九話
黒滅竜ヴォルガを先頭にした竜騎士団が、帝都グランガリアの迎賓飛行場へと滑空していく。
白亜の石畳が広がる広大な式典広場には、帝国皇帝の代理である貴族院の重鎮たちや、煌びやかな礼服を纏った宮廷魔導師たちが整列していた。
だが、その空気には歓迎の祝意など微塵もなかった。
冷ややかな値踏みの視線と、「小国の若造が最高宰相など片腹痛い」という侮蔑の気配が色濃く渦巻いている。
着陸し、ヴォルガの背からユリウス、俺、そしてセリアが降り立つ。
すると、真っ先に進み出てきたのは、紫の豪奢な長袍を纏い、黄金の魔導杖を携えた白髪の老人だった。
「これはこれは、ユリウス殿下。ご無事のご帰還、心より慶賀に存じます」
老人は慇懃無礼に頭を下げた後、鋭い眼光を俺へと突き刺した。
「……して、殿下。そちらが例の小国の病弱公爵殿でございますかな? 我がガリア帝国の国政全権を委ねるなどと殿下がお戯れをおっしゃるゆえ、宮廷魔導師団長たるこのバルツァー、どれほどの英傑かとお待ち申し上げておりましたぞ」
露骨な挑発。
ユリウスが眉をひそめ、冷徹な声を落とす。
「バルツァー侯爵。言葉を慎め。シルフィード殿は皇帝陛下自らが信任を与えた帝国の最高宰相だ」
「滅相もございません。ただ、帝国の頂点に立つに相応しい『器』であるか、宮廷の魔導師たちに疑念が残るのもまた事実。……折しも、ちょうど良い試練が訪れたようでございますな」
バルツァーが薄ら笑いを浮かべて杖の先を天へと向けた。まさにその時だった。
ゴォォォォォッ!!
突如として、帝都全域を覆う巨大なドーム状の魔導結界『天蓋の盾』が、不吉な紫の燐光を放ちながら激しく波打った。
大気を引き裂くような高周波の異音が響き渡り、空が暗雲に閉ざされたかのように暗転していく。
「な、なんだ!?」「結界の魔力炉が逆流しているぞ!」
式典広場の貴族や兵士たちが騒然となり、悲鳴が上がり始めた。
「おお、これは遺憾な事態に! 帝都防衛結界の古代中核炉が、不慮の魔力暴走を起こしたようでございます!」
バルツァーが白々しい芝居がかった声で叫び、俺を嘲笑うように見つめた。
「我が帝国の古代結界は、並大抵の魔導師では手を触れることすら叶わぬ超絶の遺産。小国の魔術師殿には些か荷が勝ちましょうが……帝国の最高宰相を名乗られるならば、これしきの非常事態、即座に収めて見せていただけますかな?」
ユリウスが顔色を変えて抜剣しかけた。
「貴様、バルツァー! 仕組んだな……!?」
帝都の結界をわざと暴走させ、対処できずに狼狽する俺を「無能」と断じて失脚させる。古参貴族たちの浅ましい罠だった。
だが、俺は焦るどころか、小さくため息を漏らしただけだった。
「お兄様」
セリアが冷静な声で俺の隣に立つ。
彼女の美しい紫水晶の瞳は、空の乱れを的確に見据えていた。
「東の第三ノードと、中央環状ラインの位相が無理やり捻じ曲げられていますね。酷く雑で悪意に満ちた細工ですわ」
「ああ。手入れもされず、煤だらけの術式に小細工をしたせいで、回路そのものが悲鳴を上げている」
俺は妹の頭をそっと撫で、前に出た。
バルツァーは嘲笑を崩さない。
「ふん、強がりを! この暴走結界は我が魔導師団の全魔力を合わせても鎮静化に三日はかかる代物! 貴様ごとき小僧に」
「五月蝿い。黙って見ていろ」
俺はただ一歩、石畳を踏み締めた。
視界を情報空間へと反転させ、脳内で二つの固有スキル、そして世界の記録を同時に起動する。
『【並列処理】。スレッド1〜256同時展開』
『対象スキャン。帝都防衛結界【天蓋の盾】構造式【解析】開始』
『【万象の記録庫】照合。三千年前、古代ガリア帝国初代皇帝が刻んだ原初設計図をロード』
眼前に展開されたのは、数億にも及ぶ膨大な魔力記号の奔流。
普通の魔導師なら脳が焼き切れて即死する情報量だが、俺の【並列処理】はそれを0.1秒で整列させ、【解析】がエラー箇所を瞬時に赤くハイライトしていく。
(……呆れたな。三百年も前の粗悪な改修パッチを放置したまま、無理やり稼働させていたのか。こんな骨董品を自慢していたとは片腹痛い)
俺は右手を空へと掲げ、人差し指を軽く上向きに弾いた。
パチン、と。
ただ、それだけだった。
大仰な詠唱も、派手な魔法陣の展開すらない。
俺の指先から放たれた極小・超高密度の干渉魔力が、空の結界の「構造の歪み」をピンポイントで貫いた。
瞬間。
キィィィィン……と澄み渡る金属音が帝都全域に反響した。
荒れ狂っていた紫の暴走光は一瞬で霧散し、代わりに空を覆ったのは、息を呑むほど神聖で透き通った黄金と青の多重障壁だった。
大気中の澱んだ魔力が急速に浄化され、帝都の空にまばゆい陽光が差し込む。
それどころか、以前の『天蓋の盾』とは比べ物にならないほど分厚く、洗練された古代の原初障壁が、帝都全体を優しく包み込んでいた。
所要時間、わずか0.3秒。
「……え?」
バルツァーの手から、黄金の魔導杖がカランと音を立てて滑り落ちた。
周囲の数百人に及ぶ宮廷魔導師たちが、息をすることすら忘れ、口をあんぐりと開けて空を見上げている。
「な……な、何が起きた……? 暴走が、止まった……? いや、それどころか……結界の強度が、先ほどの十倍以上に跳ね上がっている……!?」
「詠唱も、魔法陣もなしに……指先一つで……古代遺産の術式構造を完全に書き換えたというのか……!?」
静寂に包まれた広場の中、俺は動揺で顎を震わせるバルツァーの前へと静かに歩み寄った。
「ば、化け物……! 貴様、一体何を……!」
「バルツァー侯爵。帝国の結界管理、随分と杜撰だな」
俺は冷徹な眼差しで、老貴族を見下ろした。
「貴殿は過去十年にわたり、帝都結界の維持管理費として国庫から毎年金貨三万枚を計上しながら、その八割を私腹を肥やすために着服。劣悪な触媒で誤魔化し続けた結果、結界炉の劣化を招いていたな?」
「な……な、ぜ、それを……っ!?」
バルツァーの顔から血の気が完全に引いた。
「さらに、先ほど私の力量を試すため、部下の魔導師に命じて第十二ノードに過負荷をかけさせた通信ログも、世界の記録には克明に刻まれている。……国家の防衛結界を己の保身と足の引っ張り合いのために危険に晒すなど、言語道断。反逆罪に相当するが、言い訳はあるか?」
「ひ、ひぃぃぃっ……!!」
バルツァーは膝から崩れ落ち、無様に石畳へと額を擦り付けた。
広場を取り囲んでいた保守派の貴族たちも、顔面蒼白で一斉に後退りする。
王国の無能な国王や勇者を一晩で破滅させたという噂が、決して誇張などではなかったことを、彼らは魂の芯まで思い知らされたのだ。
「全衛兵、バルツァー侯爵およびその一派を拘束せよ!」
ユリウスが威厳ある声で号令を下すと、呆然としていた近衛兵たちが一斉に動き、震える老貴族を引きずり倒した。
ユリウスは満足そうに口元を吊り上げ、俺の肩に手を置いた。
「見事だ、シルフィード。これ以上ない帝都への着任の挨拶だったな」
「挨拶代わりの掃除が終わっただけです、殿下。……さて、セリア。行こうか」
「はい、お兄様!」
怯むことなく堂々と微笑むセリアを連れ、俺は白亜の宮殿へと足を踏み入れた。




