第十一話 「逃亡」
「……っ!」
見た者を凍りつかせる薄青の瞳で睨む。
我の全身から冷気のように立ち上る怒気に、魔物の隊長がほんの僅か身を退いたのが分かった。
その時。
どこかから爆音が響いた。
城を揺るがす大音響に続いて、長く延びる男の野太い悲鳴までがこだまする。その方角が俄に騒がしくなった。
「----なんだ?」
まるでちょうどよく我の視線から逃れる口実ができたかのように、ドルギヌスの気が逸れる。角を掴む忌々しい手が弛み、背に乗った重みが軽くなる。
その隙を、逃さない。
瞬時に体を跳ね起こす。
不意をつかれて浮いた足を退かすように身を返し、その勢いを加えた蹴りを細い胴にくれてやる。そのままさらに身を捻り様、今度は仮面の顎に肘を叩き込む。
油断していたドルギヌスは、堪らず仰け反った。
我は不格好ながらその下を逃れると、立ち上がりながら意識を置いておいた剣を拾う。こやつの脚力は侮れない。一足に間を詰められても対応できるだけの距離を取って身構える。
「……キサマッ!」
顎を押さえ、ずれた仮面の位置を修正しながら、ドルギヌスは金の瞳を怒りに燃やして我を睨んだ。地の底を這う重い声が、妙に甲高い響きを帯びる。ただどこか、気が入りきっていないようにも見えた。
剣を握る己の手の平に汗が浮く。息が荒く乱れる。痺れの余韻を残して、体が重く気怠い。それは肉体よりもその内側にあるモノにより痛手を加えたようだ。ただでさえも限界の力を出して敵わなかった。このまま戦って、勝てる見込みなどない。逃げる、以外になさそうだ。それも上手く行くかどうか……。
……苦い、様々な想いに胸がもやつく。そんな想いはひとまず、無理矢理に、腹の底に押し込む。どうあっても、まずは生き延びることだ。
我は正面の仮面の魔物の動きを、寸分漏らさず見据える。その背後から、間もなく声が聞こえてきた。小さかったものが段々と大きくなる。それは二人分の会話だ。
「おまおまおまえ!
とんでもねえ早口だな!」
「わはははは。
今のは多重詠唱という。
滅多にやらない高度な技だ。
目に焼き付けておけ!」
「にしたっていきなり壁ぶち抜いて飛び下りるヤツがあるか!」
「だったら他にどんな逃げ道があったのか、教えてほしいものだね!」
「せめて一言くれろってんだ!
寿命縮んだぞ!」
「肝の小さいことで」
そこはどこに続いているのだったか。
中庭に姿を現したのはアルドと----どういうわけかルートだ。大声でわめき合いながら全力で疾走して、よく平気なものだ。と、人間の体力というものを把握してきた我は、そう思えるようになった。
妙な感心をしつつそれを視界の端で捉えると、まだ遠いルートと目が合った。
魔法使いはそれだけで、状況を察した。
ドルギヌスが今度は我に注意を怠らないよう意識を残しつつ、訝しげに振り返る。
その横面に、火炎の玉が命中した。
岩肌のカエルが吐き出した----のではなくルートだ。呪文を唱えながら少しも速度を緩めず、アルドと共に我の方に向かって突進する。
ドルギヌスは用意もなく火炎の直撃を食らったにもかかわらず、多少蹌踉けただけだった。まとわりつく火の粉を払うと、あの勿体ぶった口調で悠然と言う。
「炎か。
残念ながら私には効かぬ。
何故なら----」
その顔にさらに一発二発、連続して炎が飛んだ。
台詞の先が途切れて何故なのかまでは不明だが、火が効かずとも牽制にはなるようだ。顔面に火の玉を何発も入れられて、ドルギヌスは勢いに圧され終いには尻餅をつく。
その脇を、二人は難なく駆け抜けた。
そのままこちらにまで走り来るルートが、無造作に我の腕を掴んで引く。
我はその勢いに巻き込まれて、数歩引き摺られた。
来い、と言いたいのは分かる。異論はない。
引かれるまま逆らわず、足をもつれさせながらも駆け出す。
四人いた魔物の兵士と睨み合っていたミリリアも、それらの剣や魔法が届く前にアルドと合流していた。
座り込んだドルギヌスが怒りに任せて腕を振り回し炎を払う。その姿には、始めに見せた威厳のようなものはまるで見られない。
「逃がすな捕まえろ!」
耳を貫く金属質の甲高い命令が飛んだ。
ルートがおまけとばかり、建物に入る寸前で振り返った。森で盗賊共にお見舞いしていた豪風をさらに倍増させたような魔法を放って、追いすがる兵士共を足止めする。さっきの爆音も、ルートの魔法によるものだろう。
「城を壊さないのではなかったか」
「悠長な」
廊下を駆け抜けながら脇を窺い問うと、ルートはこちらを見もせず真っ直ぐ前を向いたまま言った。珍しくも吐き捨てるような物言いだった。いつになく心根が透けて見える。横顔に焦りが色濃く表れる。
それから我の方をちらりと見上げた。
「やむを得ず。
時と場合と規模によります」
「そんなことよりどうする!
どうやって逃げる!
これじゃああの道は使えねえぞ!」
アルドが叫んで割って入る。
見るまでもなく、城内を逃走する我ら四人の後ろを、数多の魔物共がひしめくように追ってきていた。
ふむ、と我は小首を傾げて隣りを見遣った。
「ならば外側の壁も、魔法でぶち抜けばいいのではないか」
「それができる魔法使いなら、こんな所で燻っていないです」
軽口を叩きながらも、ルートの顔は少しも笑っていない。
「壁は無理でも、門は突破できます」
「だから西の門に向かっているんですね!」
ミリリアが後を引き継いで明るい声を上げた。
東西の門は跳ね橋が上がっていて、外からでは入れない。しかし内側からならば、それを下ろすことができるというわけだ。
ところがルートは首を横に振った。
「と、見せ掛けて。西を掠めて北へ向かいます。
敵も当然そう考える西と東は、守りが堅い」
「北? 北の橋は途中で折れてて渡れねえ。跳べる距離でもねえぞ」
「壊れているからいいんだ」
疑問を浮かべるアルドの横で、西門に続く道が通り過ぎて行った。ルートはどこまでも真面目な表情で、確固としてうなずく。敵も人間には渡れないと当たり前に考える北は、その分手薄になっているはずだ、と魔法使いは言った。
「でもどうするんですか?」
「おれがなんとかする」
腑に落ちない顔のアルドとミリリア。
それでもルートは断言する。
我はその横顔を見る。
もはや北の門は間近に迫っていて、兵の数は増えるばかり。
何か考えがあるのだ。
今も、手を引かれながら走っているかのような気分だった。
我はうなずいた。
「心得た。
先行する。ミリリア」
手薄だとしても、北門にも兵士が待ち構えているはずだ。ルートが魔法を使うまでの間、それをこじ開ける役目が必要だった。
前へ出つつ声をかけると、脇から溢れる魔物を退けていた小娘が瞬時に返事をする。飛び跳ねるように廊下の先へひとり出て、立ち塞がろうとする兵士共を、目にも止まらぬ早技で斬り伏せる。我もそれに続き、討ち漏らした兵士を叩く。
ほんの一時凌げればそれでかまわない。----楽なものだ。
間もなく、北の口が見えた。
使用人が利用するための出入り口は、空間が狭く、扉もひっそりと小さい。扉には黒金の補強と太い閂がされていたが、それも申し訳程度だ。そもそも、武装した兵士が出入りするにも小さいのだから、それで充分なのだろう。
そこにいた兵士四人を我とミリリアで足止めする。残りをアルドが拳で黙らせて、扉の閂を開け放った。外の薄明かりと共に水気を含んだ空気が入り込む。口を開けた扉の向こうには、石の橋。外から偵察したとおり半ばが落ちている。途中までは行けても、向こう岸までは遠い。
少しの人数で斬り結ぶのがやっとの空間に、剣戟の音が満ちる。
そこにルートの、走りながらも唱え続けた魔法の歌が重なる。
徐々に光を強くする杖が、闇に白い軌跡を描いた。
我らが切り開いた道を迷わず駆けて、ルートが戸口から外へと跳び出す。
「雪風戯れる水瓶と蔓草の通い路!」
高らかな声が響いた。
光り輝く法玉がなめらかに宙を回り、杖の先端が静かに落ちるように石橋を叩く。
すると、
杖が打った足下、橋の際から、緑旺盛なツル草がわき出した。
丸みのある矢じりのような形の葉を付けたツルが、互いに絡まり合いながら向こう岸に向かって伸びる。同じ場所から滾々と水が溢れて渦を巻き、ツルと交わりながらその表面を覆って流れる。
それらが向こう岸にまで辿り着くと、白く冷たい風が吹き抜けた。
軽やかな音を立てて、一息に凍りつく。
それは崩れ落ちた石橋の代わりに、両岸を繋ぐ氷の橋となった。
杖に残った僅かな光に照らされて、夕暮れを待って濃さを増した闇に浮かび上がる。
辺りにふり撒かれた冷気の結晶が、儚くきらめいた。
無粋な魔物共の相手さえしていなければ、しばらく見惚れていたい、美しさだ。
「すげ」と、アルドが声を漏らした。
「長くは保ちません。
急いで!」
振り返って言いながら、ルート自身がもう渡り始めている。口ではさらに別の魔法を準備する。向こう岸には町にいた巡回の兵士が集まって、待ち構えているのだ。やはり数は多くないものの、ルート一人に先を行かせるのでは荷が重い。
「ミリリア、行け!」
「はい!」
ミリリアは返事をするが早いか、目の前の兵士から後ろへ跳ねて逃れると、狭い空間を身軽に駆けて、半分渡り終えていた魔法使いの横を、二歩で追い抜いた。
こちら側も兵士が次から次へと押し寄せている。手は抜けない。狭い故に一気に多勢を相手にしなくて済んでいるから、なんとかなっているようなものだ。ドルギヌスが追って来なかったのが幸いだった。などと、考えてしまう己が腹立たしい。
ルートが渡りきったのを見て取って、アルドが直ぐさまその後に続く。我が渡る頃には氷の橋は崩れ始めていた。下からは水滴が雨のように落ち、氷の欠片が崩れた橋の沈む堀に小さな水柱を立てる。足に伝わるのは、不確かな感触でしかない。
あと一歩、というところで。
足が地面を失った。
石の橋から生えた根のないツルが解れて、力無く落ちる。
宙に放り出された浮遊感。
本来なら空も飛べるが、この体ではそうも言っていられない。
あと一歩が届かず手を伸ばす。
壊れて歪な橋の縁に。
なんとか、掛かった。
肩に落下する体重分の負荷がかかる。手の平に力を込めてぶら下がる。
今度はその石が取れた。
魔物の力で壊されて、脆くなっていた橋だ。その先端の部分が我の体重を支えきれずに崩れたとしてもおかしくはない。
再びの浮遊感。胃の腑が冷える。
このまま堀に落ちたら、死ぬだろうか。
益体もない思考が、空白になった頭を過る。
そんな我の腕を掴む手があった。
大きく無骨な手。アルドだ。
そもそも引き上げるつもりだったのか。屈んでいたおかげで間に合ったらしい。アルドが我の前腕を痛むほど掴んで引いた。
「あっぶねえなあっ! くそっ!」
悪態をつきながら、両腕で持ち直して踏ん張る。そこはまだ橋の上で、その上置き去りにした城から魔法が飛んでくる。おっかなびっくりの顔だった。我も途中から己で体を引き上げる。
無事、地に足が付いた感触に胸を撫で下ろす心持ちを、不思議に感じる。生まれた時から飛べた身には馴染まない。我は傍らのアルドを見上げた。
「----助かった」
「おう! 行くぞ!」
アルドが応じて、我を引き上げた大きな手の平で背中を強く打った。思い掛けない扱いに、なんの用意もなく息を詰まらせる。抗議の視線を上げたものの既に遅く、アルドは両の拳を打ち合わせて魔物に向かっていた。
そんな我らを、前方の兵士の相手に忙しいはずのルートが、わざわざ振り返って目を丸くして見ていた。目が合う。ルートは瞬間きまり悪く目の端を歪めて、直ぐにふいと前に向き直った。
「……」
杖に光を灯し、魔法を放つその背を見る。
アルドの広い背中がそれに加わり、横切る。小刻みに動き回る小柄なミリリアの背中もある。その向こうには、殺到する魔物共、暗闇に沈む人間の町。
奇妙な……感覚だ。
まだ、空中にいるのかと思うような、浮ついた妙な気分だった。
そこでやっと、我は己の手の中に、未だ剣が握られているのに気が付いた。
顔を上げる。前を見る。
「こじ開ける」
小さく呟き、剣を握り直す。
我は一息に駆けて、先頭にまで躍り出た。
そうして我らは、城と、そして町から、辛くも逃げ延びたのだった。




