞く。

「どうしてあなたがここに?

 シェロナさまは一緒ではないのですか?」

 するとアルドは「あー」と気まずげに唸って、----明かりに数えられないような僅かな光の中でも、ルートにはそれくらいの表情の変化は分かる。後ろ頭をかいた。

「それがよ、実は……」

 アルドは語った。

「中庭で小さい嬢ちゃんが危なくなってるのを見掛けて。あいつ、一人で助けに行っちまったのよ。おっと。文句ならお門違いだぜ。オレに助ける義理はねえ」

「……」

 そんなことは分かっている。

 ルートは「はあ?」と腹の底から溢れ出そうになる呆れ声をなんとか押さえ込んで、その表情を隠すように額に手を当て、痛ましく両目を閉じた。

 なに仕出かしてくれてんだ、あの予想外怪獣……。

 と、続く台詞も呑み込む。

 アルドが説明を続けた。

「でっかいヤツ含めて魔物三匹に嬢ちゃんが囲まれてて。

 あれは直ぐにも増援が来そうな感じだったな。

 かなりヤバそうだったのは確かだぜ。

 でも、あのツノ野郎が助けに行くとは、正直思わなかった」

 ルートも思わなかった。

 というか恐らく、助けに行くのが目的の中心ではないのではないかと考えられる。さらに言えば、あんなわけの分からない予想を超越した怪獣の思考は、考えたってこの目で見たって聞かされたって分からない。

 そんなことさえ、今のルートには些事だ。

 どいつもこいつも、勝手なことを……。

 ふつふつと、胸の内が煮え立ち始める。

 さらにうつむいて頭を抱えたまま動かなくなってしまったルートに、アルドが同情の眼差しを向けた。

「アンタも大変だな。

 だがオレは逃げる。もう充分巻き込まれた」

「待て」

 手を振って立ち去りかけたアルドを、ルートは呼び止めていた。

 自分でも少々意外だった。

 しかし、続く言葉を止められない。

「案内しろ」

「あん?」

「そこに連れて行け」

「っ……!」

 ルートはゆらりと顔を上げた。

 陰の中で二つの眼が見上げる。

 半身で振り返ったアルドはそのまま硬直した。

 自覚する。鳶色の瞳が完全にすわっていた。

 行ってどうするつもりなのか。何がしたいのか。ルート自身にも分からない。

 そもそも現在どういう状況なのかも知れない。

 魔物数匹程度ならば、今のあの人はわけもなく蹴散らしてしまうだろう。

 もっと本音を言えば、聞かなかったことにしたい。

 それでも。

 ルートは行かなければならなかった。

 勇者の供として。その身の安全を確保しなければならない者として。またその行く末をとりあえず今だけは見届けなければならない者として。ついでに拳固の一発でもくれてやりたい。

 とにかく、今のルートの肩には、そういう面倒臭い役割が山と乗っかっているのだ。

 「行く」以外の選択肢などない。

「わ、分かった。連れてってやる」

 ルートのいつにない剣幕に圧されたのか、アルドは怖じ気づいたとしか表現できないぎこちない動きでうなずいた。

 こっちだ、と早速促されて、ルートはアルドと連れ立って駆け始めた。その時だった。

 なんと前方から、魔物の兵士の一団がやって来た。

 いつの間に----!

 思えども、もう遅い。

 どこか指示された場所に向かう途中だったのか、五、六匹はいそうな魔物たちもまた、二人の人間に行き会って驚いた様子で立ち止まった。直ぐに先頭の兵士が剣を抜く。それに続いて後続の面々も揃って戦闘態勢を取る。

 急停止して、アルドと並んで立ち尽くすルート。

 ほらみろ、やっぱりこうなった。

 喉を鳴らしたのはどちらだったか。

 顔を引き攣らせる。

 それは奇しくも、苦笑したかのように見えた。

次回は二話分まとめての更新になります。

お間違いにならないようお気をつけください。

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